モヤモヤを解消するには、どうしたらいいか?
これには、感情のコントロールが必要なのだと思う。
コントロールというと、押さえ込んだり我慢したりととられやすいが、そうではなく、建設的な方向へ感情を誘導していくという方法だ。
そのためには、まず、自分がそういう感情を感じていると気がつく必要性がある。感情を意識するのだ。その上で、自分はどうすればいいかを考える。
感じているはずの感情を無視したり、抑えたりしてはいけない。
そんなことを続けていたらばどうなるか・・・
結果、感じることに鈍感になっていく。自分が何をしたいのか、何が好きなのかそんなことすらも、わからなくなっていく。自分が自分でわからなくなってくるのだ。
自分が自分でわからない?
嘘かと思うかもしれないが、本当のことだ。実際に私も経験したのでよくわかる。
本当に、自分がどうしたいのかまったくわからなかった。なんとかしたかったが、どうすればいいのかさえわからない。わからないことがわからないのだ。
ツインソウルと出逢ったことにより、自分の感情を素直に表現する必要性にかられる。これが結果として良かった。少しずつこのわからない感覚がなくなってきたのだ。感情とともに自分を取り戻しはじめた。と同時に、自分がいかに感情を抑えて生きてきたか思い知った。
私の場合、これは幼少期の生母の死と深くかかわっている。寂しくて母を求めて泣く私に、周囲の大人たちは「泣かない良い子」な私を求めていた。泣いてはいけない、わがままをいってはいけない、いい子でいなければいけない・・・そんな思いが感情を素直に出させることにブロックをかけていた。子供らしく甘えることが出来ずにいたのはこのためだ。
だから、感情は素直に表現して感じることが大切だ。そうやって湧き上がる感情をまず存分に味わう。負の感情だからと言って、押さえ込む必要はない。その感情を感じる自分もまた自分と受け入れるのだ。感じる自分を肯定する。それもまた自分と自分をまるごと受け入れるのだ。その後に客観的に自分をみつめる。
先の嫉妬の例ならば、嫉妬している自分を自己分析して、どうして嫉妬するのか考える。色々な思いが錯綜するのだが、結局自分の問題なのだと気がつく。そうすると、嫉妬していることが恥ずかしくなってくる。だから、その恥かしい自分を克服するにはどうしようかと考える。結果、嫉妬の気持ちが自分自身を向上させるバネになる。
私の感情の昇華のしかたは、こんな風である。
もっとも、感情のコントロールが出来るようになったのは、ここ数年のこと。それまでは、感情をコントロールしているつもりで、自分を諭し、無理やり納得させていた事に気がついていなかった。もともと抑えていた感情をさらに抑えようと頑張っていた。どこまで、自分をおいこんでいたのだろうか(^^;
若いときから精神世界の勉強をしていたため、何か事が起こると自分を責めながらも自己内省をし、必要以上に自分の感情を押し込めるという変な修行癖がついていたのだ。だから、悪くない点まで自分が悪いと受け入れすぎていることに気づかず行き過ぎた内省をし、自分に厳しくし過ぎていたのだった。
こうやって、自分自身を冷静に客観的に見ることができるようになって、自分を責めることがなくなった。自分が反省すべき点と悪くない点をしっかり見極めることができるようになったからだ。
現在、今まで自分に厳しくしすぎたぶん、自分をいたわっている。
ちなみに、この感情コントロールは、大人であれば当然誰でもできるものであると私は思っている。この場合の大人とは、成熟した精神の持ち主のことだ。
見た目が大人だからといって、誰でも成熟した精神をもっているものではない。なかには、子供がそのまま大人になったような人もいる。そんな人は自分をコントロールする術をもっていない人が多い。何故ならば、子供の頃に満たされなかった思いを抱えたままであるからだ。満たされない気持ちは満たされるまで、求め続けるであろう。子供が親に求めるように、無条件にほしがるであろう。
だが、外見は大人であるがゆえに、その行動は常識はずれのものになる。それを無条件に受け止めてくれるほど、社会は甘くはない。逆に、現実をつきつけられ、苦悩する。
そんな人であっても、恋愛をし、結婚をし、子をなすことはできる。
ただし、精神的に成熟していない人が選ぶ相手は、同じく成熟しきっていない人が多い。そんな人達が子供をなして、果たして健全に子供を育てることができるのか?
最近、機能不全の家庭が増えているそうだが、問題はここにもあるのではないかと私は思っている。そして、これは親から子へ、子から孫へと受け継がれていく可能性が大きい。家庭内の負の連鎖といわれるものだ。
これを食い止めるには、子供の頃の満たされなかった気持ちを満たすことが大事である。そのためには、自分の中にそんな満たされない思いがあることを認識する必要性があるのだ。
これが、インナーチャイルドと向きあうということであろう。
次回は、このことについていふれてみたい。