5月13日
わたしにとどまりなさい。そうすれば、わたしもあなたがたにとどまります。
枝がぶどうの木につながっていなければ、実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ、実を結ぶことはできません。
ヨハネによる福音書 15:4
キリスト教を単なる宗教体系と捉える人もいるかもしれません。キリスト教生活とは、キリストに従い、キリストに倣おうとする誠実で決意に満ちた努力に過ぎないと考える人もいるでしょう。
しかし、私たちの中に宿るキリストの命は、それ以上のものです。それは、主イエス・キリストとの一致を表しています。キリストは確かに私たちの内に宿り、私たちのあらゆる経験と働きにおける命であり源です。
この崇高なキリスト教生活の概念は、他のいかなる概念よりも単純で、より崇高です。私たちは、キリストの贖いの目的は、私たちをアダムの完全な状態に戻すことだとは教えません。なぜなら、私たちは明日にはそれを失ってしまうからです。むしろ、贖いの目的は、私たちを第二のアダムと結びつけ、最初の両親が夢にも思わなかったほど高みへと引き上げることなのです。
これこそが、キリスト教生活に関する多様な意見を一つにまとめる唯一のものです。聖霊は私たちを様々な理論に関する論争へと導くことはありません。私たちはただ、イエス・キリストご自身の人格と生涯にしっかりと寄り添い、彼の力と恵みによる絶え間ない配慮に頼る生活を通して、彼と結びつく特権にあずかるべきなのです。
