10年前のセッション を受けてすぐ、父方の従兄弟から一通のメールがきた。それは、生母の写真が出てきたので送るという内容だった。この従兄弟とは年齢が離れていたこともあり、あまり接点がなかった。もちろん、直接連絡をとりあったことはない。そんな彼がなぜ急に、私に連絡をしてきたのであろう?なぜ、今このタイミングで母の写真が出てきたのだろう?
不思議なこともあるものだと思いながらも、この出来事が偶然には思えなかった。母が私に何かを伝えようとしている・・・そんな感じがしたのである。
それまで、私のもとには生母の写真は一切なかった。それは、再婚した父が写真を全て処分してしまったからだった。これは、亡き妻を忍ばせる「写真」を再婚相手に見せないよう、私の意識を亡き母へ向けさせないよう父なりの配慮だったと思われる。再婚によって心機一転、再スタートをきりたかったのかもしれない。
セッションによると、亡き母は私の傍にずっといてくれたらしい。いや、母を求める私の想いが強すぎて、母を縛り付けていたと言ったほうがいいかもしれない。あちらの世界にいる母には、私がどんな想いでいるのかわかっていたらしく、それを知ることが事のほか辛かったのだと言う。どうにかしてあげようにも手出しが出来ない。口を出すこともできない。ただただ、見守るしかない。それは、子を思う母として、身も引きちぎられそうな痛みであったろう。
若いみそらで病の果てに、小さな我が子を置いて行かなければならない辛さを、母もまた引きずっていたのだろうか。そんな親の心など子知らずで、小さな私は「母に見捨てられた」と心の奥底で思っていたようだ。泣いても叫んでも母は来てくれないし抱きしめてもくれない・・・いい子にしていれば来てくれると思って期待しても無駄。そんな繰り返しから、欝になっていったのだとセッションで教えてもらった。父が再婚を決意したのも、私の様子がおかしくなり、母親の必要性を感じたからだったのだと言う。
こんなにも愛されていたんだ・・・と、今の私になら思えるし受け取れる。が、当時の私には、本当に欲していた愛はどこにもなかった。真っ暗闇の中、愛を求めて必死で生きてきた。ずっと、愛に飢えていたのだ。それが、私の生きづらさになっていった。
求めて求めて・・・そんな生き方しかできなかった私が、今こうして立ち直りつつある。母は私の成長を喜んでくれているのだろうか・・・。
実は、母の写真についてはまだ先がある。
祖父の葬儀でほとんど逢ったことのなかった母方の親戚と出逢うことになったのだが、この時に皆が一様に「○ちゃん(生母)にそっくり!」と口にした。私は、母の生き写しなのだそうだ。叔父も、「姉貴がそこにいるようだ」と言う。
確かに、以前もらった写真の母に私は似ていた。私は明らかに、父ではなく母に似ているが、生き写しという感覚はなかったため、皆の驚きがいまいちわからなかった。
その親戚の中で、母の従兄弟という方が私を一番気にかけてくれ、私に生前の母の様子を語ってくれた。この方と母とは、歳が近いこともありよく交流していたらしい。この方の一番下の妹さんが私の母が大好きだったそうで、兄妹揃って母とは親交があったようなのである。
「家に帰ったら、○ちゃんの写真を探してみるよ。妹にもそう言っておくから」
この約束は、49日の法要の時に果たされる。その写真を見て驚いた。
私なのだ。私がそこにいるのだ。あまりに似ているため、自分を見ているような不思議な錯覚に陥る。それは、結婚前の生き生きとした母の姿だった。
父方の従兄弟から送られてきた母の姿は、どこか悲しげだったが、この写真は違う。若さあふれる、健康な母の姿をみることができて嬉しかった。
もしかして・・・と思った。
母は、私の成長を喜んでくれているのではないだろうかと。
この写真からは、喜びに満ちあふれた波動を感じたからだ。10年前に受け取った写真からはそれは感じとれなかった。どこか、悲しげで心配する感じだったのだ。
当時、私は立て直しを始める準備すら整っていなかった。ようやく、イントロダクションにさしかかったばかりだったため、母の心配は、きっとMAXだったに違いない。大丈夫だろうかとずっと気が気ではなかったであろう。それが、写真にあらわれていたのかなと思ったのだ。それが、この健康的に微笑む写真をみることになり、母は喜びに満ち溢れているのかなと感じたというわけだ。
ちなみに、今回の遺産相続の一件には、見えない世界からの働きかけがあるよう思えてならない。それは、亡くなった祖父、祖母、生母を含めた、すべてのご先祖様が私に働かけているように感じるのである。まさに一族総出でカルマを括っているのかもしれない。
「あなたに全てを負わせて申し訳ない。けれども、あなたならばできますよ。」
これは、私の友人を通しての母からのメッセージである。
私にならば出来る、いや、これは残された私にしか出来ない事なのであろう。
今、私の目の前には母の写真が飾ってある。母は、微笑みながら、私を見守ってくれている。これからも、ずっと変わらず見守ってくれるに違いない。
そんな母の大きな愛と導きに感謝をする次第である。