3月25日
聖なる御姿の美しさ
詩篇29:2
ある人が私に、「聖化されたクリスチャンほど不快な人に会ったことがない」と言いました。
おそらく彼は、聖化を公言するクリスチャンのことを指していたのでしょう。
中には、頑固で粗野で、愛しにくいタイプの信者がいます。それは真の聖さとはほとんど関係がなく、少なくとも高い聖性とは無縁です。肉のない骸骨、葉のないむき出しの岩のようなものです。イエスは徳高く清らかな方でした。愛の温かい魅力に満ちた美しい方でもありました。
聖書には、三つの明確な徳について書かれています。「よく考えなさい。正しいこと、清いこと、愛すべきこと、徳のあること、称賛に値すること、すべてについてよく考えなさい」(ピリピ4:8)。キリスト教生活には、他にも数えきれないほどの小さな徳があり、それらを見過ごすことはできません。実際、芸術作品の最終段階には必ず最後の仕上げがあります。同じ理由で、主が私たちに、多くの人にとって取るに足りないような小さなことを教えてくださるのも不思議ではありません。
主は、しみやしわのない花嫁を望んでおられます。
フィリピ4:8 最後に、兄弟姉妹よ。真実なこと、高潔なこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判の良いこと、また、徳があり、称賛に値することがあれば、それらのことを心に留めなさい。
エペソ5:25-27 キリストは教会を愛し、教会のためにご自身をささげられました。それは、み言葉によって水で洗い清め、教会を聖なるものとし、しみやしわ、その他いかなる欠点もない、輝かしい教会として、ご自身のもとに迎え入れるためでした。
