今年は父親が亡くなってから16年経ちます。
(去年間違えて17回忌の法事をしました滝汗
だんだん年数が微妙になってくるのでしょうか。
母親はまた来年もやればいいよね、というので今年もやると思います。細かい事にこだわらないところはいいところ?)



私の父親は突然亡くなりました。
死因は心筋梗塞?だったかな。


その亡くなる日まで、私は父親のことが大嫌いのままでした。
前にもブログに書きましたが、本気で「死ねばいいのに」と何度も思っていました。


その亡くなる日の前日あたりに、たまたま近所のスーパーで買物をしている時(まだ小学生だった子どもを私は連れていました)
私の父親と母親にバッタリ会いました。


きっと、普通の親子なら楽しく孫を囲んで談笑するのでしょうが、私は「ゲッチーン会いたくない」と思ったので、軽く挨拶してその場をそそくさを退散しました。
(私の子どもに触れて欲しくないと思ってました。避けるように退散した感じですね)


ちなみに私の子どもは、じぃさんもばぁさんも大好きです。
娘に関しては世の中のじぃさん、ばぁさん全てが好きなようですニコニコ
(心の中では、子どもにも親にも悪ことしてるよな、と思いつつも、どーにもならない自分がいましたね)


子どもはじぃさんに会ったのはそれが最後でした。
(なのでとても後悔しました。なんで会話もさせてあげなかったんだろう。孫と話したかっただろうな。子どももじぃさんと話したかっただろうな。と)


その次の日あたり?だったかな?
私は使っていない自転車をもらいに、午前中実家に行きました。(実家は私の家から徒歩で5分くらいです)



父親だけがいました。


黙って持っていくのもアレだから、「この自転車しばらくもらうよ」と、玄関から家の中に向かって声をかけました。


しばらくして父親が出てきて「そうか」と言って、黙ってタイヤに空気を入れてくれました。


その後、ろくに父親の顔も見ずに自転車に乗って私は帰りました。


その日の午後息子を習い事に送り、娘とそれが終わるまで、近くのお店に入ってお茶をしてました。


そしたら、私の携帯が鳴りました。

私の姉からです。(姉は私の両親と同居してます)

「さっき、お父さんが救急車で運ばれて〇〇病院だから」と。
姉の口調は落ち着いてはいましたが、どうやら父親の意識がないようなことが伝わってきました。

電話を切った後、頭の中が整理できませんでした。

父親(私の娘から見たらじぃさん)の意識がないことを、娘に上手く言えませんでした。
「意識がない」と口に出すのが怖かったのだと思います。


次に私の妹から電話がきました。
妹は半泣きで「お父さん大丈夫かなぁ」と。

とりあえず、私も妹も病院に行かなくては。

頭の中で「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせて、まずは習い事中の息子を迎えに行きました。

その後の細かいことは覚えていないのですが、病院についた時には父親は息を引き取っていました。


(私が自転車を取りに行った後、父親はプールに通っていたので、ひと泳ぎして自宅に戻り、自分で水着を脱水して干した後、コタツで横になり、そのままあの世にいったようです。持病を持っていたので色々あったようです。後から聞いたら)



私は「自分はこの父親が大嫌い」と思っていたので、誰よりも冷静にいられるかな。と思っていました。


その日から、告別式まではそれぞれの旦那達(姉、私、妹の)が中心となって、事務的な事を進めてくれていました。頼りになる旦那達です。


1週間くらいは告別式まで、時間があったと思います。

毎日、実家に行きました。
まだ生きているようなんですね。
布団で父親は普通に寝ているようにしか見えませんでした。


出棺をする前に、父親の体のどこかを濡タオルで拭くように、葬儀屋さんから言われました。
(なにか儀式の一貫のようなことを言っていたような…)


そこで父親に触れたとき、死後硬直で体が硬くなってて、はじめて(あぁ、死んじゃったんだ)と思ったら涙が止まらなくなりました。

それと、人の体が硬くなることが日常では体験することがないせいか、怖くてあまりさわれなかったのを覚えています。
さわることにより、嫌でも死んでしまったことをわからなくてはならないような感じ。

私はどこかで、父親が亡くなったことを受け入れられないでいました。


そして、私は父親が亡くなっても泣かないと思っていました。
なのに、勝手に涙が出てきてしまいます。
しかも止められません。

自分でもよくわからない感情と家族の前で泣きたくないのとで、泣く事を必死にこらえたのですが、どーにもなりません。



その後、お通夜、告別式と続きます。