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かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

一ヶ月ほど前になるが、宝永山へ登ることになった。

 

雨による災害が報告されていた最中、天気予報からも登山そのものが危ないと判断。一時、中止の判断が下ったのだが・・・

 

(あぁ、行くことになってしまった・・・)

 

未だ身体が出来上がっているとは言えないため、積極的に登山が出来る状態ではない。そんな中での登山である。

 

(今回の登山は、登拝になる)

 

そう感じたため、腹をくくり、身を清め、準備に取り掛かる。

 

5年前、雪山を経験して以来の宝永山。当時、登山経験も浅くゴールデンウィークの富士山がどんな状態なのか知る由もなく・・・現地で雪山とわかり、その恐ろしさを体感させられた、まさに”登ることになってしまった”宝永山だった。

 

そして、今回。

 

万全な体制とは言い難い状態で、またしても、登ることになってしまったのである。

 

ちなみに、宝永山へは富士宮登山口(五合目)駐車場から入山。六合目付近で分岐があり、宝永火口に向かって行くかたちになるのだが、それまでは富士山の山道を登る。

 

以前に富士登山をした時も思ったが、富士山の山道は比較的登りやすくなっている。山道そのものがとても整備されているのだ。六合目より上は樹林帯があまりないため障害物が比較的少ない。だからだろうか、気軽に登山をされる方も多い。

 

今回は雪が完全に溶けている状態だったため、登山者もかなり多かった。しかし、この登山者の9割ほどは富士登山へ向かう方達。宝永山に向かわれる方はあまりいなかった。

 

前回の登山では一面の雪景色の中を歩いていたからであろうか、景色がまるで違って見える。当時、屋根しか見えていなかった登山小屋の横を通り、雪がどれだけ積もっていたのか体感。雪の中に隠れていた其々の場所の本来の姿を見て、とんでもない所を歩いていたのだと思い知る。

 

(無事で良かった、死ななくて良かった)

 

こんな風に感慨深く歩いていたのは私くらいのものだろう。

 

さて、前回の雪山では危険過ぎて、先に進めなかった宝永火口に降りていく。いよいよ、本格的な宝永山登山だ。

 

宝永火口は非常に大きいものだった。赤茶けた広陵とした火口を見ながら、300年前にここから噴煙が上がったのだと肌で感じる。そうして、火口の底についた時、とても大事なところに来ているという感覚があった。富士の裏の側面を体感していると。

 

そこから山頂に向かって、礫道が続く。踏み固められていないため、ずずっと足がとられる。富士山の下山ではお馴染みの光景だが、それを登る。ただただ、ひたすら登る。

 

富士登山で登頂アタックした仲間達が言っていた言葉を思い出す。

 

「あれは、地獄の行軍だった」

 

御来光を拝む登山客で山道が混み合い、時間的に御来光にあわせた登頂が無理だと登山ガイドが判断、下山道から登頂を目指したという。下山道は礫道、下るには楽な道程でも、登りにはきつい。進んでいるようでなかなか前に進んでいけない道行は、確かに地獄の行軍だったかもしれない。

 

それでも、私には歩きやすい道だと感じていた。障害物がないからだ。ただただ、ひたすら登っていれば良いのである。もちろん、時間はかかるのであるが。そうこうしているうちに、尾根筋へ辿りつく。ここからは、尾根伝いを山頂まで歩くだけだ。

 

そうして、ついに登頂を果たす。5年前には出来なかった、自力での登頂が果たせたことに感動である。

 

さて、今回の登山では他に同行者がいた。その連れは、ここでどうしてもやりたい事があったのだが…準備に取り掛かっている最中、凄まじい突風で大事なメモを飛ばされてしまう。

 

あっと言う間の出来事だった。

 

尾根についた時も感じたが、この日の風は非常に強かった。もともと、風が強い場所らしいのだが、この日は台風の影響があったものと思われる。迷走台風12号の影響だ。

 

頂上から、駿河湾の方を見ると雲の柱が此方めがけてやってくるのが見えた。

 

「身の危険を感じる。降りよう!」

 

突風とともに雨が降り始めたため、すぐさま下山に取り掛かる。

 

苦労して登った割に、下山はあっという間。

思いのほか楽に感じた下山をして、宝永山を後にする。

 

さて。

 

やりたい事が出来なかった私の連れ。あきらめがつかなかったのか、曰く「どうしてもやりたい」との事で場所を移動することを私に提案してきた。駐車場から駐車場へ移動するのだという。富士宮登山口駐車場から須走登山口駐車場への移動だ。字面にすると簡単に聞こえるが、富士の裾野をぐるりと走るので結構な移動距離になる。

 

登山で汗だくになっていたため温泉にでも入りたかったが、ここは流れにまかせることに。須走登山口駐車場近くまで来て、連れが突然、神社のことを口にした。

 

「確か神社があるはずだから、待っている間に行ってくれば?」

 

ここの神社については不案内だったので、土産物屋でもらってきていた観光案内マップで確認。そこで目にしたのが「古御嶽神社」であった。

 

富士吉田口駐車場にある「小御岳神社」とおなじ読みの神社だ。富士山というと木花開耶姫様が有名であるが、個人的に姉の磐長姫様を主祭神として祀る「小御岳神社」には非常に思い入れが深い。俄然、興味が沸いてきて参拝に向かう。

 

(ん?小富士??)

 

軒を連ねる土産物屋をくぐり抜け、進んで行くと、「小富士」への分岐があった。

 

20分ほどで行ってこられるよ」

 

すごく気になり分岐を進んでみたものの、思った以上の山道だった。

 

(はて、本当に20分で行ってこられるのか?)

 

独り山道を歩く、もちろん帰路もある…今の私にそんな余裕はあるか?との思いが走り、これ以上奥へ進むことを断念。後ろ髪ひかれるが、今回は神社のみに留めようと思った。

 

分岐に戻り、須走登山口の看板を過ぎた。この辺りから山の霊気がグンと強くなった気がした。分岐地点あたりから既に思っていたのであるが、それがより強くなった感じがするのだ。

 

時々、こういった独特の自然の霊気を肌で感じることがある。

信仰のある場所だと、特にそれが強い。畏敬の念と言えばおわかりになるだろうか。

 

神社は階段を登った少し奥にあった。

 

由緒書きも何もなく、浅間大社や小御岳神社ほどの豪華さはない。少々、地味な神社なのだが、ここに来る意味があったと感じている自分がいた。社の主がわからないまま、そこをあとにする。

 

「古御嶽」「小富士」

 

社の主はわからなかったのだが、この二つのキーワードから、ふと思い出したことがあった。それは、NHK『ぶらタモリ』でやっていた富士山の成り立ちである。

 

富士山が今の形になる前、「小御岳」という山があったとされる。知らなかったのであるが、富士吉田口の「小御岳神社」にはその頂きが少し顔を出しているそうだ。さらに、「小御岳」が出来る以前には「先小御嶽」という山があり・・・「新富士」「古富士」「小御嶽」「先小御嶽」富士山は4階立てになっているらしい。度重なる噴火をくりかえし、現在の富士の形になったのだそう。小富士はその噴火の過程でできた場所なのだとか。

 

後から、ここのお社の主を調べてみたらば、大山津見様のお名前が出てきた。磐長姫様、木花開耶姫様の父君である。

 

富士の大基(おおもと)があの場所だったのか?

そんな事を考えながら、富士山からの帰路についたのであった。

 

ちなみに、今回の富士行きには「災害」「噴火」「基盤」というキーワードがついてまわっていた。これに関する「登拝」であり「神社参拝」であったように思う。何を意味するかわからないが、一応、書き留めておくことにする。