難病で周りの支援が必要な知り合いがいる。
先日、その方に無性にイライラした。
何でこんなにイライラするのだろう?
私の心が狭いのか?
私が厳しすぎるのか?
最初はそんな風に思って悩んでいたが、どうも違うと気がついた。
「自分の出来ることは自分でする」
これができていない事がわかったからだ。
もちろん、全くやっていない訳ではないし、不自由な身体で大変だなと思う。
ただ、「いつも自分でやっている事」まで、隙あらば頼ろうとする「甘え」が私は許せなかった。
自力で色々な事が自由にできない状態なのはわかるし、こちらも助けようとは思う。
でも、助けてくれるからと頼りすぎるのは違うのではないだろうか?
「誰かがなんとかしてくれる」という、この方の根本的な「甘さ」。
これを感じてしまい、気持ちよく接することが出来ないのだと理解した。
誰も何とかなんてしてくれない。
山に入るようになって、それを肌で感じるようになった。
甘ったれた精神でいると、途端に厳しい応酬がやってくる。
場合によっては、死を覚悟しなければならない。
「自分の事は自分でする」
山に限らず、生きていく上で基本はここなのではないだろうか。
出来ない事まで無理にする必要はないと思う。
人には得手不得手というものがあるのは事実だからだ。
問題なのは、「自分でやれば出来る事」これを頼る癖なのである。
この方の病は脳に関するもの。自立した身体の動きを保つため、リハビリが必要だと医者から言われているらしい。でも、やりたい事がたくさんあるのでリハビリは二の次だと言う。
やりたい事をやるためには、自立した身体の動きを保つ事。本来、これが最優先されなければならない。だから、リハビリを頑張らないといけない事にこの方は気がついていないようだ。
おそらくであるが、上手く身体を動かせないためやる気がおきないのだと思う。楽しくないことを頑張る事ほど辛いことはない。「自分でやれば出来る事」もきっと簡単な事ではないのであろう。
それはわかるが、やらなければもっと身体は動かなくなる。やらないと困るのは自分自身なのに、周りに頼ってばかり・・・そこにイライラしたという訳だ。
先日、これと似たような事を知人から聞いた。
この知人のご主人が山にハマり息子さんを連れて山に行くようになったそうだ。
知人も誘われたが、頑なに行きたくないと言っているらしい。
「全て私が抱え込むことになるのがわかっているから行かない」
家族で登山なんてステキだなと思ったが、理由を聞くとなるほどと頷けるものだった。山に行く前も帰宅した後も、妻として母として色々とやらなければならない。その仕事量が限界を超えるのが目に見えているため、行きたくないのだそうだ。
ある時、どうしてもと言われハイキング程度の登山をしたらしい。その時、息子さんの行動が気になったという。
「疲れた」「お腹すいた」「だっこして」・・・
「旦那と行く登山だと絶対に言わない事を、私には言うのよ」
お母さんという存在についつい甘えてしまうのは、息子さんがまだ幼いのもあるからだろう。
でも、難病を抱えたこの方と根本は同じかもと思った。
人間というものは「なんとかしてくれると思った相手」につい甘えてしまう生き物なのかもしれない。
「天は自らを助くるものを助く」
自ら出来る事を一生懸命に頑張っていて、それでも尚且つ困っているならば私は喜んで手助けをするだろう。イライラもせずに気持ちよくその行為ができると思う。
もしかすると・・・
天も神も、同じなのかもしれないなぁ、この諺を思い出してそう思った次第である。