春眠暁を覚えず。


寝太郎は万年寝太郎。


また最後の冬眠をして起きたら、気付いたら4月になっていました。やれやれ。


そんな寝太郎も数日お江戸でアウトプット活動をし、寝太郎の万年床に戻ってきました。


すやすや。すやすや。


ただでさえいつも寝ているというのに、旅のお疲れ、そして春のぽかぽかでいつもに増して深い眠りに落ちていました。


春眠暁を覚えなくていい。


起きるまで、寝てよう。


さあみんなも!


なんて。


みなさま、お疲れさまです。


季節の変わり目、環境の変化、春の忙しさ、体調に気を付けましょう。


そして話は変わるが、ここ最近一番心に残った話。


それなりに人生経験を重ねて、嫌なことも、苦しいことも色々乗り越えてきたつもりだけど、その何か自分にとって不都合な出来事が起こった時に、経験値として「すぐ深掘り、内省、分析して切り替えようとする癖」がついてしまっていて、


「この出来事は私にとってどんな意味があるんだろう?」


と、感情を感じる、味わうことなく、すぐ思考でコントロールして、それなりに「あぁこういうことだろう」という目星をつけて(そういうことにして)自分に言い聞かせようとしていた。


だけどそれでは、スッキリはしなくて、むしろモヤモヤが残って、それが解消されないまま長引いていた。


ここ丸一年ほど、モヤモヤと引っ掛かっている事案があって、おかしいな?自分の中で納得して浄化されたはずなのにな?と思っていた。


でもようやく、一年経ってフッと気付いたことは、やはり感情は感情で、その時にしっかりと感じなければいけなかった。


自分に「感じさせて」あげなければいけなかった。


自分でも面食らうほど、言ってしまえばしょうもない出来事で、まさか大人になってまでそんなこと経験するとは、世の中にはそんな人がいるんだ、そこに動揺して反応しては向こうの思うツボだ、そうしたらあの相手と同レベルになってしまう、ここは堪えてないフリをして飄々と過ごそう、あぁきっとこれはここにいてはいけないというメッセージだな、離れなさいというサインだな、きっとその為に起こったんだ。


そうやってやり過ごした。


終わったことだと思っていた。


ただ、やはり傷付いてはいたのだ。


そんな自分に蓋をして見て見ぬふりしたから、ずっとモヤモヤやしこりが残って、結局解消されないまま長引いていた。


結局感情も御座なりにしては、いけない。


遅かれ早かれ、溜まっていたものが溢れだす時がくるのだから。


傷付いた自分を認め、「ほんとは傷付いていたよね」


「傷付いていたのに、大丈夫なフリさせてごめんね」


「今度からはその時しっかり感情を吐き出させてあげるからね」


別にそんなしょうもない相手に言う必要もなければ爆発する必要もないけど、少しは仲の良い人を頼ったり、少なくとも自分自身にだけは吐き出させてあげればよかった。


そんなにその場ですぐ切り替える必要もない。


一旦しっかりと傷付き、自分の感情を感じ切って吐き出させてあげてから、切り替えるのはそれからでいい。


大人になるにつれ、すぐに立ち直る、切り替える術を身に付けてしまったばっかりに、感情や感覚を麻痺させる癖がついていた。


そんなことに、そのモヤモヤと一年付き合って気付いた。


「この出来事は私にとってどんな意味があるんだろう?」とすぐ意味を求めることも、無意味だということも。


その時は分からない。


そんなすぐ、分からない。


分からなくていい。


後から、年月を重ねて、分かるもの。


ただやるべきことは、しっかりと感情を感じ切って、傷付いた自分を労って、その上で前を向こう、ということをやるだけ。


出来るだけ嫌な思い出に振り回されないで、目の前のことに集中して自分が機嫌よくいるだけ。


そうしていったら、いつの日にか昇華され、気付いたら忘れてた、ということになる。


…あ、嘘かもしれない。忘れないかも(←)


まぁそれは結果論で、それもまた分からない。


ただその頃には、「あぁ、あの時の経験はここに繋がっていたのか」と乗り越えられていて、


その時初めて、その起きた出来事の意味が分かるのだろう。


だからそうやって思考で考えすぎず、自分の感覚や感情に素直になって、自分に寄り添ってあげる。


大人になって、社会人になったら特に、そんなことしたら自分が崩れちゃいそうな気がする…と思って傷付くのを怖れてコントロールしていたのだな、と分かったが、


今は「そんなことしなくても、大丈夫。崩れないよ。素直に感じて、ちゃんと傷付いて、自分の中の強さに、愛に気付いて、それからまた立ち上がれる。乗り越えられるよ」


と声を掛けてあげる。


感情に蓋をしてコントロールするのが大人じゃなく、それが出来るのが本当の大人な気がする。


少しずつ、少しずつ、出来るように。


なんて一年の学びを振り返って、そんなことを考えていた今日の寝太郎。


おやすみ寝太郎、明日も今感じることを大切にして、ぽかぽか春うららを味わおう。