8月14日

「わたしの選んだ者に触れてはならない。わたしの預言者に危害を加えてはならない。」

詩篇 105篇15節


キリストのしもべや、神に油注がれた者たちについて軽率な言葉や無謀な発言をするくらいなら、私はむしろ雷と戯れる方を選びます。何千人ものクリスチャンが互いに投げつけ、魂と体の双方を傷つけ合っているような、あの激しい攻撃の言葉を不用意に口にするくらいなら、私はむしろ、むき出しの通電中の電線を素手でつかむ方を選びます。

私たちは自問することがあるかもしれません。なぜ体が癒やされないのか、なぜ心が聖霊の喜びに満たされないのか、あるいは、なぜ人生に祝福や繁栄がないのか、と。その答えは、怒りに任せて、あるいは無駄話の最中に私たちが放った「攻撃の矢」が、今や自分自身に跳ね返ってきているからかもしれません。これはある種の循環を示しています。苦々しさの根や、他者に向けて放たれた無益で憎しみに満ちた言葉はすべて、その発信源である自分自身のもとへと戻ってくるのです。

神の子供たちを迫害したり傷つけたりすることは、実は神ご自身を迫害することであり、同時に自分自身にはるかに大きな害を及ぼすことなのだと心に留めましょう。

主よ、自分の感情や権利を大切にするのと同じように、他者の感情や権利にも敏感になれるよう助けてください。そして、あなたが愛してくださるように、私も生き、愛することができるようにしてください。