大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』にいずれ登場するであろう同時代の大事件『天明の打ちこわし 怒りの抗議が世を変えた! - 英雄たちの選択 - NHK』の『について

規律ある非常手段⁉”天明の打ちこわし”
田沼意次政権から松平定信政権へ
(『英雄たちの選択 - NHK』より)
打ちこわしにも、きちんとしたルールがある⁉
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』で蔦屋重三郎が活躍するその時代における庶民の生活で大きな出来事といえば、1787(天明7)年5月20日の江戸での「天明の打ちこわし」、今回はその理由・経緯・結果についてを知る回です。
打ちこわしにもルールあり‼ 規律をもって行われた⁉
”打ちこわし”と言えば、庶民たちが暴徒と化して、店を破壊し略奪の限りを尽くすようなイメージがありましたが、驚いたのはそうではなかったということです。
(『英雄たちの選択 - NHK』より)
なんとこういった決まりの下で動いていました。
・打ちこわしの前には、火の用心として火元になるところには水を掛ける。
・拍子木の合図で、打ちこわしを開始し、その合図で休憩をする。
・打ちこわしを行う店の人には危害を加えない。
・盗みを働いたものは仲間内で即座に打ち殺す。
従って、天明の打ちこわしは、「誠に丁寧、礼儀正しく狼藉に御座候」なんて評価が、悪いことをしているはずなのに、良いことしているのかしらなんて思ってしまいそうです。
これに対して、すでに『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』で蔦重と親交のある長谷川平蔵が対応にあたります。
打ちこわしに至る経緯:天明の大飢饉
田沼意次が老中にまで成り上がり、幕政の実権を握っていた時期ですが、天明の大飢饉が発生すします。すでに冷害に苦しんでいる中で、1783(天明3)年に浅間山噴火し、農業生産には更なる大ダメージが起こります。
(『英雄たちの選択 - NHK』より)
それだけにとどまらず、1786(天明6)年には大洪水が発生し、米不足が深刻化します。
(『英雄たちの選択 - NHK』より)
江戸の庶民は、例年なら100文で1升1合買えた米が1787(天明7)年正月から減り続け、天明の打ちこわし前日には、例年の4分の1の量しか買えない状態になります。
- 正月:6~7合
- 4月下旬:4合半~5合
- 5月上旬:4合~4合半
- 5月19日:2合半
つまり、米の値段が例年の4倍になります。
俸手振の1日の稼ぎは300文ということで、1日の稼ぎを全部米に使っても例年の7割の量程度しか購入できない状況になります。
幕府の対策と庶民の反応
幕府は、米を素人でも売買することを許して、流通量を増やして米価引き下げを狙う「米穀売買勝手令」を出しますが、これが投機目的で米の買い占めを引き起こしてしまいます。
そこで、商人による米の買い占めを禁止しますが、商人と旗本が結託して昇任は旗本に賄賂を贈り、旗本の屋敷に買い占めた米を預け隠す行為を行います。
ゲストの経済学者・飯田泰之さんによると、米が不足している状態で、「もっと米を売るべし」と「買い占め禁止」は、こんなことをすれば商人たちからすれば米の値段が高騰するのは容易に想像できることで、”幕府の物価政策はトンチキ”と評されました。
結局、物価高騰を招いただけの幕府の物価政策により、生活困窮に陥って絶望した庶民(店子)は、1787(天明7)年5月ごろから永代橋や両国橋から川に身投げするようになり、それを禁じられると隅田川の渡し船から身投げするようになります。
お救い米を求めるようになりますが、直接町奉行にそれを求められないので、町名主に幕府の御救い米実施を求めることになります。一方の不穏な空気を察知している町奉行は町名主に庶民(店子)の監視を命令します。
(『英雄たちの選択 - NHK』より)
今回の選択は、庶民(店子)と町奉行に板挟みにされた町名主たちの選択です。
- 庶民の願いの「お救い米」を願い出る
- 町の者たちをなだめて騒ぎを防ぐ
町名主は、5月18日、町奉行に嘆願書をもって「お救い米」を願い出ます。しかし、幕府が出したのは米を時価で売り渡し、大豆食を奨励するという策でした。この時価のせいで米価が20%値上がりしてしまします。時価のため当然の結果を招きます。
しかも、北町奉行・曲淵景漸の「昔、飢饉の時に犬を食べたことがある。今回も犬を食え(よしの冊子)」なんていう発言まで記録される始末です。
フランスのマリー・アントワネットを思い起こさせるような発言ですが、洋の東西を問わず、為政者が庶民の生活苦が分からず、とんちんかんな主張をしてさらに怒りを買うっていうのがあるんだということが分かりますし、今のコメ不足の政府の対応の遅さも、ここに通ずるものがあります。
庶民爆発!天明の打ちこわしが政権交代を実現⁉
1787(天明7)年5月20日、庶民(店子)は、町名主を通じて町奉行から幕府に自分たちの願いを聞き入れてもらう正路ではダメだったので、自分たちの生活の成立(なりたち)を保障できない為政者に対し、”打ちこわし”という非常手段に訴えることになります。
5月20日、赤坂と深川で始まった打ちこわしは、21日、22日と地域を拡大し、1000軒に及ぶ商店が打ちこわしにあい、米俵が破られて米が巻き散らかされます。
(『英雄たちの選択 - NHK』より)
この打ちこわしを受けて、幕府はようやく「お救い米」を実施し、20万両で商人から米を買い集めて、庶民に安価に売ります。
この当時、幕府内には田沼派と反田沼派の対立がありました。
1786(天明6)年8月25日に10代将軍徳川家治が亡くなり、その2日後に彼の下で最高権力者であった田沼意次は老中を辞任することになります。その次に登場するのが松平定信ですが、この打ちこわし当時は田沼派が十分に力を残し、反田沼派が追い落とそうという権力闘争が繰り広げられていました。
打ちこわしにまで発展してしまったことから、北町奉行・曲淵景漸は解任され、田沼派の御側御用取次の横田準松は失脚、6月に反田沼派の松平定信が老中となります。”天明の打ちこわし”という民衆の蜂起が田沼意次政権から松平定信政権への政権交代を実現したという見方が提示されていました。
松平定信は会津白河藩の藩主として、東北地方の飢饉のときにその対応で餓死者を出さなかった手腕が買われていたので、この天明の打ちこわしにはまさにうってつけの人材難だと思います。
老中・松平定信は、癒着や賄賂を厳しき取り締まり、酒の製造を3分の1に制限し、町会所(米蔵)を設置して米の備蓄を進める取り組みを行いました。このおかげで次の天保の大飢饉では、江戸で打ちこわしが起きませんでした。
災害時の備蓄に対する考え方として、松平定信の取り組みはいまでも通用するものなんだと思います。
ここらへんのことが、大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』でどう描かれるのか分かりませんが、昨今の米不足と米の値段上昇。それに対する政府の備蓄米放出を渋り続けて、ようやく重い腰を上げそうになっている状況を見ると、政権交代するくらいのことがないと目が覚めないんですかね今の自公政権はと思いたくなってしまいます。