かのんのお部屋 -78ページ目

かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

2週間ほど前のことになるが、左半身に強い歪みを覚えた。


人の身体というものは、日常動作でどうしても歪みが出てしまうものらしい。私は、以前から左側に歪みやすい生活を送っているとのことを、整体の先生に忠告されていた。だがこれは、いつも感じる軽いものではない。どうにかしないとまずい、と私の中で危険信号が点滅していた。


知っている限り、歪みを直す方法を試してみるも、どれも今ひとつパッとしない。これだけやって無理ならば、プロの手をかりないと・・・そう思いながら、ふと本棚に目をやった。そこには、身体の健康(主にエクササイズ系)に関する本が並べてある。その中に、『すごい気がでるDVDブック』という本があった。


これは、気功により本人の自発功を促すDVD。気を受けることにより、身体が無意識に動き出す。それこそが身体の不調に作用する動きであり、自然治癒力で身体を治す、というのが自発功なのだそうだ。



そうか、これがあったか!と思い、早速このDVDを見る。



私はもともと気が流れやすい体質らしく、気の力に身体を委ねると直ぐに反応を始める。頭・腰・腕などをブンブン振り回したり、舞のような動きをしてみたかと思えばラジオ体操のような動きをしてみたり、脱力したかと思えばピーンと身体をそらしてみたり、と非常に激しい動きの連続に自分でも驚いたほど。でも、その動作ひとつひとつが非常に気持ちが良く、いつまでもやっていたいと思った。

全てが終わって、左半身の強い歪みは軽減されていることに気が付く。ただ、左腕に少し痛みが出たが、ただの動き過ぎだろうと気にせずにいた。



ところがである。



日がたつにつれ、この腕の痛みは激痛へとかわっていく。洋服が満足に着られない、下着がつけられない、髪の毛が結えない、茶碗がもてない、瓶のふたが開けられない、鍋やフライパンを持ち上げられない、車のハンドルが握れない、シートベルトができない、ギアチェンジができない、寝返りが満足にうてない。左腕でする一連の動作が激痛により制限されてしまったのだ。普通に横になっても痛みがともなうというのにはまいったが、幸いにも右腕は何ともなかったので、左手でする動作を右手で代行していた。



普通ならば、即刻、病院なり整体なりに駆け込んでいても不思議ではない。これらの症状を目の当たりにし、家族は「病院へ行け」としきりに勧める。が、私はその言葉に耳を貸さなかった。好転反応が出ていると感じていたからだ。好転反応とは、身体がよくなる前に、一時不調になることを言う。私の身体は良くなりつつある・・・だから、ひたすら自分の身体を信頼して過ごしていた。



こんな激痛は、30年前の交通事故以来になる。左鎖骨骨折、左肩甲骨にヒビ。これが、当時の怪我だった。外科にかかり、即入院を余儀なくされる。完治まで、数ヶ月かかった。あの時の痛みに似ている・・・そうか!30年前の古傷に作用しているんだ!!すっかり治ったつもりでいたのだが、そうではなかったらしい。



そういえば、30年ほど前から私の身体は徐々に不調のデパートになっていった。若い身空で整体や鍼灸マッサージに通う日々、良いと聞けばどこへでも行ったし、サロンパスやピップエレキバン、つぼ膏や皮内鍼、各種健康グッズ、良さそうなものはなんでも試した。


マッサージの先生から、肩甲骨に指が入らないくらい硬いと言われていたが、今ならわかる。硬いのではなく、硬くなってしまったということなのだと。骨折などをすると、骨の周りの筋肉が硬直するらしいのだ。その硬直してしまった筋肉が、今まさに自力で緩みはじめている。その証がこの好転反応だと。


痛みをこらえながら自発功をつづけていき、痛点が日に日に移動。一週間ほどで激痛から解放された。

それと同時に、何とも言えない開放感を味わった。スッキリしたといえばわかるだろうか。30年間悩まされ続けていた肩から首にかけての重苦しさがなくなったのだ。


今回のことで、心身の不調を正すには自分自身の力が絶対的に必要なのだなと思った。自分の身体を治す力は、自分自身の中にあるのだなと。どんな素晴らしい腕をもつプロの施術者にかかったとしても、治そう!治りたい!治るんだ!と自分で本気で思って行動しない限り、完治は難しいのだろうと思う。一時は楽になるかもしれないが、他力本願ではまたもとに戻るのは目に見えている。だからこそ、治そうとする自分の力が必要なのだと。


不調は他にもあるため、引き続き自発功は続けている。それは、エネルギーを流すための滞りをなくす作業。自分で自分をスキャニングしているかのようである。


自分自身を貫く大きなエネルギーが流れ出す時のために。それは、天から地へ、地から天へ・・・エネルギーの流れは、自分の身体をつかって循環するのだと思う。その流れを作るための作業を、私は「今」している・・・そんな気がするのである。