一週間ほど前に、ある歌のフレーズが突然気になった。
「Surrender to me」
いつもの事ながら、かけていたCDから流れてきていた曲だった。
何度となくこの曲を聴いているはずなのに、今まで普通に聞き流していた曲だった。この歌のこのフレーズが、何故か”今”気になるのだ。
この「Surrender」という言葉、私のブログ内で何度となく出てくるもの。もちろん、意味はわかっている。
「降伏・手放し・委ねる」
相変わらず、サレンダーができてないのだろうか??もっと、サレンダーしろとでも??
そんな事を悶々と考えていた。しかも、今度はここに「to me」と続く。
誰に降伏しろと?
誰がこのメッセージを伝えているの?
「me」が誰をさすのか?
私の中で、ある二つの答えがよぎった。
「ツインソウル」と「神」である。
ツインソウルに身を委ねる
神に身を委ねる
どちらにしても、いわゆる「明け渡し」を要求されている。
私自身を無条件に「明け渡す」のである。
そんなおり、一つの事件が。
SNSで友人にコメントをした事からそれは起こった。
私は、彼女の記事を読んで共感した部分があったので、自分の経験から気がついたこと、現在の心境をコメント。それには決して他意はなく、有り体に自分を分析し、事実を書き連ねただけで、むしろ、己の恥をさらしたようなものだった。もちろん、彼女や誰かを傷つける書き方もしていない。だから、ただ「そんな事があったんだ、なるほどね」と受け止めてもらえればそれで良かっただけだった。
しかし、である。
彼女から、返ってきたコメントは驚くものだった。
そこには、私が共感したという部分がそもそも「間違っている」と書かれていて、自分が書いた意味はそうではなく、本当はこんな意味だったんだと書かれていた。
彼女は私と正反対の考え方や行動をするタイプで、ツインソウルの彼とよく似ているところがある。そのせいか、文章表現も私からすると「抽象的」と感じるところがあるため、捉え方を間違えるということはありえる事だった。
だから、この「間違っている」という部分は大いにうなずけたのだが、この後が問題だった。
そこには、「共依存」「投影」と言う言葉を巧みに使いながら、私はあなたとは違う、あなたのコメントは欲求不満の顕れではないか、私は疲れている、これ以上のコメントは控えてくれ、と自己を大いにアピールする内容がずらりとならんでいたのである。
このコメントにはショックを受けた。
(みんなが見ているSNS上でこんなコメントをする必要はないではないか・・・)
怒りがふつふつと湧いてきたのは言うまでもない。
正直なところ、彼女の言う心理学的な弱点が私にはあった。しかし、それはツインソウルの彼とのやり取りの中で気がつき、コントロールできるようになっていた部分でもある。ただ、ともすると顔を出すときがあり、そうならないように、自分を律するようにしているのだ。
そんな私の弱点を巧みにつき、これ以上の接触から逃げる、このやり方は、以前と何も変わっていない。相手の痛いところをつき、相手の攻撃から素早く身をかわす、彼女の心理戦ともいえる。もっとも、身をかわす術が「縁絶ち」にならないところに彼女の成長がみてとれる。以前は、言いたいことを言った挙句、SNSを断ち切る方法をとっていたので、かなりの成長といえよう。
それでも、言いたいことは山のようにある。本当はコメントを通して対話できると良かったのであるが、彼女自身がそれを望んでいない以上、コメントを控える必要があった。
だから、「間違ったこと」に関しては謝るコメントだけを残すことにした。
でも、私の感情はおさまらなかった。
それはそうである。なにせ、彼女に対して本音を言えなかったのだから。
ちょうど、その時である。
雷が鳴り始め、雨が激しく降り始めた。
まるで、私の感情をあらわすかのような激しい天候を耳にしながら、彼女からのコメントを反芻して、自分を責めて泣いていた。でも、どう考えても自分のコメントがおかしいとは思えず腑に落ちない。
(どうして?どうして??)
もう、そればかりを考えてしまう。そんな時、私の脳裏をかすめた「サレンダー」。
考えるのはよそう、もう寝よう・・・
考えることに疲れ果て、諦めて寝ることにした。
翌日。
感情的な事があるとなかなか寝付けない私であるが、意外なほど早く寝付けたため体調はすっきり。しかし、心のモヤモヤはぬぐい去れなかった。
仕事をしながら、ずっと反芻⇔考えるを繰り返し、サレンダーしなきゃと頑張る。しかし、簡単にはサレンダーはできるはずもなく…
それは、彼女の次のSNS投稿を見るまで続いた。
正直なところ、彼女の投稿記事をみるのが怖かった。なぜならば、今までの彼女ならば、ダッチロールした感情のまま記事を書くのが常だったからである。
ダッチロールした感情のままで書く記事は、感情の処理が出来ていないため、それを吐き出すかのようにかなり辛辣な事を書いてしまう。この場合、その記事を見た相手を傷つけてしまう恐れがある。私もやってしまった事があるし、やられた事があるのでよくわかる。それが出来てしまうのが、SNSの怖いところである。
「ペンは剣よりも強し」とはよく言ったもの。
そうやって、見えない心の傷をつけてしまうのである。
ところが、である。
意外にも彼女の記事は、落ち着いていた。
それどころか、今朝は泣いていたと書いてある。
さらには、親が子供を突き放す哀しみを綴っていた。
その瞬間、私のモヤモヤが吹き飛んだ。
あぁ、そういうことか・・・!
一瞬にして、今回の出来事の真意が見えたのである。
その時、「Surrender to me」の意味を悟った。
今回の出来事は、起こるべくして起こっている。
これについては、長くなるのでここでは省略させてもらう。
とにかく、理屈ではなく一瞬で悟った。
「神に全てを委ねておけば間違いないのだ」と。
そこから、あれだけモヤモヤしていた私の感情は嘘のように静まった。
本当に不思議と穏やかさを取り戻したのである。
この次の日、別の友人と出かける約束をしていた。
友人と約束をしたのは、「Surrender to me」が気になったすぐ後のこと。
私は、この外出でメッセージの意味がわかるものと思っていたので、この展開になって驚いている。
それでも、この展開のおかげで外出を心から楽しめた。
もしも、サレンダー出来ていなかったならば、私は明らかにこの友人に愚痴を言っていたであろう。そうして、自分自身の楽しみにも、この友人の楽しみにも影をおとしていたであろう。
気が付けて良かった・・・と心底思う。
抜群のタイミングでのサインだった。
この導きに感謝したい。