萩尾望都の諸作品のテーマと継承 -9ページ目

萩尾望都の諸作品のテーマと継承

萩尾望都の諸作品の解釈とテーマやモチーフの継承について、萩尾望都作品論。

「残酷な神が支配する 1」の続きです。




 

<ナディアとマージョリー>


「残酷な神が支配する」では、3組の兄弟・姉妹が、対照的な性格で描かれます。


イアンの女性の恋人ナディアと、ジェルミを愛しているマージョリーは姉妹です。


姉のナディアは普通にいい子を演じられる人物であるのに対して、マージョリーは天真爛漫です。
また、姉は母から厳しく批判ばかりされるのに対して、妹は甘やかされています。


この姉妹の対照性のモチーフは、「半神」や「イグアナの娘」の姉妹から継承しています。
ですが、「残酷な神が支配する」の姉妹の違いは、姉だけでなく、妹にも母の問題が引き継がれている点です。


姉妹の母クレアは、子供時代にいじめに合って育った人物です。
そのため、マージョリーが手術をする際に、子供時代のいじめを思い出して悲鳴を上げてそれを止めようとしました。


そのために、マージョリーは悲鳴を恐れるトラウマを持ち、そのせいで、死にかけました。
また、自殺マニアのスプラッターで、自意識に不安定さを抱えています。
つまり、マージョリーは、母のかかえるトラウマを受け継いだのです。


この二人を通して、ジェルミとイアンは、母、あるいは、親が子供に与える影響について自覚することができたのでしょう。

 


<エリックとバレンタイン>


ジェルミの知人のエリックとバレンタインは、兄と妹の双子で、顔がそっくりです。


エリックは異常なほどに天真爛漫、奔放で常識的な判断力が足りない性格で、一方のバレンタインは真面目な性格です。


顔がそっくりな双子で性格が対照的というモチーフは、「11月のギムナジウム」のトーマとエーリク、「半神」を継承しています。


バレンタインはエリックのことを自分の「神」と語っている点も、「半神」を継承しています。
また、二人が「分離(別居)」に至る点も、「半神」と同じです。


バレンタインは、エリックとの近親相姦で出産した子を殺して、その罪を一人で引き受けます。
そして、エリックと別れて暮らしています。


ですが、エリックは、「バレンタインが殺すなら僕も殺す。バレンタインが悪いなら僕も悪い。バレンタインが泣くなら僕も泣く」と、バレンタインに言いました。
つまり、バレンタインのすべてを共有し、罪を自分も引き受けると言ったことで、彼女を救いました。


この点では「半神」と異なり、その続編的側面があるとも言えます。


ですが、バレンタインは、自身の自我の確立のために、エリックと会わないことを決意します。


この二人を通して、義兄弟の関係にあるジェルミとイアンは、兄弟が互いに与える影響について、自覚することができたのでしょう。

 


<イアンとマット>


イアンには、マットという弟がいて、この兄弟も対照的に描かれます。


イアンが父から愛され、イケメンであるのに対して、マットは父から嫌われる、イケていない人物です。


ですが、イアンが家庭内の表面的な姿しか見えなかったのに対して、マットは裏の真実を直観していました。


親の評価、美醜が対照的な兄弟・姉妹というモチーフは、「半神」、「海のアリア」のコリンとアベル、「イグアナの娘」から継承しています。

 


<4つの幻想的な体験>


「残酷な神が支配する」では、物語の終盤で、つまりは、救済に向かう中で、ジェルミとイアンが4つの幻想的な体験をします。


1) 生み、生んでもらう幻想


ジェルミとイアンがベッドにいて、二人で「海」の中にいる幻想を見ます。
ジェルミは海中で丸まっていますが、「母」の愛に包まれて、「子宮」の羊水の中にいる胎児になった幻想です。
ジェルミは、イアンに「ぼくを生んで」と言います。


イアンは、それから日が経った後の下記の4の後で、ジェルミを抱きしめた時、ジェルミを生んだことを感じます。


これは、根源的な肯定的な愛に触れて、それによって再生したことの表現です。


「海」や「子宮」のモチーフは、「マージナル」や「海のアリア」から継承しています。


また、男性であるイアンがジェルミを生んだことは、「スター・レッド」のヨダカが死んだセイをジュニア・セイとして復活させたこと、「マージナル」のキラが受胎したことを継承しています。

 


2) 鳥になって空高く飛ぶ幻想


ジェルミが、海岸で空を見上げながらイアンに抱かれていて、空高く飛んでいる鳥を見た時、自分に翼が生えて空高く飛ぶ幻想を見ました。


これは、「錬金術的な愛」の体験で、ジェルミは「翼」を持つ「エロス」になったのでしょう。


「翼」や「飛行」のモチーフは、萩尾作品に多く見られるものです。
もちろん、この「翼」は、「小鳥の巣」のロビンが欲し、「トーマの心臓」のトーマとエーリクがユーリに渡した「翼」です。

 


3) 天の星々が頭から体に入って出ていく幻想


2のすぐ後、イアンが夜空を眺めていて流れ星を見た時、星々が頭から体に入ってきて、出ていく幻想を見ました。


この意味の解釈は難しいです。
イアンが持っていた権威主義的なものが抜け落ち、イアンが引き込まれていた「矛盾的な愛」から脱することができたこと、それによってジェルミに「翼」を与え、「生んだ」ことの表現でしょうか。


萩尾望都の過去の諸作品、特にSFでは、夜空の描写が山のようにあります。
「星」のモチーフとして印象的なものは、「海のアリア」のラストで、レクイエムの演奏と共に星々のもとに上昇する描写です。

 


4) 墓前で地面の下の母からキスされる幻想


ジェルミがサンドラの墓前に初めて訪れた時、まず、グレッグとの体験を告白し、サンドラがそれを知りつつ放置したことを告発し、それゆえにグレッグとサンドラを殺したことを告白しました。
その後、地面に伏しているジェルミを、地面の下からサンドラの顔と手が現れて、抱き寄せキスしました。


これは、母からの自立と、母殺しの罪を母から許してもらったこと、つまり、自分自身を許したことの表現です。


母からの自立のテーマは、「トーマの心臓」のエーリクなどがあります。

 


<親子の連鎖と自立>


これまで書いたように、「残酷な神が支配する」では、多数の登場人物の親子関係が描かれます。
ジェルミと母、義父の関係、イアン、マット兄弟と両親、さらには父グレッグとその両親という3世代の関係、ナディアとマージョリー姉妹と母の関係です。


他の萩尾作品でも同様ですが、親のかかえる様々な問題が、子の性格に影響を与えます。
その本質は、親が持つ「排斥」、「自己否定」の様々な形が、子に伝えられ、犠牲になるという関係です。


この関係について、「残酷な神が支配する」は、
「子供は親の神への供物であり、親の人生の供養として存在するんだ」
というセリフで語られます。

 


ですが、ジェルミは、母の裏切りを受け入れ、そして、「愛」を理解したことで、義父と母からの自立をしました。
そして、「愛することを試してみてもいいだろうか」と語り、愛する資格を自分に認めました。


一方のイアンも、ジェルミを純粋に愛することで、父の呪縛から解放されました。
また、母の姉から両親の昔の話を聞いて、二人に対して理解をして受容しました。


また、自分の発言が母の浮気を父に悟らせて両親の仲を壊し、母の自殺につながったことも理解します。
ですが、これはジェルミが母を殺した罪の意識に悩むこととは違います。

 


<記憶の受容と祝祭システム>


イアンは、ジェルミにトラウマ的な体験をしっかり思い出すことを治療の方法としました。


このトラウマの記憶の封印を解くモチーフは、「X+Y(一角獣種シリーズ)」、「マージナル」、「海のアリア」から継承しています。
ですが、着地点は、異なります。


物語の最後には、二人はかなり救われた状態になりました。
そして、ジェルミは、グレッグによる虐待の記憶は、グレッグを殺した12月のクリスマスにはどうしたって思い出すので、普段は忘れていていいと思えるようになったと語ります。


ジェルミは、虐待の記憶をしょっちゅう思い出すPTSDの病的な状態を脱したのです。
つまり、「日常」と「非日常」が区別され、「日常」では「非日常」を忘れることができるようになったということです。


イアンは、その12月のクリスマスを、ジェルミと二人での「祭典」と呼んでいます。


そもそも、グレッグの虐待は、週末の非日常の「祝祭的システム」として行われたものでした。
その呪縛と戦ったイアンとジェルミの行為も、同様のシステムで行われました。


ジェルミは、「日常/非日常」の区別のない病的状態を脱したのですが、「日常/非日常」という構造は維持されています。


「日常/非日常」が区別された「祝祭システム」は、どこまでいっても「排斥」を前提としたものです。


ですから、「残酷な神が支配する」のラストは、本当の解放、本当のハッピーエンドではなく、自我を持つことの限界を示しているのではないでしょうか。


「融解の愛」を「非日常」に閉じ込めるのではなく、「日常/非日常」のシステムを融解することはできないのでしょうか?