藤式部(まひろ)には考えを語る中宮彰子様、その導きで一気に爆発的な覚醒をなさった『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第35回「中宮の涙」について
藤式部の導きで、中宮彰子様のいきなりの告白!思わず撃ち抜かれた一条天皇、ついに道長の願いが叶う。
自分を抑え、感情表現や思いを伝えることをしてこなかった中宮彰子様が、藤式部(まひろ)との『源氏物語』についての会話からの導きで、やってきた一条天皇に一気に感情を爆発させて、一条天皇の心をズキュン!と撃ち抜いたのには驚きました!
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、中宮彰子のいきなりの告白とそれに撃ち抜かれた一条天皇(C)NHK)
話は、1007(寛弘4)年のことになります。道長は、娘の中宮彰子が一条天皇に全く手を出されないことのあまりに、御嶽詣することを決めて、息子の頼通や源俊賢とともに吉野の金峰山に向かいます。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、御嶽詣で経文を山上に収める道長(C)NHK)
ここで、その道中で道長を暗殺しようと藤原伊周が動きますが、そのことに気づいた弟の隆家に阻まれて、未遂に終わり、道長は無事に帰京します。現状を受け入れられない伊周と現状を受け入れる隆家のすれ違いが理解し合えない兄弟の不幸として描かれているようです。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、御嶽詣の道長暗殺を実行しようとした伊周(C)NHK)
私も20年前くらいに、吉野の金峰山には山伏の修行で3度ほど登り、山上の宿坊で止まったことがあります。その前の1週間ですが精進潔斎で、酒・肉・魚・たまご・異性などを断って臨みました。山道を歩き、。切り立った崖に鎖がつるされていて、それを握って登りました。ある時は日没になってしまい、真っ暗の中を手探りで進んだこともありました。すでに現代でいうと糖尿病である飲水病にかかっていると思われる道長にとっては大変厳しかっただろうと思います。
中宮彰子様が藤式部(まひろ)に『源氏物語』についての考えを述べ、そこで藤式部から、自分が本音を語らずにいる中で、その漏れ出ている本音のことや、一条天皇への想いを表現して伝えることを言われていたところに、一条天皇が敦康親王を尋ねて、二人の下にやってきます。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、敦康親王に会いに来た一条天皇(C)NHK)
このとき、急に中宮彰子様は一条天皇への想いの丈を爆発させるように、泣きながら「お慕い申し上げております」と伝えます。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、中宮彰子のいきなりの告白とそれに撃ち抜かれた一条天皇(C)NHK)
一条天皇からすれば、ほとんど自分に目を合わせようとせずにいた中宮彰子の不意打ちのような告白に、心を撃ち抜かれてしまったようですが、驚きの余り帰ってしまいます。藤式部としては、いきなりの中宮彰子様の振舞に「しまった~」なんて思ったのではないでしょうか。
しかし、これがうまくいき、一条天皇は道長に御嶽詣での効果を尋ねられた後に、道長に中宮彰子に会いに行くことが伝ええられます。二人はようやく結ばれることになります。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、敦康親王ではなく彰子に会いに来た一条天皇(C)NHK)
ようやく念願の一条天皇の中宮彰子への御寵愛がかなった道長は藤式部とともに月を見ながら官衙にふけります。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、月を見る道長と藤式部(C)NHK)
これで話が終われば、ハッピーなんですが、その二人の姿をのぞき見している女房が・・・この女房から何らかの噂がたてられ、藤式部にひと悶着ありそうな終わり方です。
このメインの流れとは異なる面白いところとしては、のちに中宮彰子様のところで仕える同僚女房になる和泉式部と藤式部の交流です。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、亡き親王達との恋を日記として書くことを提案する藤式部とその提案を受けた和泉式部(C)NHK)
為尊親王&敦道親王兄弟と恋に落ちるも二人とも若くして死んで、死別になってしまったのでその恋を悲しんでいる和泉式部に。藤式部が藤原道綱母が兼家との関係を描いた『蜻蛉日記』のように、親王との恋を書くことを提案します。これが『和泉式部日記』につながっていくという描かれ方で、今回は、清少納言の『枕草子』にしろ、和泉式部の『和泉式部日記』にしろ、まひろからの提案という描かれ方になっているのが印象的です。