9月8日

生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もまた、わたしによって生きるのです。

ヨハネによる福音書 6章57節


神の子として私たちに必要なのは、単なる教えの積み重ねではなく、「いのちのパン」です。トウモロコシの粒そのものは、最良の食物とは言えません。粒を粉にひき、パンとして焼き上げて初めて、それを食べた体が消化し、栄養として取り込むことができるのです。どれほど純粋で崇高な真理であっても、それ単独では、私たちの魂を聖めたり満たしたりすることはできません。

キリストは、力強く、いのちを与える息吹をもって、新約のメッセージをその口から語られます。私たちがキリストにとどまり、その「いのち」そのものを食べ、あずかるときにこそ、私たちは養われ、蘇り、慰められ、癒やされるのです。

これこそが、神による癒やしの秘訣です。それは教義を信じることでも、儀式を行うことでも、あるいは信仰の論理や自らの意志の力によって天に願いを届けることでもありません。むしろ、神のいのちを吸い込むこと、すなわち、目に見えない世界の現実を識別し、それに応答できるよう訓練された感覚を持つ者にのみ理解される、生ける「触れ合い」なのです。それゆえ、膨大な量の教えよりも、わずかな真理の方が、私たちにより大きな助けと祝福をもたらすことがよくあるのです。