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かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

山登りの前に、急遽行くことになった近所のカイロプラクティック。




いつも行っているところが休診日だったため、初めて訪れたところだった。




症状についての問診から始まり、カイロとは・・・という説明をうけ、私の身体の問題点を鏡を使って確認、説明をしたのち、ベッドに横になって施術。




少し説明が長いかな・・・と思ったが、身体のバランスを整える施術はそれなりに満足がいくものだった。




その施術の最中に、骨盤の傾きを指摘され、骨盤ベルトの装着を勧められる。

確かに装着することで、骨盤の位置を保つことが出来るだろうから良いかも・・・


と思いかけたのだが、ちょっと待てよと思った。



私には、そこまでの健康補助具が必要なのだろうか・・・と思ったのだ。

入浴時と睡眠時以外は装着したままにするほど、必要なのかと。




確かに、今の状態ではベルトの装着は望ましいかもしれない。

なにしろ、歪みまくって各所に痛みが出ているのだから。




でもなのだ。




痛みが出るほどの身体の状態を放置したのは、すべて自分の責任でもある。

その責任に真正面から向き合わず、ベルトに頼るやり方が果たしていいのだろうか?ベルトに頼って、自分は何もしないやり方でいいのだろうか・・・




自分ではどうすることもできずにいる酷い状態ならば、サポート的な意味で使用するのは、いいかもしれない。が、これはちょっと違う気がした。




決して安くない健康器具である。



それを、簡単に勧めるやり方に少し違和感を感じた。

ここは、症状に応じてサプリメントも勧めている。
サプリメントを服用することで、目に見えた効果が出るのかもしれない。
が、それに頼らずとも何とかできるのではないか?と私は考える。


ずらりと並ぶ健康補助食品や器具を見て、根治が目的なのか、これがなければいられない身体にするのが目的なのか変に勘ぐってしまう。




ここではないが、別の治療院ではマシンの使用をすすめている。

酸素カプセルだの、マッサージベッドだの来院するたびに新たな機械が増えていく。




それは確かに使用することで効果があるもののようだが、この機械に依存している患者さんを見かけるにつけ、これでいいのだろうか?とも疑問符が湧いてくる。自分で自分の身体を何とかしようと思わないのだろうか?と。


私は、お金を支払うのが嫌なのではない。

自分がしてもらったサービスに対して、要求された賃金を支払うのは当たり前の事だと思っているし、むしろ感謝して支払える。特に自分が満足のいくサービスをしてもらった時は、それ以上に支払いたくなるくらいだ。



だが、色々な治療院に行くたびに何ともいえない違和感を覚えるのは、患者さん本人の自立をサポートするより、依存させる雰囲気が治療院側に見え隠れするからなのではないか?と思うようになった。



これを飲めば、これを身につければ、この機械を使用すれば・・・・
そんな事をしなくても自分の健康維持管理は出来ると思うのだが。




もっとも、それらを利用するのも患者さんの意思ではある。

本当のところ「どうしたいか?」を決めるのは患者さん本人ではある。



が、「自立」より「依存」の選択肢を患者さんに大きくアピールして見せる治療院も少なくないような気がするのは気のせいだろうか?




患者さん本人に自立をしてもらうより、商品に依存してもらった方がお金は儲かるだろう。だがこれでは何というのか、お金のやりとりまで主体性がないように見えてしまう。


結局のところ、患者を集めるのが目的なのではないかとも思ってしまうのだ。



ちなみに、私を整体に導いて下さった、整体院の先生はこの限りではない。


徹底的に患者さんの身体と向き合ってくれるが、基本的に患者さんの自立を促す方向へ導いてくれる。


アドバイスも体操も至って簡単な事であるが、お金が一切かからない効果的な方法を惜しみなく教えてくれていた。

だから、私の身体を整え終わったときに、もうこれ以上の施術は必要ないとはっきり言って下さった。


あとは、時々身体の調子を見せてくれるだけで良いと。


私は、これ以上の施術が必要ないと聞いたとき、正直「もう見てもらえないのかな」と思ってしまった。



だが、今になって気がついた。私自身が気づかぬうちに、この方に依存しかかっていたということを。依存しかかっていた私を、自立へと上手に導いてくれていたということを。


患者本来の生きる尊厳を大切にし、治癒へ導くこの治療の仕方。

私は、こういう治療師こそ一流なのだと思う。


身体をなおす手助けをしてくださるのが、治療院のあるべき姿。



だが、その手助けはし過ぎてもいけない。
あくまでも、ほんの少しの手助け、サポートをすることをわきまえておかないと、患者自身の自立を削いでしまうことになる。完治をするのに必要なのは、本人の自己治癒力なのだ。




そうなってくると、サプリメントも健康器具も機械も特に必要ないのではないか?

そう考えると、高いお金を出してまで買い続ける必要性はないと私は思ってしまう。




何かに依存する前に、自分でなんとかする癖をつけた方がいい。




自分で何ともできない時に初めて、人なり治療院なりに頼るようにしないと自分をどんどん甘やかすことになる。




依存の行き着く先は、支配だ。

洗脳されて支配されて、自分の考えを持てなくなってくる。

それがなければ生きていけないような状態にさせられてしまう。


それが、今までの世の中の仕組みなのかもしれない。
そういう仕組みの中で、私達は右往左往させられていたのかもしれない。


でももう、そこから離れるときが来たのではないか?

そのシステムのおかしさに気がつくときがきたのではないか?

そんな事を、身をもって思う今日この頃の私なのである。