雑談 両者の折り合いをどうつける?!
突然涼しくなりましたね。もしかして夏はもぉ終わりでしょうか。暑い時はめっちゃ暑かったのでやれやれ感もありますが、出来ればも少しSummerを堪能したかった様な。そうねぇ来週は夕日でサルサがあるので、なんだったら来週末までは熱くてもOKなのですが、、お天気さん、なんとかなりませんか?!(笑)今日は結構忙しいのでちょっとだけUp。私の知り合いが偶然見つけたブログを読んで、、という話。それはとある鎌倉の海岸沿いに住んでいる住人の手記だそうです。その方はサルサはおろか、音楽を特別嗜む訳では無い人でして、まぁとにかく周囲から流れる音楽等はイライラするだけのブツだとの事。「なんでわざわざ海岸でライブしなきゃいけないのか、意味分からん」との事です。私は特に音楽には嗜んでいる(?!) No music, no lifeな人なので、もはやこの手の類の人達には何もいう権利はございません。修道院にてごく静寂に人生を過ごしたい人にとって、いくら説明してもハードロックの良さは理解出来ないでしょう。この人達にとって音楽=無用なのであり、それをまき散らす者は悪なのです。でもどーでしょ。そーゆー人もいる、で、その一方で音楽を目いっぱい楽しみたい人も居る。そのバランスはどう取るか、、という話にもなってくるでしょうね。もちろん静寂側は声高に言う権利も分からんでは無い。「”楽しむ”なんて無くても死なない。でもうるさくてイライラするのは住人に対する侵害だ! そちらが一方的に譲歩すべきだ!」うん、そーかもね。暴走族がバリバリ音を鳴らして走って”楽しむ”権利や文化を主張されたらうーーーーんどーだろか、、なんて思わずとも無いわ。うん。そして一方で、それでも文化として守りたい側も居るでしょう。戦時中みたいに「(敵性?!)音楽全面禁止です」なんてなったらやっぱりちょっとやり過ぎな気もしませんか?! いくら「無くたって死なない」なんて言われても、ちょいと納得いかないですよね。ここまで来ると哲学ですが、人間は楽しむ為に生きている?! それとも生きる為に生きている?! そこまで話は落とし込まれてしまいます。最も困るのは全ての人間が「生きよう」と決意してこの世に生まれ出てない事。(少なくとも現世での記憶上(笑))何となく生まれて来てしまい、強制的に生きなければいけない状況に置かれる。その中で”楽しみたい”、”いや、静寂に滞りなく、何事も大事無く過ごしたい”と、いろいろな方向性が出てくる訳です。どちらにとってみても相互に作用が生まれたら「そんなのお前の勝手な嗜好だ。押し付けないでくれたまえ」となるでしょう。そして、それでも共存しなければいけないという場面設定がある。この世は本当に面白いし、上手く”修業”出来るように出来ていますよね。説得・納得・同意・歩み寄りがどこかで絶対に必要になるか、でなければかなりのエネルギーを投入して環境を”支配”しなければならない訳です。どちらにしても”楽”な道は無いんです。神様が居るとすればそいつはさしもの”さりとては”な者?!ですなぁ。でも現代社会は恐らく戦国時代とは違い、ある1グループだけ・ある1地域においてでも、支配するのは非常に非常に難しいでしょう。どこかで歩み寄って、折り合いをつけて生きる方がよっぽどエネルギー節約になり、本来の自分の主目的により力が投入出来る事にもなり得ます。逗子や鎌倉の海岸は未だに押し問答が続いている様ですが、「音を出すな」側を理解する、「音を(多少は)出したい」を理解してもらう、という方向で、進んでくれるといいなぁなんて思いますね。その中で頑張っているサルサ・イベントの主催者様各位には、我が人生の楽しみを作り出してくれている方々。本当に頭の下がる思いです。ps一番辞めて欲しいのは「音楽を嗜む人達は素行が悪いから、音楽を出すのは禁止」という論法です。これは黒人だから禁止と全く同じだと思う。例え全体の割合がそうだからとしても(もちろん統計は取れていないだろう)、それだけは人権という分野での歴史をあまりにも学んでいないと言わざるを得ない。もっと言うと入れ墨禁止も私は遺憾。たとえ後天性であろうとも、入れ墨=悪い奴は乱暴すぎる論法だと断言したい思いです。(因み、私は入れ墨は入ってません)