私は、根本的に物事を覚えるのがゆっくりである。ゆっくりと言うより、ジックリと言った方がいいか。納得がいくまで掘り下げながら、少しずつ覚えていく。確実に頭と身体で覚えようとするため、どうしても人より物覚えが遅くなる。
自分がこういうタイプという事に気がついたのは、最近のこと。それまでは、自分の手が遅いのだと思って、早くできない自分を責めていた。自分が悪いんだと。
でもそうではない、これは人それぞれの個性なのだと気がついた。
早くやれることが良い訳でも、ゆっくりやるのが悪い訳でもなく、どちらでも自分のやりやすい方で良いのである。
しかしなのだ。
物事を手早く出来る人は、ゆっくりな人を見るとイライラすることが多い。だいたい、「早くやりなさい!」と急かすか、「こんな事もできないの!」と呆れる。口を出さないまでも、じれったくなって手を出す。自分が出来るために、出来ない人の気持ちがわからないのだ。
口をだされると、「早くやらなくちゃ!」と焦る。
手をだされると、やる気は一気に削がれる。
失敗してもいいから自分でやりたいのだが、その気持ちを無視され、蔑ろにされ、挙句の果てには、「まったくこの子は使い物にならない」と言われたりする。こんなに悔しいことはない。私が自信を培えなかった理由のひとつは、ここにあると思っていいのかもしれない。
こういう自分の経験から、物事を教える時は個々人のペースを必ず見極めるようにしている。早くできる人はその人のペースでステップをすすめていき、出来ない人は出来るまで見守り、次のステップへ誘導する。そうしないと、その人の個性をつぶしかねないし、優劣ができてしまうと思うからだ。
ゆっくりな人は、しっかりと理解したあとならば、手早く仕事をこなすことができる。その仕事は、とても丁寧で的確だ。自ら失敗を重ね、時間をかけて覚えてきたからこそ、完成度の高い仕事ができる。納得に時間もかける分、半端のない深さで理解をしようとする。それは、本質を見極める勢いだ。
だから、初めから手早くやれることが良いとは限らないと私は思う。
自分のやり方を押し付けず、ありのままの相手を受け入れることから、全ては始まっていくのかもしれない。
愛のある争いのない世界へ、その一歩はここからかなと私は思うのである。