ここ最近compassionという言葉が目に入ることが連日続いて、
これだけ見るってことは何らかのメッセージなんだろうなと思っていた。
日本語のニュアンスに訳すのが難しい単語らしく、簡単に言うと「思いやり」や「同情心」
私はそれよりも「心を寄せること」や「慈悲の心」
の方が、しっくりくるなぁと思った。
そしてその通り、それらを考えさせられる現実に直面していたので、
「あぁやっぱりか」と思った。
compassionの語源はラテン語で、
「com=ともに」「passion=痛み」
という意味らしい。
なるほど、本当にそんな状況での学びの渦中で、
友人に不都合な現実が起きて悩みを相談され、私なりに「その人の立場になって」「痛みを感じ」「一緒に考える」ことが先日あった。
そこに余計なアドバイスはいらないと頭では分かってはいながら、結局最後の最後は余計なおせっかいアドバイスしてしまったかな…と後悔していた。
まぁそれは、受け取る側の考えることでもあるので、本人しか分からないし、それ以上タラレバを言ってもしょうがない。
…とは思っているのだが、
やっぱり自分の人生によく起こってくるパターンなので、課題なのだと思っているし、なかなか切り離すことが出来ない。
ただ今までは相手のリアクションが気になり、うじうじしていたが、
私なりの「compassion」を表現したのであり、誠実に精一杯向き合ったのだから、
もっと堂々としていよう、と思った。
もう自分を責めるのはやめよう。
相手に心を寄せることばかりでなく、自分自身にも心を寄せてあげられるように。
そして知らなかったのだが、何やらself-compassionという用語が心理学の世界であるらしい。
要約すると、「米国テキサス大学のクリスティン・ネフ准教授が提唱するもので、「self=自分自身」と「compassion=思いやり、慈悲」を合わせた言葉。愛する人に対する思いやりや、労りと同じ気持ちを自分自身にも向け、状況に関わらず自分を素直に受け入れること」
とのこと。
なるほど、やはりそれが今の私に必要なメッセージだったのだな、と。
もうちょっと自分にも慈悲の心を寄せて、今のありのままの自分を受け入れてあげよう、と思った。
そうするとふと、心が軽くなった気がした、今日の寝太郎。
おやすみ寝太郎。夢の中でも self-compassionしてあげよう。