7月31日

私たちは安らぎを得られず、あらゆる場面で苦しめられました。外には争いがあり、内には恐れがありました。

コリント人への手紙第二 7章5節



なぜ主は、私たちが問題や煩わしさ、争いを経験することを許し、困難で絶え間ない重圧にさらされるままにされるのでしょうか。

第一に、そのようにして主は、私たちのためにご自身の力と恵みが完全に十分であることを示し、私たちが重圧や苦難から免れている場合よりも、より力強くご自身を現されるからです。

第二に、それによって私たちは、主への依存をより深く自覚するようになるからです。主は絶えず、ご自身に頼ることを私たちに教えようとしておられます。主は私たちをその御手にしっかりと抱き、ご自身の守りの中に置きたいと願っておられるのです。

これこそ、イエスが立っておられた場所であり、また私たちにも立っていてほしいと願っておられる場所です。主は、私たちが自分自身の本性や人間の力に頼ることを望んでおられません。むしろ、常に主と手を携え、決して一人では一歩も踏み出さないほどの信頼を抱くことを望んでおられるのです。

問題は、私たちに信頼することを教えてくれます。苦難なしに信仰によって歩むことを学ぶ道はありません。それは神の「信仰の学校」なのです。苦難から逃れようとするよりも、神を信頼することを学ぶほうが、私たちにとってはるかに益となるのです。

信仰の教訓を学ぶとき、それは永遠の財産となり、私たちは永遠の富を蓄えることになります。この信頼がなければ、たとえこの世の富を手にしたとしても、私たちは貧しいままなのです。