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萩尾望都の諸作品のテーマと継承

萩尾望都の諸作品の解釈とテーマやモチーフの継承について、萩尾望都作品論。

「11月のギナジウム」(1971)は、「トーマの心臓」(1974)のスピンオフ的短編作品です。
「11月のギナジウム」の方が先に発表されましたが、作品の構想は「トーマの心臓」の方が早くできていました。
スピンオフとは言っても、両作の設定には違いがあって、ストーリーは両立しません。


「トーマの心臓」はトーマが命を捨てる愛によってユーリを救う物語ですが、「11月のギムナジウム」はトーマが命を賭した愛によってエーリクを救うことになる物語です。


つまり、「11月のギムナジウム」は、「トーマの心臓」とは別ヴァージョンの、「自己否定」という「排斥」からの「愛」による「解放」の物語です。

 




<トーマとエーリクの性格の対照性>


「11月のギムナジウム」では、トーマとエーリクは、母が浮気をして生んだ双子です。
二人は対照的な性格で、トーマはポーカーフェイスで感情を表さず、エーリクは短気で感情を素直に表します。


双子、あるいは、兄弟・姉妹が対照的な性格を持つというモチーフは、後の諸作品に継承されます。
具体的には、「半神」のユージーとユーシー、「残酷な神が支配する」のエリックとバレンタイン、同じく、ナディアとマージョリー、「ポーの一族」新シリーズのフォンティーンとバリーなどです。


ちなみに、二人のこの性格の対照性は、「トーマの心臓」では、ユーリとエーリクの間に設定されています。
「トーマの心臓」のトーマは、「口より先に目で語る」ような性質なので、「11月のギムナジウム」のトーマとは対照的です。

 


<両親の設定の対照性>


二人の対照的な性格は、両親の設定にも表されています。


二人の実父は若くして亡くなり、トーマは実母と離されて、秘かに亡くなった実父の実家の養子にされました。
一方、エーリクは実母のもとで育ちます。


二人の実母は、夫を愛していませんでしたが、実父に対して「無垢な愛」を持っていました。
つまり、母は社会的には不道徳ですが、自分に正直な存在です。
この実母は「本来的な自分」の象徴になっているので、トーマは「本来的な自分」から切り離された者、エーリクは「本来的な自分」と一体の者です。


また、トーマは、義理の両親に愛されて育ちます。
一方、エーリクの父は実母の浮気を疑い、実母に冷たく当たります。
エーリクは実母と一体なので、エーリクにとっては自身も父に否定されていることになります。


義理の親、父は社会性の象徴となりますので、トーマは社会的に認められる者、エーリクは社会的に否定される者です。


つまり、トーマは、「本来的な自分」と切り離されて、社会的に認められた者であり、「自己否定する者」です。
一方、エーリクは、「本来的な自分」と一体で、社会的に否定された者であり、「自己否定を迫られている者」です。

 


<愛による解放の物語>


エーリクが双子の兄弟だと気づいたトーマは、思わずエーリクに抱きつきます。
そして、寒い日の雨の中に実母に会いに行って病気になり、エーリクの名を発しながら亡くなります。


トーマは、命を捨てて、切り離された「本来的な自分」(実母)を求めました。
そして、「自己否定を迫られている」エーリクに愛を伝えた、つまり、「自己肯定」を伝えました。


つまり、トーマは、愛することによってエーリクを「自己否定」という「排斥」から「解放」したのです。


この「愛による解放の物語」というテーマは、「トーマの心臓」をはじめ、「X+Y(一角獣種シリーズ)」、「メッシュ」、「残酷な神が支配する」など、多くの作品に継承されます。


また、「命と引き換えに」、何かを行うというモチーフも、「トーマの心臓」をはじめ、「スター・レッド」、「マージナル」、「海のアリア」、「バルバラ異界」など、多くの作品に継承されます。

 


<「トーマの心臓」との違い>


命と引き代えに「愛」によって救う、という点では、「11月のギムナジウム」と「トーマの心臓」のトーマは共通しています。


ですが、「トーマの心臓」では、ユーリとトーマやエーリクの間に、「自己否定する者/自己開放的な者」という分かりやすい対照性が設定され、分かりやすい物語になっています。


「トーマの心臓」のポーカーフェイスというユーリの設置は、「11月のギムナジウム」ではトーマに配され、一方、「トーマの心臓」の母が批判されているというユーリの設置は、「11月のギムナジウム」ではエーリクに配されています。


そのため、「トーマの心臓」では、「自己解放的な者」が「自己否定する者」を救うのに対して、「11月のギムナジウム」では、「自己否定する者」が「自己否定を迫られている者」を救う物語になっているのです。