自分の身体の立て直しをはかるため、身体について探究していく過程で、体育教育の歴史を紐解いていく流れになっていった。

 

日本の体育の歴史は意外に浅く、明治維新後からになる。西洋列強と肩を並べるため、日本人に西洋的な教育が導入されていったのがこの時代。さらに、第二次世界大戦後のGHQによる政策が加わり、現代体育教育になっていく。


身体能力が人より低いため、体育が大嫌いでスポーツに苦手意識をもっていたのだが、個人的にウォーキングを始め、その流れからフルマラソンを経験することになり、ついには本格的な登山までするようになる。

 

だが、そのために故障を起こしてしまい、身体の立て直しを図らなければならない状態に追い込まれてしまう。故障を起こしてしまったのは、正しい身体の動きが出来ていないまま、激しい動きを繰り返してきたからなのはわかっていた。身体の立て直しを図らなければならないとスイッチが入ったのはこの時からだった。

 

【あなたの身体は、私がみてきた中でも一番固い】

 

理学療法士の先生にこんなお墨付き(?)をもらい、色々と調べていき、私の身体の立て直しにはリラックス状態が必要だとわかったのであるが、もともとの身体能力の低さに加え、交通事故でリラックスそのものが上手くできなくなってしまった私には、それは至難の業だった。自分ではリラックスしているつもりでも、身体を固くこわばらせてしまっている事に衝撃を受ける。

 

試行錯誤していたある時、古武術研究家の甲野義紀氏の書籍に、昔の日本人の身体使いが現代人とは違っていたという記述を見た。明治以前の日本人の身体能力はかなり高かく、最小限度の出力で最高のパフォーマンスを発揮していたのだという。これが、武士のみならず誰にでも出来ていたというから驚きだった。

 

昔の日本人は、簡単に言えば【効率的な身体の使い方】をしていた訳で、これさえ出来るようになれば、歩いたり、荷物を運んだりといった単純な行動すら運動になる事は間違いない。ようは、生活そのものが運動になる訳だ。巷によくある、ストレッチやトレーニングしか知らず、その方向性で身体を変えようとしていた私には、目から鱗の情報だった。

 

 

さて。



若い頃から歴史好きだった私は、学生のころに世界史を探求していた。これはこれで面白く、非常に興味深いものがあり、私の知的好奇心を満足させるものがあったように思う。しかし、移り住んだ現在の土地が縄文にまで遡る古さがある事を知り、自然と日本史に興味がむいていった。日本史は学校でならっているが、知っているようで知らない事が多いのに気が付き、改めて日本史を勉強するようになる。

 

そんな中で、どうにも興味がわかなかったのが、近代日本史だった。正確に言うと幕末から明治維新を経た、現代に至る歴史である。これは世界史でもそうで、戦争・経済などの歴史の流れに何か釈然としないものを感じていた。ところどころに違和感を覚えるのだが、それが何なのかわからない。古代史ならばともかく、近代史で明瞭さを得ないとはどこかおかしいと思っていた。

 

この事が思いもかけず紐解かれ始めたのは、大河ドラマを観ていた時のこと。当時、【西郷どん】に続き【いだてん】という流れで、幕末から明治維新、そうして現代へ続く歴史を体育という観点から観ることに。ちょうど、自分の身体の立て直しのために、根本的な人間の身体の動きについて様々な方向から考察していたところだったので、私にとっては非常にタイムリーな流れだったのである。

 

ドラマ自体は面白かったのだが、私は言い知れぬ恐ろしさを感じていた。明治維新後の体育教育が、日本人の身体を大きく変化させていったのが分かってしまったからだ。既にこの時から、日本人のアイデンティティは崩され始めていたのか・・・と愕然とした。

 

西洋文明を積極的に取り入れていったのが、明治という時代。新しいものを取り入れる時、古いものを捨てるのが人の常である。新しい西洋式の文化を取り入れていった結果、それまでの日本文化を【古臭いもの】として切り捨てていったのも、また明治という時代だった。

 

体育教育はそんな時代背景で生まれ、これにより日本人の身体の使い方が西洋式に変えられていく。西洋式の動きでは【胎】は育たないと聞く。こうやって、知らず知らずのうちに日本人の胎の力がぬけていく流れに変わっていった。

 

そもそもである。


明治になるまでは、日本人には体育の観念がなかったらしい。身体の使い方が現在と全く違い、生活そのものが【運動】になっていたためにあえて【身体の動かし方】を学ぶ必要性を感じていなかったのだという。

 

明治維新後に変化していった日本人ではあるが、戦前まではその誇りは保っていたと思う。

 

これが加速度的に低下していったのが大東亜戦争後。

敗戦後、GHQによって日本人弱体化計画が行われたことによる。

 

 

トルーマン「猿(日本人)をバカに変えて我々が飼い続ける」 | 低脳劣等民族日本人に告ぐ 2 (ameblo.jp) 

 

 

いわゆる【闇側】と呼ばれる組織が、世界をあらゆる面において牛耳っているのは知る人ぞ知る事実。彼らは自分達の利益の為に、計画通りに争いを起こし、経済に混乱を与え、人々を苦しめてきた。【闇側】の組織は表舞台に出てこないため、その存在すら知らない人々は多い。

 

幕末~明治維新からの日本の現代史の歴史に違和感を覚えていた、と先に書いたが、違和感の原因は歴史を裏で支配していた【闇側】の動きを考慮に入れずに歴史をみていたことによる。歴史の裏で暗躍する【闇側】の存在を知らずに表の歴史だけを追っていたと言う訳だ。

 

そもそも、学校の歴史で習うものは【表の歴史】のみ。それを何の疑いもなく受け入れていたのである。当時、ネットなどはなく情報を収集する事は大変な労力が必要だったこともあり、【裏の歴史】がある事など知る由もなかった。日本史だけでなく、世界史もまた然り。学校教育もさることながら、新聞やテレビなどメディアが垂れ流す情報を鵜呑みにしているとそれらは見えてこないのだ。これこそ、【闇側】に洗脳され続けてきた現代日本人の姿と言える。そうしてそれが、身体にも顕著にあらわれてきているのだが、この事にどれだけの方々が気づいているだろうか。

 

 

 

実際のところ、日本人の身体も精神も弱くなっている。特に現代の子供達に顕著に現れている事を、各方面の方々から、事例を通してうかがう事も多い。私自身の身体能力の低さも、ここに起因しているところがあり、見逃せない事実だと思っている。

 

実はこれが、強固な日本人の精神を崩壊させる目的で仕組まれたものだったというから驚きだ。ちなみに、この流れは明治維新よりもっともっと前からあったようで、この視点で歴史を見ていくと学校で習うものとは違った歴史が見えてくる。多くの場合、闇の存在は慎重かつ狡猾に動いているため、歴史の表舞台にはほとんど現れていない。

 

 

大河ドラマ【青天を衝け】でも闇の組織の動きを感じる場面が所々にあった。戦争、革命、クーデター等きな臭い事件が起きる時は、彼らの力が働いていると言っていい。これは、経済もセットになっているのが興味深い。日本のみならず世界的にみても、裏の歴史が存在すると思っていいだろう。陰謀論云々で簡単に片づけられる話ではないと私は思っている。

自分の身体能力を取り戻す過程で、改めて日本という国を考える事になったという訳だが、こんな感じで、150年という短い間にあらゆる方面から日本人の西洋化がすすんでいったのだと理解した。闇側の計画は大成功ということだろう。その上で現在の日本人をみていると、日本という国が本気で危ないと感じてしまう。

 

 

現在、日本人に急務なのは【日本人としての誇りをとり戻す】事だと思う。自国に誇りを持ち愛するという事が、私たちは希薄になっている。闇側の政策により自国に誇りをもたせない教育をなされてきたことにより、たくさんの方々が洗脳されて続けてきただろう。しかしながら、本来の日本人は実は凄い民族であることを、色々と探究していく中で確信していった。



西洋化により【胎の力がぬけた】身体に再び【胎の力を取り戻す】ことで、日本人としての誇りを取り戻していく事ができると私は思っている。何故ならば、私自身がこれを体感してきているからだ。意識すらできなかった肚の力を取り戻していく試行錯誤の過程で、日本人としての誇りに目覚めていった経験から言えることなのである。
 

だから、声を大にしていいたい。

日本人よ目覚めよ!と。

深い眠りから目を覚ませと。

 

粉々に打ち砕かれたプライドを取り戻すのは至難の技。しかし、取り戻した先にまっているのは揺るぎない確固とした日本人としての誇り。その日本が世界を先導してく、神々はこれを臨んでいるのではないかなと思う次第である。