昔の私は、人からよくこういわれた。
「あなたってカタイね」
「人の気持ちがちっともわかってないね」
今ならどうしてこう言われたのかわかるのだが、言われた当時はどうしてこう言われるのかまるでわかっていなかった。
「私のどこがカタイの?」
「人一倍気をつかって優しくしている私が、人の気持ちがわかってない?うそでしょ??」
まるで自分のことがわかっていなかったにもかかわらず、こんなに頑張っている私をつかまえて、それはないでしょ!と、心の中で怒っていた(^_^;)
それでも、コミュニケーションが上手くとれないでいる現実がそこにあったため、怒りながらも、自分を責めていた。
「なんで上手く人と接することが出来ないの(>_<)もっと頑張らなきゃだめじゃない!」と。
そんな情けない自分が大嫌いだった。
こんなだから、もちろん恋愛も上手くいかなかった。
恋愛は、コミュニケーションの最たるもの。普段からコミュニケーションが上手くとれないでいる私が簡単に出来るわけない。それでも、人一倍恋愛を求めていた。
世間のみんなのようにいっぱしに恋愛をしたかった。私にも普通の恋愛くらいできるのよ、と、自分を認めてもらいたかったのだ。だが、好きになる人とは、すべて上手くいかない。上手くいかない想いをなんとかしようと、不毛な努力を重ねていた。
小さい頃から本を読むのが大好きだった私は、コミュニケーションを上手くとるにはどうすればいいか本で勉強をしようとした。努力すればなんとかなると思って必死だったのだ。だが、色々と努力するわりには、芳しくない成果。それは知識を詰め込む結果になっていた。まるで、心の偏りを補うかのように頭でっかちになっていたのだった。
年齢的にかなり遅くなってから、何人かとお付き合いをした。が、その恋愛はお互いを傷つけあい、苦しみ、辛いものだった。「私を認めて!私を愛して!」と相手に求めるばかりのものだった。
恋愛はこんなものなのかもしれない・・・
そう思っていた私にふってわいたような出逢いがあった。
それが、ツインソウルとの出逢いだった。
私は、彼に本気の恋をした。この出逢いによって、自分の今までの恋愛が「恋に恋をしていた」に過ぎないと気がつく。
どうすることも出来ないこの気持ち。
溢れてくる感情を抑えることができない。
私にとって、感情は抑えるものだった。
なぜならば、「本当の自分を出したら嫌われる」という思い込みがあったから。
小さい頃から、ずっと周りの大人の顔色をうかがっていたために、機嫌を損なうような感情は出してはいけないと自分で思いこませていた。
感情を出さないでいると、感じることに鈍感になっていく。だから、たまりにためた感情が心の中で飽和状態になってから、初めて自分の感情に気がつくなんてこともあった。心で感じることを、理性で押さえ込むことばかりしていた結果がこれである。
しかし、この相手にはどうにも感情を抑えることができない。
というより、押さえ込んではいけないと感じた。
ありのままの自分で飛び込んでいかなければならない相手と直感で思った。
だから、世の倫理では許されぬ相手とわかっていながら、気持ちをうちあけた。
昔の私ならば、絶対に絶対にできないことであった。なぜならば、拒否される可能性がものすごく高い相手だったから。拒否されるなんて、自分のプライドが許さない。だから、そういう相手には初めから近寄らないようにしていた。関心があるのに無関心を装って心を閉ざしていた。そうすれば、断られることもないし、なにより自分が傷つかずにすむからだ。
そんな私が、傷つくのを覚悟の上で自分に正直になったのだ。
こんなに自分を出したことがないので、自分で自分に驚いた。
そんな私の気持ちを相手は受け入れてくれた。「嬉しい」と言ってくれた。
受け入れてもらえるなんて思いもしなかったから、その一言が事のほか嬉しかった。思い切って飛び込んで良かったと思った。でも、そのあとに待っていた一言が私を打ちのめした。
「彼女ができたんだ」
寝耳に水だった。まさかの一言だった。
なぜならば、彼は既婚者だったから。
彼に家族がいることはわかっていたし、彼には家族を大事にしてもらいたかった。そんな彼でもいい、それでも愛したいと思っていた。彼の丸ごとを愛したいと思っていた。確かに、恋をしたけれど、あらぬ道へ入り込む気持ちはまるでなかった。それは、お互いが苦しむ道でもあるとわかっていたから、絶対に避けたかった。
ただ、自分の気持ちに正直になって、気持ちを打ち明けただけ。受け止めてもらえればただそれで良かった。なのに、なぜ私が彼から不倫の告白を受けなければならないの??あまりの衝撃に恋が一瞬でさめた。
そのあとは、ものすごく辛い日々がまっていた。
辛すぎて欝の一歩手前までいった。
感情の嵐に見舞われ、泣いて泣いて毎日を過ごしていた。
いつもなら、こんな状況になれば相手への気持ちも冷める。
が、どうしたことか一向に冷める気配もなく気持ちが募る一方。
愛しいという気持ちが心から離れない。
彼に恋をした段階で、私にはわかっていた事があった。
それは、彼に対して「愛」を実践していくということだった。
相手の全てを受け入れて愛していく。どんな彼であっても愛していく。
本当に、彼の全てが受け入れられるのか?その覚悟を試されている・・・辛いけれどこれを乗り越えなければと思った。
今までずっと、愛して欲しいと愛を求めていた私。
でも、人を愛するということは愛を与えるということなのだ。
そこから、自分自身を愛していく重要性に気がついていった。自分を愛さないまま愛を与える行為は、自己犠牲なのだ。自己犠牲というと美談に聞こえるが、その行為は、自分をないがしろにする事そのもの。結局は愛が足りなくなって、不平不満が爆発、もしくは身体を壊す。それでは、本当の意味で与え続けることなどできないのだ。
彼のまさかの言動は、私にこれを気がつかせるためであったのだろうと思う。
もちろんそこに彼自身の学びがあるとは思うのだが、一番はこれであったのではないだろうか?
それを思うと、ツインソウルの愛の大きさ深さをひしひしと感じるのだ。
あえて私を突き放してくれたおかげで、私自身の立て直しをすすめていくことができた。それは、自分自身を見つめ直すことであり、慈しみ育てることだった。彼を見つめ愛することにより自分を愛していくことだった。気がつけば、本当の自分自身を生きることが出来るようになっていた。生きるのがものすごく楽になり、コミュニケーションも楽にできるようになった。あんなに辛くて苦しくて大変だったのがウソのようだ。
ツインソウルの存在そのものが、自分自身の心の枠を取り去る原動力になった。彼がいなかったら、明らかに今の私は存在しなかったし、ずっと苦しみ続けていたであろう。
彼は、基本的には何も言わない人だ。が、いつも見守ってくれている。
私を信頼して見守ってくれている、と常に感じる。
だから、私も彼を見守ろうと思う。何があろうとも、ありのままの彼を受け入れ、信頼して、見守る。変わらぬ愛を与え続けていく。
それこそが、愛することにほかならない、と私は思うのである。