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萩尾望都の諸作品のテーマと継承

萩尾望都の諸作品の解釈とテーマやモチーフの継承について、萩尾望都作品論。

萩尾望都の作品には様々なテーマが扱われていますが、その多くのテーマの根本に、「排斥」のテーマがあると考えています。


この「愛(恋愛)」という根本テーマは、多様な領域で表現されます。
「社会」、「家族」、「個人の意識」、「非日常(祝祭)」、「恋愛(共感)」などです。


このページでは、「社会」という領域において「排斥」がどのような具体的なテーマとなり、どのようなモチーフ(設定、構図)が使われ、どのような物語になり、具体的にどの作品でそれが描かれているがについてまとます。


少し抽象的な話になりますが、作品論のページを読む上での解釈の枠組みになります。


萩尾作品は、基本的に「排斥」に否定的で、「排斥される者」に同情的に描かれます。
そして、萩尾作品の歴史は、各作品で発見した問題を継承し、「排斥」をなくすことができないかという根本問題の解決を追求した歴史です。

 

 

<愛による排斥からの解放>


「愛(恋愛)」やそれに類した二者関係における「排斥」の問題は、萩尾作品では、主に「排斥」を乗り越える、つまり、「自己否定」からの「解放」のテーマとして現れます。
ですが、一部に、「排斥」を前提とした、矛盾や供犠に関わる愛のテーマとしても現れます。


「愛」は、「排斥」されているものを愛すること、あるがままの「本来的な」その人を愛することであって、それは「排斥」の否定です。


「愛」のテーマは、「本来的な自分」を否定する「自己否定する者」が、誰かに愛されることによって、「自己解放」するという物語になります。
愛する者は、「解放する者」です。


「解放される者」と「解放する者」は、「家族」のところで書いた兄弟の対照的なキャラクターと同様の、対照的なキャラクターで描かれることがよくあります。


堅実(真面目)/奔放(無垢・天真爛漫)、ポーカーフェイス/感情豊か(短気)、有能/無能、醜い/美しい、親に嫌われる/可愛がられる、などです。
一言で表現すれば、自己抑制的/自己解放的な性格です。

 

「自己否定する者」は、愛することができない、愛する資格を持たないと考える者としても描かれます。


具体的には、「トーマの心臓」のユーリ、「メッシュ」のメッシュ、「マージナル」のメイヤード、「海のアリア」のアリアド、「残酷な神が支配する」のジェルミです。

 


「解放する者」は、「自己否定」する者が抑圧しているものに、超能力や夢の共有といった特殊な能力によって「共感(共鳴)」して、それを引き出す場合もあります。
あるいは、その人の可能性を「信じる」といった設定になる場合もあります。


「自己解放」は、抑制していた「感情」を解放する、あるいは、封印した「記憶」や「能力」を解放するという形で現れます。


具体的な作品の例には、次のようなものがあります。


「11月のギムナジウム」ではエーリクをユーリが、「トーマの心臓」ではユーリをトーマとエーリクが解放します。
また、「X+Y(一角獣種シリーズ)」ではタクトとモリが互いを解放します。
「マージナル」ではグリンジャとアシジンがキラを、「海のアリア」ではアベルがアリアドを、「残酷な神が支配する」ではイアンがジェルミを解放します。

 

 

<排斥を前提とした愛>


ですが、「愛」には、「非日常」の祝祭的なにおける「排斥」と同じ形で現れる「愛」もあります。


この「愛」は、愛憎が同時の、矛盾する、暴力的で、相手を「贖罪の供犠」とするような形の愛になります。


具体的な作品の例では、「残酷な神が支配する」のグレッグのジェルミに対する愛がこれです。
グレッグの息子のイアンも、ジェルミを解放しようとしながら、この形の愛に引きずり込まれそうになりました。

 

「残酷な神が支配する」では、この「排斥を前提とした愛」に対して、「錬金術的」な「融解」する「愛(エロス)」が、「解放をもたらす愛」として語られました。


 

<内なる女性性のモチーフ>


「排斥」されているものが「内なる女性性」として象徴され、「解放」はそれを解放する形で描かれることもあります。
この場合、解放せれる者は、両性具有であったり、自分を男性と思っていたりします。


具体的な作品の例では、「11人いる」のフロル、「X+Y(一角獣種シリーズ)」のタクト、「ハーバル・ビューティー」のルゥ、「マージナル」のキラなどです。

 

 

<翼のモチーフ>


「解放」されることは、多くの作品で「翼」を生やす、「飛行」することで象徴されます。
また、その逆は、「墜落」で象徴されます。


具体的な作品の例では、「精霊のシリーズ」、「トーマの心臓」、「小鳥の巣(ポーの一族)」、「エディス(ポーの一族)」、「モザイク・ラセン」、「X+Y(一角獣種シリーズ)」、「残酷な神が支配する」、「バルバラ異界」などです。

 

 

<供犠のモチーフ>


「解放する者」は、自分の「命」を引き換えにすることもあります。
これは一種の「供犠」とも言えます。


具体的な作品の例では、「トーマの心臓」のトーマ(ユーリを解放)です。
「11月のギムナジウム」のトーマ(エーリクを解放)や、「スター・レッド」のセイ(エルグを解放)、「海のアリア」のダリダン(アリアドを解放)も類似した解釈が可能です。


SF作品では、心の「解放」ではなく、何かの生命的なものの「復活」のための「供犠」になります。


「スター・レッド」のエルグ(個として死に惑星を復活させる)、「銀の三角」のパントーの楽師(朝を呼ぶ)、「マージナル」のキラ(海を復活させる)、「バルバラ異界」の青羽(平和な未来を創造する)などです。


一方、「解放」や「復活」とは反対の、「贖罪」のための「供犠」もあります。
「小鳥の巣(ポーの一族)」のロビン(生徒たちの贖罪)、「偽王」の元王(国民の贖罪)などです。

 

 

<欠如と代理のモチーフ>


愛する人や「母」、「故郷」は、「本来的な自分」、「永遠」の象徴となります。
ですから、それが失われた場合、それは「永遠の欠如」の象徴となります。


例えば、「ポーの一族」のエドガーにとってのメリーベルや、「スター・レッド」のエルグにとっての「故郷」の惑星は、そのような「永遠の欠如」の象徴です。


その場合、失われた「永遠」の代わりを求め続けることになります。
例えば、エドガーにとってのアラン、エルグにとってセイは、そのような存在です。


クローンがこのような代わりになる場合もあります。
「A-A’(一角獣種シリーズ)」のアデラドとレグや、「マージナル」のキラです。