かのんのお部屋 -93ページ目

かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

以前、君が代を調べたことがある。


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「君が世は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になって
 それにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように


君が代は10世紀に編纂された『古今和歌集』に収録されている
「我が君は・・・」から始まるとされる短歌の一つ。
室町から江戸時代には、薩摩小唄や長唄など
時々のはやりの節にのせて民衆がうたう御祝儀の歌で、
一般の長寿の祝いの歌とされ、君は相手への敬語、代は齢を指していました。

「あなたが 千年でも、いつまでも、岩に苔むすまで 私と共にいてくださいますように」


また、バジル・ホール・チェンバレン (英国の日本研究家) は、
この日本の国歌を以下のように翻訳しました。

汝(なんじ)の治世が、幸せな数千年であるように
われらが主よ、治め続け給え、今は小石であるものが
時代を経て、集まりて大いなる岩となり
神さびたその側面に、苔が生える日まで


現在、国歌として歌われているのは一番の歌詞の前半部分だけで、
正式な歌詞には続きがあります。

 一、「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
        動きなく 常盤かきはに かぎりもあらじ」
 二、「君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜のいる磯と あらはるるまで
        かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる」



さらにこのような説もありました。

この歌は、いざなぎ神様といざなみ神様「き(男)・み(女)」が、
仲むつまじく「みとのまぐはひ」をして子供を生み、
いついつまでも、「き(男)・み(女)」の子孫が繁栄して、平和が末永く続きますようにと、
石長姫(いわながひめ)様が「子孫繁栄」の祈りを込めて唄った歌なのでございます。


結局のところ、「君が代」は、日本人が古の時代から面々と築き上げてきた、
「和してともに栄えん」という精神をうたったもののようです。

素晴しい歌だとは思いませんか?

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この記事を書いたのは5年前のこと。

「和をもって尊しとなす」という言葉に感じるところがあり、和することを頻繁に訴え始めた頃だった。

日本という国の素晴らしさ、日本人としての誇りをこの頃から何気なく感じていたのだと思う。

このあと、様々に導かれていくことになろうとは、当時の私は知る由もなかった。

今にして思えは、全てが必然。
このブログを書いているのも必然なのだろう。

時々、私の意識とは関係なく、書かされているのではないか・・・?
と感じてしまうほど、言葉があふれてきてしかたがない。


もともと、文章を書くのが好きではあったが、ここ最近は、文字通り「あふれてくる」勢いなのだ。とくに、ツインソウルの彼とのことがあってから、それは加速している。

つい先日、ある動画を見かけた。

それは、日本の国歌に関する動画だった。




「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう


5年前の記事にも「みとのまぐわい」を指す歌であるかもしれない、と書いてはいた。
当時は、それを本当に理解しきれていない状態で文章におこしていたようで、調べたままを記事にのせていた浅さがあった。経験と知識がすりあわさっていないとはこの事をいうのだろう。


が、今は意識がまるで違う。

それは、やはりツインソウルとの経験がものを言っている。


完璧に成長した男女が時代を超えて・・・

私はこの一文を読んで、ツインソウルのことを思った。

完璧に成長した男女とは、成熟した男女のことをいう。


ツインソウルは、まさしくお互いが成熟した状態で初めてであうことができる関係性だったのだろう。ツインソウルは簡単には出逢えないと、いくつか記述で読んだことがあるが、さもりなんと思えてくる。

しかし、それは過去のこと。

・・・だったと過去形で書いたのは、今はそうではないと思うからだ。

それは、たくさんのツインソウルカップルが出逢っている事実からも伺える。
だがなにより、ツインソウルに出逢ったことで、自分自身にかなりの変化があったことが一番の理由なのだ。

それは、「成熟」という言葉が指し示している。

以前の私は、成熟には程遠い人間だった。
家庭環境からくる、精神的な苦しさをかかえながら、成熟に必要なものを押し隠し、息苦しさの中生きていた。その呪縛から私を解いてくれたのは、ほかならぬツインソウルの彼なのだ。

成熟に必要なものとは何か?

それは、自分自身を感じること。
自分がどうしたいのか、何をしたいのか、自分の判断で道を進むこと。
自分という確固とした軸の形成が成熟するということなのだ。

http://www.556health.com/archives/2011/08/50510.html

こちらのサイトでは、自我の発達段階には以下の4つがあるとされている。

 ○初期の自我 ○中期の自我 ○後期の自我 ○成熟した自我

私がツインソウルの彼と出逢い向き合いだした頃は、ここでいうところの中期の自我だったと思う。彼自身も同じ状態だった。だから、葛藤の連続、喧嘩も幾度となくすることになる。この苦しみはいつまで続くのか・・・途方にくれもしたが、起きた苦しみから逃げずに自分と向き合った結果、私の自我は少しずつ成長することができた。

自我が成熟した状態でツインソウル同士が出逢うことができれば、こんな葛藤も喧嘩もなくすんなりとお互いを受け入れあえるのであろう。

だが、残念なことに私達は違った。
お互いを受け入れるためには、自分自身を成熟させなければならなかった。
その葛藤がずっと続いたのだ、と私は思う。

しかし、大人になってからの自我の成長は、簡単なことではない。

私にしても、正直、自分がどうにかなってしまうのではないか、というところまで追い込まれた。感情の嵐におそわれ、生きているのがやっとという期間も味わった。あまりの辛さに、そこから逃げることも考えたが、「彼を愛している」という気持ちがあせることなく、その気持ちが私を奮い起こさせた。何があろうとも、彼を信頼するという今までの私でならありえない気持ちが支えだった。そこにあるのは、ツインソウルの絶対的な愛。これなくして、この苦しみを乗り越えることはできなかったかもしれない。

多くのツインソウルカップルがそうした葛藤や苦しみを味わうのも、成熟しきっていない自我の成長のためにどうしても必要なことなのだろう、と今の私は思う。

一番効果的かつ確実に最短で、お互いの成熟を促しあえるのが、ツインソウルという間柄なのではないか。

そうして、成熟したのち、君が代に歌われているような固い絆がむすばれるのだと思う。
「みとのまぐわい」が成立するのであろう。

現在、たくさんのツインソウルカップルが出逢っているのも、そうした結びつきが必要とされているからだと私は思う。しかも、それは早急に必要とされているのだと思う。ツインソウル同士が未熟な状態で出逢うのは、そのためであろう。おそらく、残された時間はもうない。早急に成熟することを、見えない力が促している感じがする。

この結びつきこそ、国をつくる礎になるのではないだろうか?

そんなことを、「君が代」の動画を観て強く感じたのである。