「海のアリア」(1989)は、「マージナル」に続いて描かれたSF長編です。
「マージナル」には、過去の諸作品のテーマ、モチーフを継承する総決算作的な側面がありましたが、「海のアリア」にも同様の傾向があります。
「海のアリア」の物語の核になる三人の登場人物は、「自己否定する者/命を捨てて解放する者/それを継承する者」という性格を持っていて、これは「トーマの心臓」の構図を継承しています。
「海のアリア」は、「トーマの心臓」の新ヴァージョンであり、SFヴァージョンであると言えます。
また、例えば、解放が、「記憶」の解放をともなうモチーフ、「海=生命の律動」に「共鳴」することによって、そして、「肯定的将来観」によって行われるというモチーフは「マージナル」を継承し、
「音楽」を媒介として行われるというモチーフは「銀の三角」を継承しています。
また、最後に、解放の表現として、「海」と「星々」のイメージがつながれます。
これは、過去の萩尾作品から継承されたイメージが、最高純度で結晶したものでしょう。
このイメージは、「残酷な神が支配する」に継承されます。
人間ではない異星人の話ですが、「感応演奏者」は結晶生物ベリンに宿る波動生命体ベリンモンに感応・共鳴して、それを楽器として演奏する音楽家です。
ベリンモンはその音楽家の情操を最大限引き出しますが、ベリンモンが音楽家に共鳴するのはごく稀です。
まるで、恋愛関係のようなものです。
そのため、ベリンモンを得た音楽家は、人気のある偉大な音楽家となります。
「海のアリア」は音楽が重要なモチーフになっていて、それが後で述べるように、記憶の解放や肯定性を導きます。
これは「銀の三角」から継承するモチーフです。
音というモチーフに拡大すると、「モザイク・ラセン」もここに含まれます。
ライバル関係にある二人の「感応演奏者」、アリアドとダリダンが、ナイト・メアと呼ばれる惑星の調査に行きます。
ナイト・メアは、進化が古生代で停滞した惑星で、その進化の可能性を探るのが目的です。
ナイト・メアは、海に住む粘菌が温度が上がると赤い人食いヒトデ(ジョング)になり、それが大量発生して海岸の生態系を破壊し、さらに共食いして「集団自殺」します。
そのため、進化が停滞していました。
この「赤」、「海」、「集合意識」による「集団自殺」というモチーフは、いずれも「マージナル」から継承したものです。
ナイト・メアの進化の停滞は、意識の点では「マージナル」のイワン=キラ・ファミリーの破綻と同種のものと考えることができます。
また、惑星規模の問題としては、「スター・レッド」の火星、「マージナル」の地球を継承しています。
ダリダンは、誰からも好かれる性質で、中性的で美しい人物でした。
一方のアリアドは、人の死が予知でき、そのせいで人付き合いをしない性質でした。
また、アリアドの出身の社会では、人間関係は主従関係のみで、対等な関係がありませんでした。
二人の関係は、萩尾作品によくある構図で、天真爛漫で「解放的」なタイプと、心を閉じる「自己否定」するタイプという対照的な関係です。
アリアドとダリダンは、ナイト・メアの海に感応し、その「生命律動」を感じました。
そして、アリアドは進化の可能性がないと読み取ったのですが、ダリダンは「生命律動」を感じて可能性があると読み取りました。
また、アリアドは、ダリダンのナイト・メアでの死を予知し、それをダリダンに語りました。
つまり、アリアドは、海の限界とダリダンの死の両方を予知したのです。
「可能性を信じる/信じない」というモチーフは、「肯定的な夢/否定的な夢」のモチーフです。
「スター・レッド」のセイの可能性に関して、肯定的な予知をしたシラサギと、否定的な予知をした他の火星人の構図や、「マージナル」のモノドールの未来に関するアシジンとグリンジャやメイヤード予想の構図を継承するものです。
「海の生命律動」という点では、「マージナル」のキラがこれに共鳴したことを継承しています。
ダリダンは、ナイト・メアの海の供犠になることを受け入れました。
二人は、津波にあい、人食いヒトデに食われ、ダリダンは亡くなりました。
ダリダンの海での死(供犠)は、「マージナル」のキラが海で死んだことを継承しています。
惑星のためと見ると、「スター・レッド」のエルグの継承になります。
アリアドは命は取りとめたのですが、この惑星での記憶を失い、予知能力も封じました。
アリアドの「記憶を失う」モチーフは、「X+Y(一角獣種シリーズ)」、「マージナル」から継承するものです。
いずれも、母、集合意識、海といった母性的なものの喪失が関わる記憶です。
ダリダンは、亡くなる前に、自分が先に死ねば、レクイエムを歌ってほしいとアリアドに約束を求めました。
アリアドにレクイエムを歌ってもらうことは、アリアドがダリダンの「肯定的な夢」、ひいては、アリアドが「自己否定」する人間関係や精神の解放を受け入れるように促すものです。
ダリダンが自分の命をかけてアリアドに約束を迫ったことは、「トーマの心臓」のトーマのユーリに対する関係、「解放の物語」のテーマを継承しています。
そして、トーマに重ねられてトーマの真意を示したエーリクは、後述しますが、ダリダンに重ねられ、ダリダンの記憶を目覚めさせたカインに対応します。
つまり、「海のアリア」の3人の主要人物の関係は、「トーマの心臓」の3人の主要人物の関係と同じであり、その点で「海のアリア」は「トーマの心臓」の新ヴァージョン、SFヴァージョンです。
<アベル>
その後、アリアドは、強引に波動生命体ベリンモンを奪って地球に来ました。
アリアドはベリンモンが彼に共鳴することを示す必要がありました。
ですが、地球で、雷に打たれてベリン結晶が壊れ、ベリンモンは海で溺死したばかりの音羽アベルに宿りました。
ベリンモンが宿ったアベルは、以前の優秀な人間を演じていたアベルと違い、記憶を失い、無垢な性質になりました。
共感能力を持った無垢で無能は者というモチーフは、「一角獣種シリーズ」のタクトや「マージナル」のキラから継承するものです。
彼らは、「自己否定する者」の能力や記憶の解放、あるいは、「夢」の現実化を担います。
アベルが「音羽」という「羽」のついた名前、鳥に関わる名前という点では、「スター・レッド」の「黒羽」、「シラサギ」、「ヨダカ」から継承し、「バルバラ異界」の「青羽」に継承されます。
物語の大筋にあまり関係がないのですが、アベルはコリンと双子という設定です。
(二人の名前は、旧約聖書のカインとアベルを連想させます。)
兄のアベルは優秀で、弟のコリンは少し能力が足りないという対照性がありました。
ちなみに、アベルとコリンは、旧約のカインとアベルを思い出させる名前です。
「双子」、そして、その二人が優秀(自己抑制的)と無能(天真爛漫)で対照的というモチーフは、「11月のギムナジウム」、「半神」から継承しています。
ただ、「海のアリア」では、本来のアベルとベリンモンが宿ったアベルの対照性の方が重要です。
こちらを強調するために、コリンとの対照性を表現したのかもしれません。
<アリアドとアベル>
アリアドは、アベルに接近して、彼に宿るベリンモンの記憶を戻そうとします。
そして、アベルを楽器として使い、ベリンモンが自分に共鳴することを示そうとします。
ですが、アリアドがアベルに対して所有関係でしか対することができないので、アベルはアリアドに反発し、対等な友人関係を求めます。
これは「マージナル」で、最初にアシジンがキラに対して所有関係で対したことを継承しています。
そこに、アリアドを憎むダリダンの妹リリドが登場し、アリアドが兄のダリダンを見殺しにしたとカインに言います。
アリアドは、記憶を失っているので、これを否定します。
アベルは楽器になることを承知してアリアドと共鳴します。
その時、アリアドが記憶を封印していること、意識が海へ流れることを扉が止めていることに気づきます。
アベルは友人として、アリアドに封印を解くように言います。
そして、アリアドがベリンモンと共鳴するかどうかを確かめに来ていた音楽協会の委員達が計画をめぐらして、アベルとアリアドを海岸で合わせます。
この時、アリアドは、アベルの姿にダリダンを重ねて記憶の封印を解き始めて、その夢が現実に現れます。
アベルは、アリアドの夢の中でダリダンを見つけ、ダリダンから果たされていない約束があることを聞きます。
そして、これをアリアドに伝え、アリアドは記憶を取り戻します。
そして、レクイエムをアリアドがアベルに歌わせます。
それは、ダリダンの歌であり、ナイト・メアから寄せくる海の音であり、海のダリダンに対する愛であり、地から生まれたものが天に帰って星になる歌でした。
この歌は、「銀の三角」のラグトーリンの中にある「海」であり、パントーが無限を求めて歌った歌であり、「マージナル」のキラが共鳴した海の夢であり、萩尾望都がSFの諸作品で繰り返し描いてきた星空、とりわけ、「一角獣種シリーズ」のタクトが眺めて涙した星空です。
「海のアリア」では、この星空に、女性の顔(宇宙の女神)が描かれます。
ここで、「生命律動」である「海」と、「宇宙」、「星空」が、「女性(母性)的なもの」として同一であることが提示されています。
このように、「海」と「星」を明確につなげたことは、萩尾作品では始めたかもしれません。
「銀の三角」では、ラグトーリンが内に海を抱えているシーンや、星空に去るシーンがありましたが…。
この「海」と「星」をつなげるモチーフは、「残酷な神が支配する」のイアンとジェルミの神秘体験に継承されます。
「星」は、「翼」を生やした「海」、個を得た「海」なのかもしれません。
