昨日過去にすれ違い、仲違いした人に謝りたいなと考えていたことの続き。





最近、村松大輔さんの量子力学の本を知って、


量子力学的パラレルワールドというのは、


自分が「許せない周波数」の時、過去も未来もそのフィールドで続いていくが、


「いいよ」とか「許そう」とか、


「ごめんね」「ありがとう」の周波数に、


「今」なってしまえば、過去も未来もそのフィールドで生きていくことになるらしい。


過去も、というのが不思議だけども、なんだか分かる気もする。


過去の自分の未熟さとエゴに反省し、優しい器で謝れたら(直接会えなくても)、なんだかあんなに傷付いて、腹を立てて、怒りに震え、悲しかったことが、


本当は相手の良いところとか、お互い未熟で上手くできなかったんだよな、とか人間の可愛さに思えてきて、全然違った映像が見えてくる。


「私は悪くないのにあっちが悪いのに何で謝らなきゃいけないの!」


って思っている時は、やっぱり相手のそういう側面しか見ていない気がする。

(むしろそういう側面を自分で引っ張ってきている)


嬉しいエネルギーの時は嬉しいパラレルに生き、


むかつくエネルギーの時はむかつくパラレルに生きてしまう。


ただ日々エネルギーは揺れるから、それに気付いたら望むパラレルに常に戻ってくれば良い。


本人の意識で生きる世界が変わってしまうのってただただ勿体無い。


謝ることはやっぱり相手の為ではなく、自分の為。


自分の中に罪悪感が溜まっていくと、自分が自分のことを好きになれない。

(罪悪感も持たなくなっている人って本当に麻痺しているか、多分気付いているけど蓋をして誤魔化しているだけだと思う)


素直に謝ることで罪悪感が消化、解放されるから、自分のことをまた一つ好きになれる。


自分のこと好きになる為に謝る、と思えたら、


これからも素直になれそうな気がする(…怪しい←)


傲慢で小さな器で罪悪感を抱えたまま自分を誤魔化しながら生きるのか、


自分にも人にも正直に快活に良心に沿って生きるのか、


自分が「どう在りたいか」「どういうフィールドで生きたいか」


パラレルは常に選べる。


常に移動できる。


「自分の為に」意識を変えよう。


今日もお風呂瞑想をしていたのだが、


その時間だけでも私の望むパラレルに合わせて、


たくさんの人に「いいよ」「ごめんね」「ありがとう」を言えた、今日の寝太郎。


おやすみ寝太郎。夢の中でも自分の望むパラレルに常に生きよう。