3月10日放映の『光る君へ』の第10回「月夜の陰謀」で出家退位した花山天皇について歴史書の『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』で見ていきたいと思います。
「寛和の変」藤原道兼に騙される形での出家・退位した花山天皇
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で出家退位した花山天皇(C)NHK)
花山天皇の出家・退位事件”寛和の変”
『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』ではどのように記録されているのでしょうか、それを見ていきたいと思います。
花山天皇は、冷泉天皇の第一子で、第66代天皇として984(永観2)年に17歳で即位します。19歳の時の986(寛和2)年6月22日に誰にもお知らせせずに花山寺(元慶寺)にて出家入道したと記録されています。天皇の治世はわずか2年ほどでしたが、法皇としてその後22年間生きられ、奇矯や乱行な所業で話題を振りまく方です。
”寛和の変”について
道兼に連れられてご出家された事件を”寛和の変”と言います。
道兼は、花山天皇につねづね天皇がご出家の節には、私も剃髪し、お弟子としてお仕えしましょうと言っていました。
986(寛和2)年6月22日の夜、花山天皇が外へお出ましになったところ、有明の月がとても明るかったので、
「 中止にしようか」
と言ったところ、
道兼(粟田殿)が、
「中止にすべきでないこととすでに帝位の御しるしの神璽や宝剣は東宮(兼家の孫の懐仁親王)の方にお渡りになってしまった」
ことを伝えて、急き立てたそうです。
『光る君へ』では、道隆や道綱がそれらを東宮(懐仁親王)のもとに運んできますが、大鏡によると、道兼の方で花山天皇が出ていく前にすでに東宮(懐仁親王)のところに渡してしまったとの記録になっています。
やり取りの後、つねづね破り捨てずに残しておいた弘徽殿の女御(忯子)のお手紙のことを思い出し、それを取りに入ろうとしたとき、道兼(粟田殿)は、「いまの機会をおはずしになったら、ひょっとしたらご出家のじゃまも出てまいるであろう」とそら泣きして、花山天皇を連れ出すことに成功しました。
一行が安倍晴明の家の前を過ぎると、晴明自身が占い通りにご退位が実現されたので、参内して奏上しようと声を挙げたそうです。大鏡でも安倍晴明がこの件に絡んでいることが分かります。
花山寺(元慶寺)にて、花山天皇が出家されたとき、道兼(粟田殿)は
「父の大臣(兼家)にも出家前の姿をもう一度見せ、天皇のご出家のお伴いたします事情を告げまして、きっと戻ってまいりましょう」
と申し上げなさって、家に帰ってしまいます。
花山天皇は、だまされたとおっしゃってお泣きになられました。
藤原兼家は、わが子の道兼が剃髪させられる羽目にならないようにと、武力に優れた源氏の武者たちをご警護として付けられていたそうです。
『光る君へ』でも、見事に道兼に裏切られる花山天皇が描かれていました。弘徽殿の女御(忯子)のお手紙のことや、道兼が出家を断るところは少し違っていますが、大筋としては藤原兼家と安倍晴明が計画を練り、実行役として道兼が活躍した様子がうかがえます。