#415 TVアニメ『まんが日本史「源氏の旗あげ-源頼朝と東国武士』の感想 | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の源平の合戦と源頼朝と義経の兄弟の関係についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想
 

武家政権実現のために自らを頂点とした君臣関係を重んじる源頼朝とそれが理解できずに排斥される”戦の天才”源義経

(『まんが日本史』より「源平の合戦-義経の奮戦と平氏の滅亡」タイトル画面)
 

  義仲入京→義仲滅亡→義経・範頼入京→平氏滅亡と一気に

前回は頼朝は富士川の戦いで平家を打ち破り、義経と再会を果たすも坂東武者らの提案で東国を固めることを決めた源頼朝と、木曽から挙兵して快進撃で平家を打ち破り続けて京近くまできて、平家一門を都落ちに追い込んだ木曽義仲という状況からスターです。

 

木曽義仲が入京を果たしますが、乱暴狼藉を働くので後白河法皇は頼朝に義仲追討させようとします。頼朝はそれよりも東国の支配権を認めれば、荘園は元通りにするし、東国からの年貢も確実に届けるようにすると交渉して認めさせます。

 

頼朝は二人の弟の源範頼と義経を義仲追討に差し向けます。

(『まんが日本史』蒲冠者範頼と義経兄弟)

キリっとした美男子義経と、なんか凡庸な感じの範頼という感じを受けます。

 

この二人により義仲が討たれ、入京した範頼と義経は後白河法皇から三種の神器と安徳天皇を連れ去った平家追討と三種の神器を無事に取り戻すことを命じられます。

(『まんが日本史』より、三種の神器:八咫の鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉)

(『まんが日本史』より、鵯越の逆落としをしようとする源義経)

平家がいる一ノ谷を東側より総大将の源範頼軍が攻め、源義経は鵯越の逆落としを敢行して討ち破ります。このときに平敦盛が熊谷次郎直実に討ち取られるあの悲劇が描かれています。

 

その後、京に戻ってきた範頼と義経、後白河法皇は義経を京都の治安を守るための役職の検非違使に任じます。これが源頼朝を通さずに朝廷から官位を得てしまったというわけで、頼朝の逆鱗に触れます。頼朝は範頼のみに屋島に逃げた平家追討の続きを命じます。

義経の無断任官が頼朝との対立の原因という描かれ方です。

 

最近では、この検非違使任官はそれほどのことではないんではないかと、のちに頼朝が朝廷に義経を伊予守に任官させるも、その時に義経は検非違使も兼ねてしまったことが、頼朝の指示に従わないとみられたという見方も提示されています。

(『まんが日本史』より、頼朝から平家追討軍を外され不機嫌な義経と静御前)

義経は頼朝のこのやり方に大いに不満を示すとともに、自分でなければ平家追討はできないと発言します。実際のその後の展開については源範頼は本州をずっと西に攻め下るもうまくいかず困ってしまい、源頼朝は北条時政の説得でやむなく源義経を出陣させます、

 

義経はここでも暴風雨を衝いて無理やりに本州から四国に渡り、平家の屋島を攻撃して、みごとに勝利を収めます。あの有名な那須与一の逸話も描かれていました。

(『まんが日本史』より、有名な那須与一の海の上の扇子を弓矢で落とすシーン)

 

壇ノ浦の戦いが行われ、ついに平家滅亡となります。この時の勝因として、平家方の阿波民部が裏切って、安徳天皇らがいる船を教えて勝利につなげたという描き方になっていました。

(『まんが日本史』より、壇ノ浦の戦い&天叢雲剣と安徳天皇を抱いて入水する二位尼)

勝利するも義経の失策としては三種の神器のうちの天叢雲剣を取り戻せなかったことでした。

 

義経の無断任官や三種の神器を取り返しそこなったことから、源頼朝は義経が鎌倉に入ることを許しませんでした。

(『まんが日本史』より、北条時政に鎌倉入りを止められる義経&腰越で腰越状を書いた義経)

腰越にて、義経は弁明の手紙を大江広元を通じて源頼朝に提出しますが、頼朝は許しませんし、義経の領地を取り上げることすらします。

 

義経は平家を打倒したのに、勲功も伊予守程度のことや、頼朝の仕打ちに大いに怒って京に戻ることになります。

 

頼朝と義経について

この番組の特徴の一つが、お母さんらしき人(もしくは先生)が、二人の子ども(男の子・女の子)の素朴な質問に対して、結構辛口目に評価を下すことです。

今回は、子ども達から、

 「なぜ兄の頼朝は弟の義経にあんなにひどいの?」

から始まります。

       <頼朝が義経にひどい理由>
武士団の棟梁として頼朝は鎌倉に武士政権を作りたい。
武士団が勝手に朝廷から官位をもらっては、武士政権のトップとして示しがつかないからダメなのに義経はもらった。
義経は、戦の天才だけどここらへんのことが分からなかった。
頼朝は、義経が後白河法皇に利用されているあたりの事も知っていた。

 

同時代頃の世界史

もう一つの特徴が、最後に同時代史的に世界史のネタが挟まれています。

(『まんが日本史』)

今回は、サラディンがシリア・パレスチナ・エジプトなどのエリアをまとめたアイユーブ朝のことや、ヨーロッパのキリスト教勢力が聖地イェルサレム奪還で戦った十字軍を通して、現地で知った石造りの城をヨーロッパでも採用されたとのことでした。

 

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