以前、ある方がこんな事を言っていた。
「龍の背から振り落とされないように」
龍とは日本のことを言うらしい。
この日本の国土から、振るい落とされないようにとの忠告である。
当時はこの忠告がいまひとつピンとこなかった。
だが、昨今の自然災害を目の当たりにするにつけ、なるほどと思うようになってきた。うかうかしていると、確かに振るい落とされる危険性があると。
これは、本人の危機回避能力によるものがあると思うのだ。
私にヨガを教えてくれている先生は、これが非常に発達した方だ。
先生はこの能力で小さな諍いから、大きな自然災害まで、自分の身に降りかかる危険を全て回避してきている。
言っておくが、何かが見えるとか、メッセージが聞こえるとか、予知ができるとかそういった神秘的能力を指しているのではない。あくまでも、先生自身の現実的な行動による。
「何となく行きたくない」とか「何となく嫌だ」という気持ちに素直に従った結果だ。それは、サボるとか怠けるとかの意味では勿論なく、何かがストップをかけている状態を敏感に感じてのことである。
この感覚、私にもわかるようになってきた。
これは、自動車を運転している時によく感じる。
「何となくここへ行きたい」とか「こっちへ行かない方がいい」とか、その直感に素直に従うと、知らない場所で特に地図を見なくても目的地に到着できるのだ。例え、道を外していても不思議とたどり着けるし、思いのほか楽しいドライブになったり、新たな情報をキャッチしたりする。
ヨガの先生も同じことを言っていた。もっとも、先生はどんな時でも的確に最短距離で道路を把握できるらしいが、私の直感の精度はまだ甘いのだろう、かなり遠回りをしてしまったりする。が、それでも何とかなるようになってきたのだ。
これは、基本的に一人の時の話だ。
誰に気兼ねすることなく、気ままに運転できるリラックス空間で可能なのである。
たぶん、リラックスすることが常時できるようになれば、どんな人と一緒でも大丈夫だろう。しかし、今現在の私では相手に気兼ねすると、途端に羅針盤の精度が落ちてしまう。自分の直感の声より、相手の気持ちを優先しがちになるからだ。
ヨガの先生のように、「狂わない確かな羅針盤」を持つことが私の目標であるが、とりあえず、自分の中に「機能する羅針盤」があることは確認できたのでまずは良しとする。
この羅針盤さえあれば、自分を頼りに行動できるからだ。
以前の私は、羅針盤を外に求めていた。
人の意見しかり、占いしかり、精神的指導者しかり・・・
とにかく、ありとあらゆる情報を全て外に求めていたように思う。
だが、外に求める情報はやはり他人のそれであるため、いささか不明瞭なもの。それを行動の絶対的な指針にすると、迷いやすい。
カーナビゲーションによく似ている。
ナビは非常に便利なものである反面、信用しすぎると惑わされることがあるのだ。
情報はあくまでもいち情報として捉え、自分の意思で運転をしたほうが良い。自分を信用するのだ。そうすると、思いのほか楽しいドライブを満喫できると私は思う。
これは、そのまま人生にもあてはまる。
人生のドライブのハンドルは、自分がコントロールしなければならない。
他人にハンドルを任せていては、あらぬ方向に行ってしまいかねない。
自分がどうしたいか?を自分自身に問いかけながら行動して欲しい。自分の意思に迷いなく従うとき、自分を危機から回避させる事ができると思う。
自分が自分を救うのだ。
自分自身が問う問題の答えは、全て自分自身の中にあるのである。
先日の御嶽山の噴火は、登山をする私には他人事とは思えない事だった。何度も目にしていた山だったし、実際に登りに行ったこともある。富士山を目指す前に登りにいった山 がここだった。非常に身近な山だったため、ショックも大きい。
だが、こういった危険性はいたるところにある。確実に安全なところなど無いと思ったほうがいい。だからこそ、天気や火山情報など下調べをしたうえで登山をするべきだと思うが、それは確実な情報ではないということも肝に銘じでおく必要があるだろう。
何よりも、大事なことは自分自身の羅針盤を常に働かせることだと思う。
そうやって、自分自身で判断しながら「龍の背」を生きていくことが、これからの世の中必須になってくるようなきがしている。