「半神」は1984年に発表された短編で、萩尾望都の代表作として知られています。
「半神」は、対照的な性質を持つ結合双生児の姉妹の物語です。
「排斥」のテーマを、双子の関係で表現したものですが、自我の発生とともに生まれる「喪失感」までも表現する作品になっています。
姉ユージーは醜いのですが、知能は高く、一方の妹ユーシーは美しく、天真爛漫で、母に似ていますが、無能です。
美醜対照的な結合双生児のモチーフは、「モザイク・ラセン」から継承しています。
ただ、「モザイク・ラセン」ではごく小さな扱いでしたが。
対照的な性質の双子というモチーフでは、「11月のギナジウム」からの継承です。
そして、「残酷な神が支配する」に継承されます。
また、美醜対照的な兄弟のモチーフとしては、「ポーの一族」の新シリーズに継承されます。
姉は、妹に栄養を取られているせいで肌・容姿が醜いのですが、妹は美しいので皆から可愛がられ、天使と呼ばれます。
姉は、好きなことをするのを妹から邪魔をされますが、妹の世話をして支えなければなりません。
そのため、姉は妹を憎んでいます。
この二人は、意識的な自我と、無意識、あるいは、「本来的な自分」の象徴として解釈できます。
妹を嫌う主人公の姉は、「本来的な自分」を否定する者、「自己否定する者」、「排斥する者」です。
<分離>
双子が13才になった時、体力的な限界から、姉だけを助けるための二人の分離手術がなされます。
13才は、「ポーの一族」でエドガーがバンパネラになった年齢の14才とほぼ同じです。
自我が芽生えて子供時代が終わる境界の年齢でしょう。
この分離は、大人としての自我の確立の象徴と考えることができます。
分離によって、自我による「排斥」は完成し、強固なものになるはずなのです。
ところが、手術後、妹は栄養を失って、姉そっくりな醜い姿になります。
その一方、姉は栄養が行き届いて、妹そっくりの美しい姿になります。
そのため、姉は、外見と結びついて作られていた自身のアイデンティティが揺らぎ、どちらが自分でどちらが妹か分からなくなります。
外見の美醜は、本質的ではなく、変わりやすい世間的な価値観です。
姉は、その外見に結びついた価値観がゆるがされ、半ばその価値観の外に出されます。
そして、亡くなった妹に対する喪失感を感じます。
妹に対する感情は、「愛よりももっと深く愛していた」、「憎しみもかなわぬほどに憎んでいた」と表現されるようなアンビバレントなものになります。
<半神になった妹>
このアイデンティティの揺らぎによって、姉にとって妹は、自他の二項対立を超えた存在になり、妹に対する感情も二項対立を超えたものになりました。
妹に対するアンビバレントな感情は、自己愛でもあり、自己否定でもあるのです。
姉は、この特別な体験によって、「排斥」したものに気づきました。
そして、それに対して「喪失感」を懐きます。
これは、「排斥したもの」の、「排斥したもの」としての受容です。
ですから、それは取り戻せません。
姉にとって妹は、自分と一体のはずの存在であり、それゆえ、もう存在しないのに、まだ存在する存在です。
それは、制御できない存在であり、自分を成立させていた存在でもあります。
そのため、それは「影」、「神」と表現されます。
「神」なので、「半身」ではなく「半神」というタイトルになります。
「影」という表現の背景には、ユンクの元型の「影」があるかもしれません。
<自我と喪失>
自我は、自分をなんらかの像として対象化して始めて生まれます。
この自我像は、常にそこから、そこに収まらない悪しきものを「排斥」して生まれます。
ですから、人間は自我を持つかぎり、「欠如」、「喪失」を持ち、自我を持つ以前の一体感は二度と戻らないのです。
拡張して言えば、この「本来的な自分」との一体感は、「世界」との一体感であり、喪失感は「世界」の喪失感です。
「半神」はこれを表現しています。
妹を「失ったもの」の象徴というモチーフで考えると、これは「ポーの一族」のエドガーにとってのメリーベル、「スター・レッド」のエルグにとっての故郷の惑星なども、これに当たります。
ですが、「半神」はそれを結合双生児として表現し、さらに容姿の入れ替えによるアイデンティティの揺らぎを表現することで、「失ったもの」の根源性を示すことに成功しています。
また、エドガーにとってのメリーベルの「代わり」としてのアランや、エルグにとっての「故郷の惑星」の代わりとしてのセイのような、「代わり」を描かなかったことも、それを際立たせています。
この「失ったもの」のモチーフは、「バルバラ異界」の火星の生命の一体性として継承されます。
