またまた近頃ようやく分かってきた話。
昨日すぐに答えが出ないことにも意味があるんだろうな、という話を書いたが、
それに繋がる話で、
人は大なり小なり、やりたいことや叶えたいことがあるものだけど、それに向かう時、結果にフォーカスして考え過ぎてプロセスを味わうことをすっ飛ばすことがある。
分かりやすく目に見える結果に固執して、今を味わいきれないまま。
当たり前にあると思っている普段の日常の有り難み、合理的に旅行の目的地に着くことだけを考えてその道中を楽しもうとしないこと、結論だけ見たり聞こうとして倍速にする動画、その人の条件だけ見て無理だから時間のムダだしもう次行こう…etc
だけど過去を振り返ったら、人生の喜びはやっぱりそこにあったのに。
その時は苦しい苦しい大変だと思って努力していたことすらも、結局その時間が楽しかったんだな、と今は思う。
それは楽しい思い出だけではなくて、むしろ辛い、悲しい思い出の方が多いのに。
結局その色々な感情を味わって歩いていくことが、この人生で体験したかったストーリーなのではないかと思うほど。
もちろん結果は結果として大事なものだけど、それは後から付いてくるもの。
ビジネスやスポーツだってきっとそう。
「その時」を全て味わい尽くして生きなければ、遠くのものだけ見ていても、喜びはいつまでたっても湧いてこない。
すぐに答えが出ないことも意味があって、今は分からないまま、葛藤しながら、そんな時期を過ごすことが必要だから起こっているのだ。
目に見える大きいことやいいことだけ活かせるなんて簡単で、痛いこと、苦しい時期にその時に感じた感情、学んだこと、それらが結果として未来に繋がっていく。
その苦しい時期だって、だからこその喜びや感謝だって沢山あるわけだから。
それがその人の人生を輝かせるのだ。
それに気付いて、今を味わう。
それこそが、この世で体験したかった、人生の醍醐味のような気がしている。
今日いつもの代わり映えのない風景を散歩しながら、
「あれ?実はこの時間、この景色さえも、本当はとんでもなく豊かで、当たり前じゃなくて、もっともっと味わうべきものなんじゃないか?」
と、ハッとした。
帰り道は、まじまじと色んな角度から風景を見て、いつもよりゆっくり歩いた、今日の寝太郎。
おやすみ寝太郎。夢の中でも今をしっかりと味わおう。