牧阿佐美先生 | Ecole de Ballet Classique かえるのひとりごと

Ecole de Ballet Classique かえるのひとりごと

エコール・ド・バレエ・クラシックの教師3人が、当スタジオの行事や、レッスンの様子等を楽しくお伝えします!

昨年10月20日、私伊沢由紀惠の恩師、牧阿佐美先生が逝去されました。
私は、神奈川県鎌倉市にある日本で初めてのバレエ教室と言われている、エリアナ・バブロバ・バレエ・スクールでバレエを始めました。ロシア革命で日本に亡命してきたエリアナ・バブロバが戦前に開校したバレエ学校で、戦後の日本のバレエ界を大きく発展させた著名な方々が学んでいらっしゃいます。
エリアナ先生は第二次世界大戦中に亡くなられていましたので、私は妹のナデジタ先生の元で育ちました。中学生になり、もっと専門的にバレエを学ぶために通い始めたのが、東京都渋谷区にある学校法人橘バレエ学校です。
橘バレエ学校の校長の橘秋子先生は、エリアナ・バブロバ先生の門下生でした。橘先生は、西洋の文化であるバレエを東洋人である日本人がどのように習得し表現すれば良いのかを様々な面から学び、指導し舞台を創って行きました。
残念ながら、私は直接指導を受けることはできませんでしたが、橘先生と同時期に日本のバレエの発展に携わっていらっしゃった方々や、橘先生の教えを引き継いだ指導者から学ぶことができました。
橘秋子先生の後継者が、橘先生の娘の牧阿佐美先生です。橘先生と共に<牧阿佐美バレエ団>を立ち上げました。橘先生の後を引き継ぎ<橘バレエ学校>校長として、<牧阿佐美バレエ団>団長として、多くのバレエダンサーを育てました。
私は、牧阿佐美先生の厳しい指導を橘バレエ学校で受けました。牧阿佐美バレエ団では古典バレエはもちろんのこと、先生が振り付けをされたオリジナルの作品を、踊り手として数多く踊る機会を得ました。舞台で踊るためには基礎が重要であることや、舞台を数多く経験することでバレエは総合舞台芸術であることを学びました。私の指導者として、舞台を創る者として必要な基礎は、その経験で形成されていると思います。
バレエ団を退団後、教室を始めたことを阿佐美先生にご報告すると、「長い間苦労して学んだことや経験してきたことが無駄にならなくて良かったわね。」とおっしゃってくださったことが忘れられません。
阿佐美先生は、長い間、日本のバレエの発展に尽力されて来ました。「日本ジュニアバレエ」「AMスチューデンツ」を立ち上げ、全国のジュニアの育成にも力を注がれました。(当教室からも数名が毎月上京しレッスンを受け、東京で舞台を経験しています)
そして、新国立劇場バレエ団の芸術監督、新国立劇場バレエ研修所所長と、牧阿佐美バレエ団の活動を維持しながら、日本のバレエ界の発展に携わってこられました。
体調を崩された後も、牧阿佐美バレエ団での指導を続け、コロナ渦「入院するとみんなに会えなくなるのは嫌だから。」と自宅で過ごされていたそうです。
意識がもうろうとするなか、文化勲章受賞の知らせを受けたそうです。受賞は大変嬉しいことですが、先生がお元気なうちに受賞してほしかった。みんなでお祝いの会をしたかった。と残念です。
日本のバレエを創り上げてきた偉大な方が、また一人逝ってしまわれました。残された者は、その歴史をしっかり受け継ぎ、後輩に伝えて行かなければならないと強く感じます。
しかし、偉大な尊敬する師を失った悲しみは、日を追うにつれて大きく深くなっているように感じます。
エコール・ド・バレエ・クラシック
主宰 伊沢由紀惠