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かのんのお部屋

日々いろいろ思ったことを☆

前回からの続き。

 

 

 

私の父は、元々ある宗教の信者だった。自ら信者になった訳ではなく、父母(私の祖父母)が信者といういわゆる二世信者というものだ。そんな中、父は教団の考え方に疑問をもち、自らの意思で脱退。その後、妻(私の生母)を亡くしたことにより、妻の実家がお世話になっていた現在の寺の檀家になる。

 

何故、脱退したのか?という質問をしてみたが、父の答えはこうだった。

 

「教義は良いと思うが、とにかく金なのだよ。あれが、どうにも嫌だった」

 

少し前に用事があり、ある街へ出かけた。そこにはその教団の本部があったのだが、心底驚いた。なんというか物凄く異様なのである。

 

今までも色々な宗教の本部を見る機会があったので、宗教の建物は一種独特な印象を与えるものという認識はあったのだが、そんな建物が圧倒的な存在感をもって街の一部になっているのが私的に微妙だった。あちらこちらに、宗教の関連施設が立ち並ぶ様がこの教団の大きさを示している。それを報告がてら父に話したところ、こんな話になった。

 

「親父とお袋は、毎年、その本部まで歩いて行っていたのだよ。それが、この宗教ではあるべき姿みたいな事を言っていたんだ」

 

これを聞いてかなり驚いた。何故ならば、父の実家からは歩いていくにはあまりにも離れた場所にあったからである。一日二日で行けるような距離ではないため、相当長い間、家を空けていたのは想像にかたくない。仕事もせず、宗教施設に入り浸りだった両親に代わり、末子だった父の面倒を見ていたのは、同じ家に住む歳の離れた長兄夫婦だったらしい。長兄家族に遠慮をするような生活の中、父はここで経済的、精神的に苦労をすることになったという。

 

私の祖父母とりわけ祖父は布教をする立場にあり、信者にとても信頼され尊敬されていたらしい。だが、家庭よりも宗教を優先してしまった。そのせいで家族の絆に歪みを生じさせたという訳だが、より良い人生を送るための教えも、こうなってしまっては元も子もない。

 

宗教がらみで家族の絆が崩れるという話は、別の方からも聞いた。

 

この方の妻が某教団の信者だったが、彼は妻がその教団に通う事をあまりよくは思っていなかったらしい。もちろん話し合いももたれたが、妻自身の気持ちが固かったことから彼女の気持ちを尊重して黙認していた。ただし、子供達をその教団へ入信させるのは絶対に反対だった。

 

「宗教に入信するかどうかは、子供達自身が大人になってからの選択にまかせたい」というのが彼の意思だったからだ。だが、妻は夫に内緒で子供達を教団へ連れていっていた。子供達が無邪気にそこでの出来事を彼に話した事で、事態が発覚する。家族の絆が崩れたのは、別の要因もあったようだが、おおもとはこれだったようだ。

 

おそらく、家族全員が同じ教義を信仰していれば何も問題はなかったのだろう。だが、彼自身は頑なにそこの教団への入信を拒んでいた。妻自身も教団側も、あの手この手で彼を誘おうとしていたようだが、彼自身はそれが本当に嫌で仕方がなかったらしい。今でも夫婦仲は悪いと聞く。

 

こんな話もある。

 

これは、私の父の兄(私の伯父)の話なのだが、この兄嫁は夫の実家が信仰している教団とは別の某教団の熱心な信者だった。この伯父とはほとんど話をしたことがなく、彼自身の宗教観は聞いた事がないので、嫁側の宗教へ改宗したかどうかは定かではない。が、夫婦関係的には兄嫁が強かった事もあり、おそらく改宗したと思われる。この夫婦の家が、父の実家の隣にあるのが、私には奇妙に思えた。近い親戚でありながら、全く別の教義をもっていて、しかも隣同士に住んでいる。色々な意味で近い関係なのに、全く相れないものを持つ者同士が仲良くできるはずもなく・・・。彼らの信じる宗教同士が水と油の関係なのもあって、親戚関係が微妙な状態だった。

 

人間同士の絆を固めもするが、壊しもするのが宗教の怖いところなのである。

 

父が教団に対して疑念を持ったのは、お金が絡んでいる事も原因の一つだとは思う。だが、おそらく、家庭を顧みない両親へのわだかまりが根底にあったからだと私は思っている。

 

父の実家では、いまだにこの教団を信仰しているのだが、跡をついだ長兄夫婦も亡くなり、現在はその娘(私の従姉)夫婦が跡をついている。しかし、跡を継ぐことは本望ではなかったようで、どちらかというと迷惑をしていて信仰そのものを辞めたがっていると伝え聞いた。

 

どんな宗教を信じようが、それは個人の意思であり自由である。

 

だが、自分の信仰心を子々孫々にまで強要するのは如何なものだろうかと、父の実家を見ていて思うのだ。脱退という父の選択がなければ、私もまた従姉のように強要された宗教を信じる事になっていただろう。正直、そうならなくて本当によかったと思う。

 

自分軸で考え行動ができるようにならないと、他人軸に翻弄される。

 

宗教というものは、とかく他人軸になりやすい。教祖様がおっしゃる事が全て正しいのだ・・・と思いこむ事がどれだけ危うい事か、色々な宗教にふれてリアルな信者の方々と接してきて実感している次第。


宗教は人を封じる闇の役割と感じます。自分を一番大切にすることを忘れるように外側に神仏という崇めるものを置きます。

 

                                   インターネット検索サイトより引用

 

 

これからの世の中、宗教という役割は徐々にその役割を終えていく感じがしている。

神は外に見るのではなく、自分自身の内に見るものだからだ。

 

自分の力で考え自分軸で生きていくと、自然と宗教というしがらみには縛られなくなると私は思っている。

 

念のために言っておくが、決して宗教そのものを否定している訳ではないので誤解なきよう。心の拠り所が必要な方達はたくさんいるだろうし、そういう場所もまた必要だろう。ただ、妄信という罠にはまらないよう、宗教とは付き合っていってほしいと思う次第なのである。

 

 

最後に、某宗教団体の教祖の息子さんの動画を紹介しよう。

 

 

 

生れた時から教団があり、当たり前にその教えがあり、次期教祖候補でもあったという彼の人生はなかなか波乱にとんでいる。宗教という一種独特な世界観の中で育ちながら、ここまで自分自身を貫いて生きてくるというのは、正直、難しかったと思う。しかし、だからこそ培ってこられた強い精神性が彼には備わっている。ブレない自分軸をもっている事がとてもかっこいいと私は思う。彼自身が、宗教という世界に一石を投じる可能性を秘めていると私は思っている。色々と抱えるものも大きく、大変な事もあるだろうが、頑張っていってほしいと思う。