海老名から被災地へ。直接支援活動ブログ-__.JPG


深夜二時に物資を置いていった友人。
まだ、寒いからだろうとファンヒーターを持ってきてくれた。。。
一緒にカップラーメンと洗剤も置いてあって、
泣けました。
震災があった1カ月前東北では雪が降っていました。
今、こちらは桜が咲き、東北でも桜の蕾がみられるようになりましたコスモス
震災直後は殆どの予約はキャンル! その後の計画停電で更にキャンセル!
きっと、皆さんの精神状態や体の硬直度は上昇していたに違いありません

しかし、暖かくなり、桜が咲き始め、新学期が始まり、心機一転なのでしょうか? 
外へも出向くようになり、皆様、明るさを取り戻したかのように思えます。

被災地も変化しているはずです。
寒くて凍える中、震えて眠るようなことは、なくなっているはずです
飢えに苦しみ、その枯れ果てた体からも、少しづつ解放されてきているはずです

震災1カ月を振り返り、私は考えました。

人間は我慢し続け、そして、耐え続けられる期間はどのくらいなのでしょうか?
我慢は日本人の美徳とも言えますが、我慢し続けた結果得るものも沢山あるのではないでしょうか?

目に見える病気と目に見えない病気ですね。

人間が病気になる原因の70%はストレスからと言われてます。そのストレスを少しでも軽減することができたら・・・。カイロプラクターである私が出来ることと出来ないこと。勿論施術をすることなのでしょうが、もっと大切なもの。

考えました!
魚を食べさせたい!!

山に住んでいる人は山にあるものを食べるのが自然で、海近辺に住んでいる人は魚介類で育っているはず。 自分の体は魚から出来上がってるのでは?と思うくらい、毎日のように食卓に魚があるはず!
そのエネルギーの源である魚を食べさせてあげることが出来たら、元気がでるのではないか!?

早速厚木にある干物専門店に発注!
約500枚のアジやエボダイ、かます、さんま、金目、みりん干し、イカ、などなどお任せで段ボール7~8個

あとはお酒ですビール

単に私がもらって元気でるものを考え、持っていくことにしました。こちらに関しては賛否両論ですが、何言われても構いません。
頑張ろう!!って元気出して欲しいんです! 海に住んでる人は毎日乾物ばかり食べれません。 
勿論贅沢は誰ひとり言いません。でも、聞いてみました。

干物とお酒をもって行こうと思うのですが? 

・・・。
贅沢は言えないので言えませんでしたが、それはとても喜ばれると思います。みんな、魚で育ってますから。

では、持って行かせてください!!

今回はワンボックス一台で行きますので、どのくらい詰めるか・・・?
詰めるだけ詰め込んでいきます!
2011年3月に岩手県釜石市へ向かう途中の様子です。


途中から雪の残るエリア。炊き出しの様子です。


帰り道。前日よりも道路がきれいになっている。
海老名から被災地へ。直接支援活動ブログ-__.JPG
 
鎮魂
瓦礫が残る岩手県山田町で雪が舞う中祈りを捧げる僧侶の姿があった。
盛岡市にある石雲禅寺の副住職(28) 岩手県宮古市を出発し野営しながら石巻を目指している。
足元は素足にゴム草履。 鈴を鳴らし、お経を唱えながら倒壊した家屋の前では深々と一礼し、犠牲者の鎮魂と町の復興を祈った。
『瓦礫の残るところには人の思いが詰まっている。被災者復興に関わるひとたち、そして畏怖の念をこめて海にも合唱したい』

$海老名から被災地へ。直接支援活動ブログ

遺族の心に区切りを
『葬儀がないと遺族は心のけじめがつけられず前向きに生きられない。遺族が次に進むための一つのくぎりになれば』・・・仙寿院芝崎住職
同仏教会には現在、曹洞宗や日蓮宗、浄土宗など、宗派に関係なく18寺院が参加してます。各寺院には他宗派の犠牲者の遺骨も次々と持ち込まれている。芝崎住職は『少しでも多くの人が肉親を亡くした悲しみを乗り越え、復興に向けて踏み出せばいい』と話しています


私は祈ることしかできないと考えている方、こういうふうに考え方を変えてみたらどうでしょう?
『私は祈ることができる!』 





 

岩手県釜石市

釜石市身体障害者福祉センター 8名避難 ・・・食料不足

→本日 担当の中村氏と直接話をしたところ、ここ2、3日で落ち着いてきてるとのこと。個人宅や近くの避難所から分けてもらっているそうです

支援→食料がいつ尽きてしまうかという不安があるので、届けに行くこと決定しました


岩手県大槌町赤浜 

障害者労働施設ワークセロー 40名避難・・・食料不足

→赤浜小学校に届いた物資を他3箇所の避難所と全ての個人宅で分け合っています。


障害者、盲目の方用の杖1本

→岩手県、障害者福祉化の斉藤さんと話済み・・・避難所が分かれば持っていってくれるとのこと 解決です!


●山館力さん宅・・・山館さんを頼り、個人宅の被災者が食事を求め毎日5~15人は訪ねてくるそうです

支援→食料がいつ尽きてしまうかという不安があるので、届けに行くこと決定しました


避難所に物資は届くようになっていますが、全てに届くわけではありません。 自衛隊やNPO団体などはまず、大きな避難所にもっていき、あとはそこから分けていただいているようです 個人宅からも物資を求め避難所に沢山の被災者が訪れるため、全体的に食料が足りていないとのこと。


その他、現地で手に入らないものはこちらで調達していきます

●傘、(障害者が使うのでなるべく大きめ)

●ガスコンロ・ボンベ

●麺類


予定

●六本木ヒルズ内に入っているインド料理店から50人分のカレーを作ってくれるとのことで、現地と場所と日程を調整して提供する予定です

●別口で行く個人のボランティアによるアコースティックライブを予定してます(プロのミュージシャンです)

場所は船越大浦漁村センター




津波に襲われ加藤宏暉町長が死去。死者・行方不明者は4月9日現在、1600人超 


ここでは津波の被害よりも火災による被害の方が甚大で、町は戦後の廃墟のよう。 日本のみならず海外からの救急支援隊も初めてみるこの惨害に言葉失い、身震いしたそうです。 火の海が押し寄せたこの町は地獄絵そのものだったと被災者は語ってました。 

震災後、大槌町へ向かう主要道路は寸断され、その為に救援が遅れ住民の手で道路を復旧させたり、自衛隊のヘリコプターを誘導して患者を搬送するなど「独立精神」で避難生活を支え合っていました


海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

蓮乗寺・・・階段しか残らず全焼でした 住職はこの火事の中、位牌を全て外に持ち出したそうです。

      こちらの瓦礫撤去は大変喜ばれました。また住職にお会いできたら、瓦礫撤去をしたいと思ってます。


海老名カイロプラクティックセンターのブログ


海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

今回は5名の同志と共に被災地釜石を拠点に支援して参ります






ボランティア


●守破離カイロプラクティックセンター、長田院長 私の先輩です


●長田院長の友人みきさん・・・ボランティア経験有、先日まで大阪の同志と今後の活動についてミーティングしていたそうです  


●愛さん・・・ベトナムの枯葉剤被害者支援団体で一緒に活動していました 行動派!!


●三田村龍伸 弟、僧侶兼芸術家 







目的  


自宅避難者への支援、前回訪問したお寺の瓦礫撤去、仙寿院で施術した方々のメンテナンス、情報提供 etc






震災から1か月が経過しました。悲痛な思いを抱え先の見えない避難生活を送る人々のストレスは想像を絶するものです。そのストレスや悲しみを少しでも和らげることができたら・・・。






私がいた時に聞いた一つの声です


『俺たちがいつまでも被災者であってはいけない』




なんて強い人なんだろう!と思いました。私たちができることは何なのか?ってずっと考えてました。


皆さん、自分に何もなくなったらどうしますか?いつも配給だけを待ち、人任せの生き方になってしまったら?


年配の方に比べ、若者は悲痛な思いを抱えながらも前を向き始めています。




物資の支援も勿論大事ですが私たち個人が行政や大きなNPO団体がやっていないことをしていかなくてはならないと思うのです。上から下への支援ではなく、下から上への支援!


それは個人の尊重です。 人と人を繋げる仕事。各々のスキルを十分生かせられるよう支援していくこと。


今後の生活を直接支援していくのは難しいと思いますが、そのクッションになり、仕事や住む場所の情報提供は出来るはずです。被災地は情報不足なので質問されたら案内できるよう、沢山の情報を持っていこうと思っています。






前回ご縁があった被災者の方々と密に連絡を取り合っています。前回の教訓を生かし、皆さんの要望を出来るだけ取り入れ、出来る範囲で支援していきたいと思っています。





















4トントラック盛岡へ!


昨日の早朝、物資を載せたトラックが盛岡へ向けて出発しました。 2日前に搬入先のアポを取り済、確実に必要なものが必要なだけ運ばれる現地のボランティア付きです! 被災地から遠い所に住んでいる私たちにとってはありがたいサービスですね。 何かしたい!してあげたい!という強い気持ちが集まり、あっという間に450箱以上の物資が集まってしまいました。 お寺の機能が果たせないくらいに集まった物資ですが、今回のトラックで

ほぼ出すことができたことに、心より感謝しております


小山建設社長、池田さん、昨日の地震で東北道通行止めになり、下道で帰ってきましたね トンボ帰りの25時間以上の運転本当に本当にご苦労様でした!


中建様他2人、わざわざ横浜から出向いて頂いてありがとうございました。

 

ひとみさん、前田さん、毎回のボランティア感謝です!


(有)よつやの高橋社長、ドラム缶1本の軽油ありがたく頂きました。 配達まで感謝しております


海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

こちら仙寿院では約1000人の被災者が寝泊りしていました 境内に入ることもできず、被災日から数日は廊下でうずくまってかたまり、暖を取っていました。 

始めの3日がとても辛かったそうです。一日乾パン一枚、おにぎり一つを三人で分けてました。


1000人がトイレを使えばトイレはもちろん詰まります。 一人の20代の女性が腕をまくり、便器に手を突っ込んでその詰まりをとったそうです。それから、みんなでトイレだけは綺麗に使おう!!って決心したそうです

ホントに綺麗なトイレでしたよ ^^



私の仕事は炊き出し隊でこちらに参りましたが、余った時間でカイロプラクティックの施術を境内にいた皆様全てに奉仕させていただくことができました。 正直、こういった機会を頂き感謝しています



災害に遭われてから1週間は皆、下を向き、誰も笑うことがなかった被災者の方々 住職はただ、ひたすら笑わせようとようと努力したそうです。 だから、あなたがすることは、ただ、笑わせること。 そう言われました。


全てを失った人を笑わせるって・・・。 


住職がマイクで、『はい、こちらの方は皆さんにマッサージしてくれますよ!やって欲しい方は?』

何も言わないけど、みんな、にた~~っ って微笑んでいました ^^


やっぱり、皆さん体辛かったみたいです 我慢して、辛くても言えなったんですね。。。 

施術をしながら、一生懸命笑わせようとしましたが、目頭が熱くなりました。 でも次回行くときは必ず笑わせてみせます!! 



海老名カイロプラクティックセンターのブログ


海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

仙寿院から下へ下ったところの道です
海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

釜石港から2,300メートル入った4号線から仙寿院に行くまでの道のりです。

サイドに瓦礫が山積みになっていますが、道路は問題なく通れました


海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

仙寿院から釜石港に向けて下を見下ろした風景です。 こちらは何度もテレビで拝見しました
海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ


4号線です
海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ

海老名カイロプラクティックセンターのブログ