しばらくこちらではご無沙汰しておりました。
というのも…「後半戦に何が起こるんでしょう?」というブログだったのですが、転職してからの紆余曲折といいますか…私が触媒になって、静かだった職場にいろんな転機がやって来て、それが余りに刻々と変わって行き、生々しかったので、リアルタイムにブログを書くのは、さすがにためらわれたのでした。

そうなってくると、このブログの更新は当然のことながらたまにしか行われず、物事が起きてから、だいぶたった後に、振り返ると言った形でしか更新が出来ないのでした。

もしかしたら、来年すっぱりとこのブログを閉じてまた新しいことを始めるかもしれません。



そういう、クロスロードにいる…という前提で、結局何が起きたのか…を書いてみると………。

マーケティングの担当者は担当を外れました。
M社長とD社長の関係は一時期緊張関係にありましたが、M社長はD社長続投で意志を固めました。
D社長は前向き、前のめりになってばりばりと引き寄せの法則を発動させており……

回り始めた運命の歯車はもの凄い加速がついて来ています。

というところで、来年早々から、その流れに身を任せることになります。


今年感じたこと…

それは引き寄せの法則、あるいは「思いは具現化する」ということをまざまざと、見た一年でありました。運命ということばを簡単に使いたくはないけれど、どこかで何かが起こるべく、ある程度のシナリオはあって、それが決定的に「はまる」瞬間がある…そう思わないと理解出来ないことが沢山起きました。

人生の不思議を改めて思い知る2013年でした。
前回から3ヶ月弱の時間が流れました。
7月に書いていた運命の歯車はやはりかみ合ってゆっくりと…そして、だんだんとスピードを上げて回り始めたのです。

結局7月に冴えなかったマーケティングの担当者は、その後劇的な改善を……見せはしていません。来年のプランをまとめることも出来ず、私を含めた少数の人間が睡眠時間を削って来年のプランの格好を無理矢理つけて発表しました。

そして、M社長は取り繕ったプランの裏で何が起きているのかをお見通しでした。D社長は、日本全体を危機にさらす訳には行かないので、結局マーケティングの担当者の支援に乗り出さざるを得ず、それが私…という、M社長が7月に予見した流れが結局出来てしまったのでした。

この流れはこれだけでは止まらない筈です。止まるどころか更に勢いを増している様に見えます。この流れが我々をお品がしていく先に何があるのか、おぼろげながら見えて来てはいますが、どんなことが隠れているのか…まだわかりません。
私は「人生は予めプログラムされている」という意味での運命は信じていませんが、人生において時折、「ある方向に状況が意図して向かって行く」というのを感じることがあります。これは、まるでからくり時計の一つのピースが入っていなくて、それをかちっと納めた瞬間に、歯車がかちっという音を立ててうまくはまり、そこから最初は静かにそして勢い良く予定されていた動きが加速していく…そんな感じです。

だから、その流れが一度生まれてしまうと、感じる流れは「緩やかな流れ」というよりも、「意志」を感じる程の強い流れになるのです。

さて、今回どうやらその運命の歯車がかみ合った様なのです。

日本法人のD社長の上司であるグローバルのM社長が日本に来ることになりました。
業績が伸び悩んでいる日本市場において、トンネルを抜ける光は見えるのかそして、そこから再び飛翔するにはどういう作戦があるのか…それらの質問に対する答えを、M社長を受け入れる我々は用意しておくべきだったのです。

私は戦略担当ですから、トンネルを抜ける光というよりは、再び飛翔する為の作戦に関わっています。けれど、まだ新参者ですから、その部分の最初はD社長がプレゼンテーションをすることになっていたのです。

初日はトンネルを抜ける光が見えるのか…というセッションでした。発表担当はマーケティングの責任者が行うことになっていました。結果から言うとそれが惨憺たるものになってしまったのです。トンネルを抜ける光があるのか…という問いに対しては、以下の情報を用意しておく必要がありました。

ー 現在の状況
ー 改善のための施策
ー その進捗状況

更に言うなら、改善の為の施策がどういう背景で選ばれて何をしたいのかという「物語」を語ることが重要なのです。

ところが、マーケティングの責任者は、上っ面の販売額の推移等を現在の状況として出して、価格等の施策を五月雨式に発表したのです。当然、「何故その施策を選んだのか?」という質問が出てきます。彼はそれに対して明快な説明を出すことも出来ませんでした。

重たい気分になって終わった初日。D社長が私に近寄ってきました。
「明日のプレゼンテーションなんだけどね、自分がやるより君の方がいいと思うんだ」

その日にたどり着く迄散々私はD社長に質問したのです。
「プレゼンテーションD社長がするんですね?スライドもご自身で作るのですね?」
その度にD社長の答えはYesだったのです。明日の朝一番のプレゼンテーションで、もう全然時間がないのに、このタイミングで落としてくるという「超無茶振り」でした。

でも、D社長も私も判っていたのです。D社長は今日の分をばん回する為に、明日物語を語る必要があることを。そして、その物語を語るには私の方がD社長よりうまく語れるということも。

まだ会社に入って2ヶ月程度の私がどうして、ビジネスの物語を社長よりうまく語れるのか…そこにはもちろん秘密がありました。

戦略担当ということで、来年のプランの陣頭指揮を仰せつかった時に(というか、来年のプランを新入社員に振るあたり、既に無茶振りですが)私の頭の中にあったのは以下のことでした。

- D社長がM社長等グローバル本社の経営陣にプランを語る時、それが判りやすく説得力のある『物語』でなければならない。
- その物語は外からの借り物ではなく、メンバー一人一人の心の中に形にはならない状態で、でも、しっかりと存在する。
- 私のすべきことは、そのカタチになっていない想いを引っぱりだして、シンプルな形にまとめあげること。

だから、データが揃っていない時点でも、既に来年のプランは『こういう物語です』というシナリオを決めることが出来るのです。カタチになっていない想いを引っ張りだして、シンプルなストーリーを紡いであげれば、そうそう外れないからです。そして、データは後付けでもほぼ間違いなくストーリーにはまります。なぜならみんなの「実感」がストーリーを紡いでいて、その実感は案外データで見ても違わないからです。

こうして、睡眠時間を削って、それまで作ってあった物語のフレームワークを確認し、その物語に論理的な破綻がないか検証して、翌朝のプレゼンテーションに向かったのです。

D社長の前振りもそこそこに私のプレゼンテーションが始まりました。15分程度とD社長は踏んでいましたが、質問がいくつか挟まり結局1時間という長丁場になりました。しかし、そこで来年のプランの屋台骨がしっかりとM社長の心に刻まれたので、昨日の分のリカバリーは出来たのです。

チームワークとしては、悪い話ではありません。しかし、M社長へのレビューが終わった後振り返ると何が残ったかというと、マーケティングの責任者が冴えなかったということ、そして、私が新人ながら期待を持たせる活躍をした…という明暗が残ってしまったのでした。

この事実というより「印象」は私個人にとってみれば間違いなく良いものです。しかし、ここで続けて飛翔するという活動をしていくことにおいて、本社からマーケティングの責任者の能力に「?」がついてしまったのは、大きなダメージと言わざるを得ません。戦略の部分が頭だとしたら、マーケティングはハートの部分です。こころが籠らないとプログラムに魂が入らないのです。そして、その部分がアキレス腱になってしまうのだとしたら、戦略担当がマーケティングのところまで踏み込む必要すら出て来てしまうのでした。

M社長から私が二人きりになった時に言われたことは、もっと踏み込んでちゃんとマーケティングの部分の内容も検討する様にということでした。すなわちマーケティングの責任者をM社長は見切った…と、私に言って来たのです。

D社長の下ではトロイカ体制で3人の責任者がいます。それ迄は3人がほぼ並列、あるいは私が新人だからまだ格下と思われていたであろう節がありました。私はそのことに対して全く気になりませんでした。

ここへきて、明らかに格付けが生まれてしまい、その力構成が3人だけではなくて、下の人にもその差が見える様になってしまいます。やりにくいことこの上ないのです。

さて、そこへ衝撃的なニュースが流れてきました。やはり同じ様に不調だったアメリカ市場の社長が更迭されたのです。後任の発表も、そのアメリカ担当の社長の次のポジションも決まっていない時点での更迭発表でした。

私はD社長に成功してもらうというゴールがあります。そのアメリカ担当の社長のアナウンスメントを見た時に、
「これだけは絶対にD社長に味わってもらう訳に行かない」と心から思ったのです。

そして、マーケティングの部分への関与もこころが決まりました。
アキレス腱をアキレス腱のまま放置しておくことで、D社長の成功に対して大きなリスクになるならば…それは放置したらなることは明らかです…それは許されないのです。

私はマーケティングの責任者の成功も同様に願っていますが、両方の成功が叶わない場合は、私は迷わずD社長の成功をプライオリティにします。それはもう100%明らかです。

こうして、まだ入ったばかりの新人がビジネスの中枢・そしてほぼ全てを掌握することになるという運命の流れが生まれ、加速していっているのです。

うれしいか…と言われると、ビジネス的にはそんなに難しいとは思えないです。しかし、同僚や組織の扱いという意味ではかなり難しいことなので嬉しいとは手放しで喜ぶことは出来ません。しかし、この運命の流れが動き出したら、その流れに乗らないと自分が溺れてしまいます。この勢いを借りて、心から未来を描きそれをドライブかけて行く………運命は、明らかにそれを私にやれと言っています。このメッセージを受け取った今、

にっこりと微笑んで
ほかの人の気持ちとかに惑わされず
未来を見据えて
今この瞬間に輝いて行こう

と、気持ちを新たにしているのです。





最近ちょっと

「完璧な人なんてどこにもいない。いるとしたらあなたの頭の中…」

という話をする機会が何度かありましたので、その話をしたいと思います。

この「完璧な人」というのは、日本人社会にかなり「亡霊」のごとく住み着いております。

テストで95点をとった場合、

「95点もとれたね~。次回は100点目指そうね!」
というのと、
「どうして5点も失点したの?」
というのとでは、言われた方の心の持ち様は全く違ってきます。
後者には、「100点とって当たり前」という前提があるんですね。ここに、「テストではすいすい100点取れちゃう『完璧な人』が、あたかも存在するかの様なイメージが生まれてしまうのです」

この「完璧にこなして当たり前」という亡霊は、日常生活の隅々にまではびこっていて、

ー家の中が完璧な迄にきれい
ー料理は達人級
ーコドモにいつもエガオを絶やさない

等、あげればキリがありません。

仕事場に於いても、
ーテキパキと仕事をこなし
ーいつもエガオを絶やさず
ー難しいプロジェクトも涼しい顔でさっくりとこなし
ー部下にも優しい

みたいな感じです。

でもね、そんな人は 断言します。 「どこにもいない!」 のです。

いるとしたら、私たちの頭の中だけ。。。

そんなどこにもいないスーパーマンと自分を比較して、「だめだぁ!」と思うのは、全く持って無意味です。

まず、そうやって落ち込ませて、自分自身が可哀想です。
それから、そうやって落ち込んでいる時間は人生を楽しめないので勿体ないです。
持ち上がってくる時間とエネルギーも損失ですよね。

あぁだめだぁ…と、ふと思ってしまったら…私もたまにそう感じますが…

ダメダメ…そんな完璧主義の亡霊にとらわれては!!! と、思う様にしています。

でもじゃぁ、傲慢にならない?…と思うかもしれませんね。

謙虚であることと完璧主義の亡霊の軛から逃れることの両立は可能です。
次はそのことについて書こうかな。


去年の10月頃からだと思うのですが、Facebookで「1日3つの感謝をしよう」というグループに参加させてもらっています。

どんなことでもいいんです。1日3つの感謝。これを21日継続すると、それが「習慣」となって毎日が幸せになれる…というものでした。

本当に最初は、うんうん考えて3つひねり出してたんですが、もう8ヶ月位毎日やっていると、本当に「しないと気持ちが悪い」位にまで習慣化します。

それと同時に、言われていた様な「とんでもない変化」が訪れました。

朝起きたと同時に「幸せな気持ちに包まれる」…この幸せ一杯感は何とも言えないです。
それから、「ありがとう」と言いたくなる…ほかの人にです。これまた素敵じゃぁないですか。

ということで、転職したりまぁいろいろ今年の前半はあった訳ですが、概ねハッピーな毎日を過ごしています。

結局、「○○が悪いから幸せになれない」と、幸せになれない理由を探して時間を費やすより、そんなことはどうでもいいから「幸せになっちゃった」方が得なんですよね。

そうして、無理矢理でも感謝していると、脳みそが「幸せに違いない」と勘違いしてくれるのだと思うのです。

元手はかかりませんので、そして一人だとなかなか続かないと言う人は、お友達を誘って是非試してみてください。…お友達のを読む楽しみも「継続」を促しますので、そっちの方がいいかもしれないです。


昨晩はホテル暮らしの最後の日でした。朝早めに目が覚めたので、「もう一回お布団の中でのんびりと~」と思ったので、ぼんやりと遠隔でレイキをすることにしました。

最近は自分のためだけにレイキをすることは減って来ていて、自分にレイキしたい時でも遠隔でレイキをすることが多くなって来ています。その理由は、ほかの人にレイキすると、自分はそのパイプになるので結果的に自分にもレイキは流れる。ほかの人にレイキした方が自分に流れる量も増える気がする(笑)というものです。

ほかの人にしてあげると、自分へのベネフィットも増大する…なんと素敵なシステムでしょう。

さて、今日の遠隔レイキの対象は現在上司となったD社長でした。組織のトップの人に明るい顔をしていてもらうのはもの凄く重要なのです。部下の人達は、トップの人と直接言葉を交わすことは、直属の部下以外は余りないのですが、トップがイライラしていたり元気がなかったりすると、そのオーラや雰囲気は組織に伝染します。逆に元気だと組織の緊張が減ってリラックス出来るのですね。だからトップの人が元気でいることはとても大事なことなのです。

私も元気でありたいし、彼にも元気でいてもらいたい…そんな気持ちでレイキをすることにしたのです。

レイキをしていると気持ちよいですから、そのうち起きてるとも寝ているとも着かない状態にいってしまい、そこから結局は寝ちゃうのですが、私は会議に出席している夢をみていました。

場所は会社の会議室。3人での打合せをしていました。そこで、手のぬくもりと手触りに気がつきました。ふと気がつくと、D社長としっかりと手をつないでいたのです。出会った頃に挨拶の握手をしたことはもちろんありますが、握手と手をつなぐというのはもちろん別の行為です。3人の会議で二人で手をつないでいるという妙なシチュエーションで、その手触りからぬくもりから余りにリアルだったのでびっくりして目が覚めました。


そして午後…。
今度はレイキ友達のななこさんが遊びに来てくれました。
今度はお互いにレイキのし合いをしました。これは本当に「至福」の一言に尽きます。そして今回初めて触っている場所と離れているのにずっとある場所にレイキが流れて行くのを感じることができました。それはまるで温めた石を載せ続けている様な感覚でした。もちろん両手の場所はわかりますから、その「石」が乗っている場所に手がある筈はありません。けれどそこからレイキが流れて入ってくる感触がまるで温かい石を載せ続けている様な感じだったのです。

施術してもらいながら、「毎日レイキしてるけど、肩に力入ってたなぁ…」と気づきました。そうして一つづつほぐされて、本当に「整えられるというのはこういうことか」と、またうっとりしたのです。

レイキ三昧の土曜日…本当に素敵な週末の過ごし方になりました。手を乗せるだけでこんなにもすばらしい恩恵が与えられるとは、宇宙の理はなんと素敵に出来ているのでしょうね。


新しい会社・職場で仕事を始めてからそろそろ6週間になります。
実際はまだ6週間ですが、自分も周りもまだ6週間…と、思っている人はそんなにいないのではないかと思います。どっぷりと色んな問題に意図して、あるいは意図せずに入り込んでしまっているからです。

日々様々な発見があり、それを楽しんでいますが、その中から浮かび上がってくる課題の一つが「優等生の越えないといけない壁」というものがあります。

前職に比べて明らかに賢い人が多いのですが、その賢さがどうもいい感じに機能していないのです。それを一言で言うなら「優等生過ぎる」という問題です。

- 上司に意見を言えない。
自分が「ん?これは違うかも」と思っても、それをなかなか言うことが出来ません。上司が「あっちに行こう!」と言ったら、それは単なる思いつきで根拠はないかもしれないのですが、その意図を読み取ろうとしません。本当は「あっちじゃなくて逆の方がいいと思うんだけど」と、思っても、それを言わないで額面通り受け取っちゃって必死に実行しちゃうのですね。

- 失敗を恐れる
私は「失敗」というのは、「やれるなと思ったのにやらなかったこと」だと思うのですが、世間体の失敗を本当に気にします。

- 自分に自信がない
これは親から起こられ続けて育ったパターンの人です。努力の鬼になって、ここまで来た人達です。だから、表向きはとても優秀ですが、チームワークとか、仮に部下を持ってしまうと部下の育成とかは苦手です。そして、人がその自身のなさを見透かすのを恐れるあまり、他人を攻撃したりします。あるいは見透かされると言う恐れすら顕在化せず、単に傲慢な態度になったりします。

こういう人が沢山いると何が起こるかというと、

「大体そつなくこなすけど魂が入らない」
状態になっちゃうんですよね。

「まぁ仕事だし~」
みたいな感じです。

これって、実に残念な状態です。絶対つまんないと思うんですよ(苦笑)。

これをどうやって魂入れるか…そこが私の課題か…と、
「どうやって料理するかなぁ」と、ふふふと笑いながら考えているところです。




ヒプノセラピーというのは日本語で言うと「催眠療法」になります。
セラピストがクライアントを催眠状態に導き、深層心理に働きかけていろいろな心の旅にでるのですね。

ヤザワインターナショナル
http://ameblo.jp/japan-hypnotherapy/

の、上級コースでは無料体験者へのセッションを行うトレーニングが入っているのですが、それの無料体験者になって来た訳なのです。

ヒプノセラピーを受けたいと思う人は、対人関係に悩んでいるとか性格を変えたい…といった「問題」を抱えている人が多いのではないかと想像するのですが、私は実はそういう「問題」を感じていません。では、何故ヒプノセラピーの体験をしてみようと思ったか…と言うと、これからの成功がもっと大きく効率よくなって行く為に、学びはないか?…そう考えたからです。

私のやりたいことは

「思いを一つにするチームを作って思いっきり走ったらどこまで行けるかみてみたい」のです。思いを一つにするためには、一人一人が信頼感と安心に裏打ちされた関係を持つことが最低条件です。それに共通の夢が加わると、チームの歩みは加速的になります。

そういう職場環境を作ることが出来るのは、上にたつ人だけなんですよね。組織の下の方でそう言う人がいても、「非効率」なのです。上にそう言う人がいないと(笑)。で、そういうことが出来る人になる為には、頭で考えたロジックもさることながら、部下に見られても芯がぶれない強さ…その方が実は重要だったりします。

そんなことからヒプノで何か気づきはないか…ということから参加したのでした。

セッションはそんな訳で過去に戻るのではなくて、未来に向かっていきました。
元気になってもらいたい上司とのこと、考えているNPOそして、もっとずっと先のこと…大好きな人達との別れ…そんなシーンが誘導に応じて次々と目の前に広がります。

もちろん意識はハッキリしていますし、至極普通の状態です。でも状態はレイキも同時に起こっているので非常にリラックスして気持ちがよかったです。

結果として、今進んでいる路を自分を信じて進んで行きなさいというメッセージを受け取ったと思います。終わった後、初めてレイキのアチューンメントを受けた時の様に、少し頭痛がしてぼ~っとなりましたが、レイキもヒプノセラピーも自分の深いところに作用するものですから、同じ様な反応がおこるのも宜なるかなと思いました。

瞑想はその状態に入れる様になるのが難しいですが、レイキやヒプノセラピーは案外すっと入れるので、お勧めです。

人間の頭で判っていることなんて、本当に一握りのこと。世の中そして人間にはもっと意識されないポテンシャルとパワーがあるなぁ…と思いました。

自己啓発系のワークの中に

「夢を100個書き出してみましょう」

というものがあります。
「引き寄せの法則」と相まって、とても一般的に言われているこの「夢100個」ですが、実は私はこの夢100個行っていません。

そもそもやりたいことをマインドマップという手法を使い、「人生ノート」と言う名前で集約してしまっているので、羅列になっていないというのもあるのですが、夢と呼んで良いものと呼ばない方が良いものを混ぜてしまう危険がある様に思うからです。

私が「夢と呼ばない方がよいもの」と考えるものは「欲望」です。

たとえば、

大きな家
ブランドものの靴
世界旅行

こう言ったものはいわゆる夢100個には出てきそうなものです。

でも、

大きな家を得たとして、中はがらんどう、お隣りの家まで1時間とか言う場所に一人で住まなければならなかったら、その大きな家を仮に得たとしてもそれを「夢を叶えた」と言うでしょうか。

世界旅行にしても、行く先々で強盗などの怖い思いをするとしたらどうでしょう?

そうやって、もう一段深いところまで考えてみると、本当に欲しいものはそういった物の羅列では得られない物なのではないか…と思えて来ます。

そうやって考えて行くと、多くの欲望の裏には

人とのつながり とか
家族の暖かさ とか

そんなものが本当は欲しいのだと言うことが見えてくる気がするのです。

もしも夢100個のワークをしている人がこれを読んでいらしたなら、そう言う観点でその夢の中に表面的な欲望が入ってしまっていないか検証してはいかがでしょう。


しばらくブログにかき込む期間が開いちゃいました。お久しぶりです。

怒濤の引越/本社出張で人に会いまくり/日本に移住して/ホテル暮らししながら/部下の皆さんとこれまた怒濤のミーティング

という息つく暇があんまりなかったのが、正直なところでした。

さて、「そんなことが起きるのか?」と思う様な災難にいくつも見舞われて、この数年ビジネスが伸び悩んでいる組織ですから、自分が想像していた以上に自信も失いかけてましたし、鬱な気分が全体に漂っているのに気がつきました。

けれど、前職の職場より人材的には明らかに優れている人が多いのも事実で(苦笑)、単に初めての経験でどうしたもんか判らん…という感じにも受け取れるのです。

そこで、一つ実験をしてみることにしました。
些細なことでも、心から頑張ってる皆さんに

「ありがとう」
「よくがんばってるね」

を、言いまくる…という実験です。

実は「実験」と言っていますが、結果は判ってます。100%確実に良くなります。アウトプットで言うならば、おそらく200%位は上がる筈です。

敢えて言うならば、それを言う時に私が「心からそう思って」言わないといけないというのが、この効果を左右します。言われる皆さんではなくて、「言う私」次第なんです。

「心を一つにしてチームを組んだらどこ迄行けるかみてみたい」と言うのが私の人生の課題です。その「心をひとつにする」部分はすなわち「心からありがとうを言えるか」という自分への課題になるんですね。

いまのところ、出だしはいい感触です。
そのまま継続します。