私は、物事を深く考える思索型の人間だ。
本を読んだり、ネットで調べ物をしたり、人と意見交換をしたりすることが大好きなのだが、これがときとして障害になることがある。
それは、物事を「素直に楽しむ」ということに苦手意識を感じてしまう時だ。みんなが素直に楽しんでいる姿をみて、「何で私は出来ないんだろう?」と劣等感を感じてしまう。
素直に楽しむという事が、私にとってどれほど大変なことだったのか、ツインソウルの彼に出逢うまで私自身も気がついていなかった。素直さがなく、考えすぎて自分のしたいことが出来ないでいる自分自身に気がついてなかったのだ。
それがどうだろう。
ツインソウルの彼と出逢い、彼に想いを抱いた時点で、私は胸の衝動を抑えることができなくなっていた。気がついたら、プライドをかなぐり捨てて彼に飛び込んでいた。その行動は、素直というには程遠いぎこちないものだったに違いない。でも、「自分がしたい」と思ったことを正直に行動に移していた。
私はこのとき、何も考えていなかった。ただ、「好き」という気持ちで行動に移していたのだ。いつものように考えすぎていたら、私は行動に移せなかっただろう。
以前のマラソンでもそうだった。
友人のメールで、何も考えずにエントリー。その後のトレーニングは、とりあえずやってみてから、わからないところを少し調べるかたちになっていた。友人のように、マラソン関連の本を読んで知識を頭に入れ、それに従ってトレーニングをする・・・という気持ちには、何故かなれなかった。いつもならば、この友人のような行動をとるはずの私が、今回に限っては何もしなかったのだ。
何故そうしなかったのか?不思議に思っていたのだが、最近気がついた。
それは、余計な思考で頭でっかちになりたくなかったからだ。私にとってマラソンは、途方もないことだったため、知識で押しつぶされるとトレーニングどころではなくなる。マラソンという大事をやり遂げるためには、私の場合それでは何も始まらない。とにかく、やるしかないのだ。たとえそれが、闇雲なトレーニング法だとしても、やるしかない。それくらいに自分を追い込む必要があったのだ。
ツインソウルとの事もそうだ。
私は、ツインソウルという概念をもたないまま彼に出逢った。出逢って、何が起こっているのかわからないまま、ただ自分の直感に従い、手探りで行動をして行った。自分に起きたことが何なのか?を調べて、はじめてそれがツインソウルという関係性だと気がついたのだ。
もし、ツインソウルという概念が私の中にあったとしたら、直感による行動はとれなかったにちがいない。そうしたとき、私は彼との関係性を今のように築けていたのか怪しいところだ。たぶん、彼のことを「理解不能な人」とずっと誤解したまま時を過ごしたに違いない。ツインソウルということに囚われすぎて、彼との関係性から学ぶどころではなかっただろう。
流れに身をまかせるという言葉があるが、これは何も考えずにとりあえず起きることを受け入れるという事だ。そこには、あぁしよう、こうしようという考える余地はない。考えて行動した時点で、それは流れに逆らっている。抵抗してる。
正直、これでは楽しめるものも楽しめない。
楽しむためには、何も考えずに「やりたい」と思うことを行動にうつすこと・・・
そうすれば、自ずと「今」に意識が集中する。だから、楽しめるのだ。
最近の私は、この身を委ねる感覚が自然になりつつある。
これは、特にドライブや旅で感じることが多い。思ったこと、感じたことを素直に行動に移す。途中何が起きても、ただあるがままに受け止める。そうすると、不思議と行くべきところへ自然と導かれていくから面白い。無計画でも、うまい具合に導いてもらえるのだ。
「今、自分がどうしたいか」
この感覚に従ってさえいればいい。
考えすぎず、あるがままで居るとき、私は真からリラックスをしている。
そういう時に、私は自分の枠を大きく超える体験をしている気がするのである。