萩尾望都の作品には様々なテーマが扱われていますが、その多くのテーマの根本に、「排斥」のテーマがあると考えています。
この「排斥」という根本テーマは、多様な領域で表現されます。
「社会」、「家族」、「個人の意識」、「非日常(祝祭)」、「恋愛(共感)」などです。
このページでは、「個人」の意識という領域において「排斥」がどのような具体的なテーマとなり、どのようなモチーフ(設定、構図)が使われ、どのような物語になり、具体的にどの作品でそれが描かれているがについてまとます。
少し抽象的な話になりますが、作品論のページを読む上での解釈の枠組みになります。
萩尾作品は、基本的に「排斥」に否定的で、「排斥される者」に同情的に描かれます。
そして、萩尾作品の歴史は、各作品で発見した問題を継承し、「排斥」をなくすことができないかという根本問題の解決を追求した歴史です。
<個人の意識における排斥>
「個人」の意識という領域における「排斥」は、「自己否定」のテーマとして現れます。
「個人」の意識は、「社会」や「家族」の縮図です。
そのため、「社会」や「家族」が「排斥」するものを、「個人」は自分の中で「排斥」します。
立派な社会人や、いい家庭人(いい親、いい子)になるためには、あるがままの「本来的な自分」を否定し、それを「排斥」する必要があります。
「個人」の中で「排斥」されたものは、抑制され、忘れ去られ、無意識化されます。
「家族」の中では、「子」の「自己否定」は「親」が原因になります。
「親」の教育という批判的「排斥」によって、「子」は「自己否定する者」になります。
とりわけ、兄弟・姉妹の中でも、差別的な「排斥」の対象となった子は、「自己否定」の傾向の強い人物になります。
個人の中では、理性や自我意識が「排斥するもの」で、「感情」が「排斥されるもの」です。
作品中の「超能力(共鳴力)」は、「感情」と同様な「排斥されるもの」になります。
「排斥された者」の「感情」は、怒りや恐怖、攻撃性といった否定的なものになります。
一方、「排斥されなかった者」の「感情」は、愛のような肯定的なものになります。
この「感情」の二面性は、具体的な作品の例では、「スター・レッド」、「マージナル」、「残酷な神が支配する」などで描かれます。
<生命律動のモチーフ>
意識・無意識の底に、「生命律動」を描く作品もあります。
これは、「純粋な肯定性」として描かれ、「海」や「子宮」、「心臓」として象徴される場合もあります。
「生命律動」という言葉は、「マージナル」や「海のアリア」で登場しました。
ですが、「トーマの心臓」のトーマが、「これが僕の心臓の音」といった「心臓」の象徴にまで遡れます。
そして、「心臓」のモチーフは、「バルバラ異界」に「不死性」や「集合意識」と関連して継承されます。
「海」のモチーフと結びつけてそれを描くのは、「マージナル」、「海のアリア」、「バルバラ異界」です。
「子宮(羊水)」のモチーフと結びつけてそれを描くのは、「スター・レッド」、「ハーバル・ビューティー」、「マージナル」、「残酷な神が支配する」です。
「生命律動」は、個の存在しない「集合意識」としても表現されます。
ですが、「集合意識」は、個や異質なものを「排斥」したり、一体性を強要したりするものとして否定的に描かれる場合もあります。
否定的側面も含めてそれを描くのは、「ハーバル・ビューティー」、「マージナル」、「海のアリア」です。
<眠りのモチーフ>
また、「集合意識」とは異なりますが、「眠り続ける」というモチーフが描かれる作品もあります。
この「眠り」のモチーフも、「排斥」された無意識の象徴でしょう。
具体的には、「精霊シリーズ」のルトル、「マージナル」のキラの一人、「バルバラ異界」の青羽、「ポーの一族」のフォンティーンなどが、眠り続けるキャラクターです。
ポーの一族自体も、「眠りの時季」を持ち、「眠り」と密接です。
それに対して、「ポーの一族」の新シリーズで登場したルチオ一族は、「眠らない病」が特徴で、両一族は対照的です。