8月18日

300人はラッパを吹き鳴らした

士師記 7:22


軽率な言葉、思慮に欠ける発言、無分別な行動、あるいは恐れや不信仰から出る告白が、いかにして私たちの「完全な用いられ方」を妨げ、あるいは主が備えておられた素晴らしい機会から私たちを逸らしてしまうか、私たちは時に気づかないことがあります。

聖霊は弱い人間を用いられますが、彼らを選び召し出した後も、そのまま弱いままでいることを望んではおられません。

力ある者を恥じ入らせるために世の弱いものを選ばれますが、ご自身の知恵と恵みを与えた後まで、私たちが弱さや愚かさにとどまることを望んではおられないのです。神は「宣教という愚かなこと」を通して信じる者を救うことをよしとされましたが、説教者自身の愚かさや無知を用いられるわけではありません(コリント人への手紙第一 1章27節、21節)。良質な導体さえあれば、一本の電流が千人の必要を満たすことができるように、小さな電線は太い麻縄よりもはるかに優れているのです。

主は、ご自身の力を用いるのにふさわしく、備えの整った器を求めておられます。すなわち、主に服従する意志、主に信頼する心、誠実で一貫性のある人生、そして主の御心に従う唇です。

そうすれば、主は最も弱い武器でさえも用い、神の力によって堅固な要塞を打ち倒すほどの力あるものへと変えることができるのです(コリント人への手紙第二 10章4節)。