9月1日
霊的なものが先ではなく、自然なものが先であり、それから霊的なものが来るのです。
コリント人への手紙第一 15章46節
主はしばしば私たちを、苦難の時や病の床へと導くだけでなく、私たちの「義」や「人格」が打ち砕かれるような場所へと導かれます。主がそうされるのは、私たちを塵の中にまでへりくだらせ、私たちの「自然な命」のすべてが十字架につけられる必要があることを悟らせるためです。そこで、イエスの足元においてこそ、私たちは主から受け取り、主にとどまり、ただ主にのみ頼り、生ける「頭(かしら)」である主から命と力を汲み取ることができるようになるのです。
使徒ペテロもそのようにして救われました。彼自身の「転落」を通して、古いペテロは死に、キリストにあって、またキリストのために、より完全に生きることができるようになったのです。私たちもまた、自分自身の力に頼る心を捨て去り、そのようにして死んだでしょうか。
私たちの人生は「自然なもの」から始まり、やがて「霊的なもの」が来ます。そして、私たちが真に「神の国と
神の義」
(マタイの福音書 6章33節)
を受け入れたとき、自然なものは霊的なものに付随するものとなり、
私たちは人生の賜物や祝福を受け取りながらも、それらに心を奪われたり、それらによって主から引き離されたりすることなく過ごせるようになるのです。
