5月28日
人としての姿で現れたキリストは、自らを低くし、死にまで従順であられました。それも十字架の死にまで。
フィリピ2:8
自分を過大評価している人にとって、最も難しいことの一つは、他者の権威の下に置かれること、つまり自分の意志を捨てて他者に従うことです。キリストはしもべの姿を取り、自らの独立性、自分を喜ばせたいという欲望、自由、選択や要求の権利を放棄されました。永遠の支配権を握っていた後、他者の絶対的な服従に身を委ねられたのです。
ある裕福な雇用主が突然従業員にならざるを得なくなったのを知っています。それは決して容易なことではありませんでした。
しかし、イエスは父なる神の完全なしもべです。神はこう言われました。「見よ、わたしのしもべ、わたしが支える者、わたしが選んだ者、わたしの心にかなう者」(イザヤ42:1)。イエスの生涯、そして世への召命は、人の子が仕えられるためではなく、仕えるため、そして贖いとして命を与えるために来たということでした(マタイ20:28)。イエスはこう言われました。「しかし、わたしは仕える者としてあなたがたの中にいます」(ルカ22:27)。「わたしは自分からは何もできません」(ヨハネ5:30)。「わたしの願いではなく、あなたがたの願いが叶いますように」(マタイ26:39)。
最後に、パウロはこう言いました。「イエスは死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(ピリピ2:8)。イエスの生涯は絶え間ない自己否定であり、最後には死、すなわち十字架刑の嘲りと恥辱に身を委ねられました。これこそが、イエスの愛の完成の最後の行為でした。
あなたは、そして私は、しもべとしての立場を学んだでしょうか?
