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一歩、世界に近づくブログ

どんな国へも、まずは興味から!

言葉や食べ物やその他の文化など、
自分が直接触れた「面白い!」と思った
”外国に関わること”を、力を抜いて書いていきます。

1記事あたり、約2分で読めます!

↓サイドバーから、気になる国をご覧ください!

2010年1月10日

昼前、宿を出て、プラハの街へ散歩に出た。
昨夜降り続けていた雪は止み、
今日は晴れている。

歩きだしてすぐ、店の入り口からして
オーラが出ている雑貨屋を見つけた。
中に入ってみると、雑貨屋というより、
チェコ製のアンティークのおもちゃ屋のようだ。

狭い店内に、何十年もの時を経た
おもちゃが所狭しと並べられている。

日本の谷根千でも、神保町でも、京都でも、
それからまたパリのクリニャンクールなどでも
見たことのないような独特のおもちゃがいっぱいだ。

興味深く眺めていると、店のおじさんが、
それはもう本当に楽しそうにニコニコしながら、
「どうだい、すごいだろう?ゆっくりと見ていっておくれ」のような事を言った。


自分の店の商品を愛しているんだなぁと伝わってくるような店だった。
もし僕がこのチェコを出てすぐに日本に帰るなら、

きっとたくさん買ってしまっただろう。



少し進むと、見たことのないスイーツを売っている店があった。

金属製のポールに生地を巻きつけながら焼き、

カリッとさせた上に粉糖をまぶしたようなやつだ。


好奇心からひとつ注文し、出来上がりを待つ間、

なんていう名前の食べ物なのか聞いてみた。
「トゥルデルニク」と店の青年は言った。
やはり、見たことも聞いたことも無い。


食感も楽しく美味しかったので、新しもの好きの日本に入ってきたら

ひとブーム起きそうだと思うんだが、どうなんだろうか。
誰かやってください。

”もぐらのクルテク”という、こちらは既に日本でも人気の

キャラクターの専門店があったので、日本へのお土産をいくつか購入。


そして・・・カレル橋に来た。

実はココこそ、僕がこのプラハで最も来たかった場所だ。

橋の両側に聖像が並び、ここを歩く人々を見下ろしている。


高校生の頃、地元のリサイクルショップで見つけた

ボロボロの古い洋雑誌を広げた時に、初めてこの橋の存在を知った。


そのとき僕はその雑誌のこの橋の写真に衝撃を受けたが、

どこの国のなんて橋だったかなんて、まるで分からなかった。


なのに、モノクロの写真で表されたその景色だけがずっと

脳裏に焼き付いており、その後なにかの拍子にこの橋のことだと

分かった時には、いつか必ず行ってやると心に決めた。


想像通りの素晴らしい場所で、

僕は感謝を込めて聖像を撫でた。



プラハ城へ向かう坂道への途中、

切手やらシールやらコースターやら、いわゆる紙モノ専門の

アンティークショップがあり、そこも覗いてみた。


これら紙の商品だけで、しかも見る人によっては

ゴミというかガラクタのようなものだけで商売が成り立つのだからすごい。

しかも、こんな立地の良い場所で。
それくらい、この店にあるものは世界中に需要があるのだろう。


この店はおばあちゃんが1人で切り盛りしているようだったが、

この方がまた非常に素敵な笑顔を振りまく人だった。
コキタナイ東洋人(僕のことです)にニコニコしながら、

あれもこれも見せてくれる。

きっと先ほどのおもちゃ屋の主人と同じく、自分の仕事を愛し、

誇りを感じているのだろう。すばらしいことだ。



城の前まで行くと15時ジャスト。
ちょうど近衛兵の交代の儀式をやり出した。

無表情で、あくまで無表情で、体格のよい兵士たちが

銃を構えたまま行進し、自分の配置に着く。

ただそれだけなのに、それがむちゃくちゃカッコいい。




こういうの、イギリスなどでも見れるイメージがあるが、

まさかチェコで見ることになるとは思っていなかった。


それから、聖ヴィート大聖堂に訪れた。

ここがとにかく、すごかった。

その理由は、また次回!


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2010年1月9日


チェコのプラハに着き、とりあえず旧市街広場へ向かった。

ここが街の中心のようだが、とにかく雪が降っている上

結構積ってもいて、寒い。


まずは徒歩数分の抜群のロケーションにあった

「ホステル・ティーン」という宿を押さえ、少し近くを歩きまわることにする。


旧市街広場に戻ると、若い人たちがうろうろしているが、

皆一様に背を丸めて寒さを逃れるように店から店へ移動している。


この広場にはチェコの宗教家で、かつてフス戦争を起こしたフス像や、

夏には押し寄せる観光客が写真を撮りまくる巨大な天文時計などもあったが、

今は全てが凍りつき、雪解けの日を待っているようだ。

広場の向こう側にライトアップされた聖堂が、妙に現実感が無くて

幻想的な感じがする。




少し路地に入ると、あちこちに雑貨屋や、人形屋(!)が店を開いている。

人形が有名なのかは知らないが、店先に並んだ人形を見ると、

おとぎ話に使うそれらだけではなく、よく見るとオバマやプーチンのような

政治家や映画スターの人形まであった。

どれも結構似ていて、おもしろい。


またこの国の雑貨や絵本などは世界中にファンがいる

人気のコンテンツである。


人気の理由はその色使いなのか形状なのか素材感なのか、

たしかに独特の味わいがあり、木から作りだされたチェコの雑貨は

僕もけっこう好きだ。



この国はビールも有名。

ドイツばかりが持て囃されるが、発祥はチェコだという。

バーでビールを注文したら、巨大なグラスで提供された

この国の名物は、やはりうまかった。



橋の方まで来ると、この寒空の下で、

変わった出し物をするおじさんがいた。


彼がやっていたのは次のようなものだ。


いろんな種類のグラスに、それぞれ量を変えた水を入れ、

それを自分の目の前に並べ、グラスのふちを指でこする。


すると、どういう科学的理由かうまく説明できないが、

こすったグラスから非常に美しい音が出るのだ。


ひとつ鳴らしたら次のグラス、

それを鳴らしたらまた別のグラスと、

休む間もなく次々とグラスをこすっていくと、

「音」は「音楽」に変わる。


その音楽を奏でるため、彼は左右両手を広げて

同時に複数のグラスのふちをこすり、雪が降る夜に

ふさわしい響きを作りだしていた。


歩行者が立ち止まるのも無理はなく、耳に残る美しさだった。



「百塔のプラハ」と呼ばれるように高い石造りの塔が多くあり、

重厚感がある街。

もっともっと歩きまわりたいけれど、風邪をひいてもつまらない。


明日いろいろと観て周ることにしよう。

ハンガリーの「くさり橋」に続き、ここにもまた、

じっくり観たい橋があるのだ。


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2010年1月9日


ハンガリーのブダペストを出て、

これまた結構訪れるのを楽しみにしていた

チェコに向かう。


それにしても、振り返ってみれば、

ヨーロッパは国同士が陸で繋がっているのでなんとなく、

イタリアを出てから、オーストリアを経由して

ハンガリーにすんなり入ったものの、このハンガリーという国は

ユーロが使えず、通貨は「フォリント」だった。


EUに加盟していても通貨が違うというのは、

これまで経由してきた他のヨーロッパの国との

違いをいやでも感じさせてくれた。


ようやく使い慣れてきたユーロ紙幣やコインから、

全く異なる紙幣とコインにパッと切り替わる違和感。

いろいろと事情があるんだなぁとしみじみしてしまう。




そしてまた、ハンガリーを出てからチェコに向かうためには

スロバキアという国を通るのだが、

この国に関してはこれまで通行手形のようにラクラクと

列車に乗れた「ユーレイルパス」すら使えない。

ユーレイルパスの使用エリア外なのだ。


スロバキアはかつてチェコと同じ国(チェコスロバキア)だったにも関わらず、

分離してからはひとつの国として、チェコとは違う

考え方を持っているのかもしれない。


今回の旅ではこの国スロバキアで

途中下車したりお金を使うことはないので

どういう経済状況の国なのかなどは分からないけれど、

この国を通過できたこと自体が良かった点がある。


それは、列車の車窓から見えた名も知らぬ村の

雪景色がメチャクチャ美しかったから。


それはキラキラとした美しさではなく、

のどかな、しっとりとした、まるで童話や絵本の中に出てくる

雪の中の世界のような、温かな美しさだった。


背の高い木々に白い雪が降り積もっており、その向こうに、

防寒具に身を包み、頭には毛糸の帽子を乗せた

小さな男の子が赤いそりを曳いていた。

その視線の先にはおそらく家族であろうか、彼の姿を見守る

大人の姿があった。


彼らが暮らす家や村は素朴で、立派でも豪華でもなかったが、

見るものを和ませる力があった。


きっと観光地でもなんでもないただの村なんだろうけれど、

そんな村でさえ1人の外国人を惹きつけるのだから、

きっとここもまた素敵な国なんだろう。

いつかは訪れたい。


ようやくチェコに着いた。

ここもユーロは使えず、「コルナ」という通貨。

相変わらず雪がすごいが、歩くのがとっても楽しみだ。


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2010年1月8日

日本人宿「アンダンテ」に帰ってきた僕は、
宿泊客のみんなから何故か「先生」と呼ばれている

おじさんに、居間で次のような話を聞いた。



* * *

・ハンガリーは、日本語を勉強する人口が、ヨーロッパで最も多い。

・その理由は、かつてウラル山脈で暮らしていた先祖が

 西と東に分かれ、そのうち西に行った民族の子孫がハンガリー人、

 東に向かった民族の子孫が日本人である・・・と信じているから。


・そして奇妙なことに、ハンガリー人も、塩が足りない、という時に
 こちらの言葉で「シオタラン」と発音する。


・また、この国には、娯楽と呼べるようなものが少ない。

 したがって、国民の趣味は「散歩」。

・特に、「森の散歩」が好きだという。(シブすぎてカッコよくすら感じる・・・)

・この話をしてくれた「先生」が、16年前に初めてハンガリーに来た時、

 あまりにヒマすぎて皆でカラオケに行くことになったが、

 当時この国にカラオケなんてものが無く、カラオケをするためだけに

 隣国オーストリアのウィーンまで行ったらしい。


* * *


なんだか他にも、いろいろと面白い話を聞いたけれども、

いちいちメモを取っていたわけではないので覚えていない。


そしてハンガリー関連では無いけれど、

「先生」の話であとひとつ印象的だったのが、

「外国に住んでいると、齢を取りにくい(老けにくい)」という話。


周囲に合わせがちな日本人と違って、広い世界には、

自分がしたいことをしたいようにやっている人が実に多く、

そのため、例えば、40代だからこうしてなきゃいけない、だとか

30代なんだから結婚してなきゃいけない、だとか

仕事を辞めちゃいけない、だとかを必要以上に気にしていない。


だからイキイキと好きなことやってる人は、

40代だろうが50代だろうが、胸張って若い心を持っていて、

そんな気持ちに影響されて見た目も若い・・・ということだそうだ。


それがいいとか悪いとかじゃなく、そういう考え方もあるということだ。

この宿には「先生」だけでなく、他にも魅力的な人が多く泊まっていた。

久々に多くの日本人といろんな話ができて、楽しかったし、勉強にもなった。


ところで、この宿の「アンダンテ」という名前、「歩くような速さで」という意味らしい。

いろいろと詰め込み過ぎで、むしろ「駆け足」がちな今回の旅だけれど、

「歩くような速さで」一歩ずつゆっくりと進む旅も、いつかしてみたい。

そう、まるで、上記で紹介したハンガリー人の趣味のように。


明日からはまた次の国。

チェコに入ります。

少しは「アンダンテ」を意識できるだろうか。


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2010年1月8日

昨夜は「ダハブゲーム」に宿の全員で
興じすぎて、結局、深夜2時まで起きていた。
初めて会ったばかりの人たちと
深夜までゲームをしているなんて、全く
旅というものは何が起きるか分からない。


ハンガリーの首都ブダペストは
「ブダペスト」という地名があるわけではなく、
実は「ブダ」地区と「ペスト」地区に
分かれている街だ。
最初知った時は驚いたが、日本の首都・東京も
実際に東京という地名があるわけではないので、
改めて世界はいろいろあって面白いなぁと感じた。

雪の中を歩き、マーチャーシュ教会という 
700年の歴史ある教会に入ると、
薄暗く、壁や柱に独特の模様がある。

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これまで観てきたどんな教会とも違う雰囲気だ。
隅に腰掛ける地元のお婆さんがまるで教会の一部かと思えるほど、場に馴染んでいる。
不思議な空間だ。
まったく、漫画の中みたいだ。

その教会のそばには「漁夫の砦」と呼ばれる
白亜の塔が建っていた。
雪の中にそびえる真っ白な塔は、
自分こそがこの街の目玉であるとでも言いたげに
誇らしい立ち姿でそこに在った。
確かに絵になる建造物だ。

そして、この街で僕が一番観たかったもの。
それは「くさり橋」。
巨大な橋の入り口に、これまた大きな
ライオンの座像がある、インパクトのある橋。

学生の頃、吉祥寺の ボロアパートでめくった
フリーペーパー。
その雑誌の中に、ブダペストに関する 
小さな記事が載っていた。 

雪が吹きすさぶ空の下、このくさり橋の前で
その記事の著者が寒さに耐えながら立っている
写真が載っていた。
その写真のくさり橋がとってもカッコよく
見えた僕は記事を切り抜き、時々眺め、
いつか行ってみたいと考えていた。
それが今、目の前にある。

思えば、今回の旅はそういう場所ばかりだ。
ペルーのマチュピチュも、
同じくペルーのワカチナも、
モロッコのカサブランカも、
このブダペストのくさり橋も。

具体的ではない、ただの憧れ。
僕がやったことはそれこそ
「切り抜き」くらいだ。
それでもゼロから1歩はこの地に
前進していたのだろう。

それにしても、ライオンといえば、
フランスのリヨン、イタリアのヴェネチアにも
街のあちこちにライオンの絵や像があった。
ヨーロッパではライオンは特別な動物なのか?
いやいや、でも、日本の大阪にだって、
たしか難波橋にライオンの像があったはずだ。

それぞれの土地とライオンに、
もしくは、橋とライオンに、
何か関係があるのだろうか?
謎が謎を呼ぶ。

暗くなり、日本人宿「アンダンテ」に
帰ってきてから、宿泊客の皆から
何故か「先生」と呼ばれている
50代くらいの男性(もちろんこの人も宿泊客)に、次のような面白い話を聞いた。

(つづく)
2010年1月7日

 
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ハンガリーのブダペストに着いた僕は、
雪の降る道を足早に進み、
頑丈そうな鉄製の扉に守られた
日本人宿「アンダンテ」に到着した。
 
ブザーを押すと、中から日本人の声が!
 
扉を開け、中に入る。
 
少しずつ、
寒さで硬くなっていた身体と、
慣れない地で緊張していた気持ちが
ほぐれていくのを感じる。
 
居間でくつろいでいた宿泊者たちに
挨拶していると、
「もうそろそろ、今日の晩飯の買い出しに
行くんですけど、良かったら、一緒に
食べませんか?ここで作って、みんなで
食べるんで」と聞かれた。
 
断るわけがない。
今回はそういうことをしたくて、
ここに来たんだから。
 
近くのスーパーマーケットで
食材を買ってきたあと、
「じゃあ私、野菜切るね」
「肉は昨日と同様、俺がやるか笑」
「テーブルの上、片付けちゃおう」
などと、めいめいが、しかし
モレなくダブりなく、仕事を始めた。

ここにいるのは、管理人を除いて、
基本的に一人旅でたどり着いた人間ばかりだ。
それは我が道を行く自己中心的な人間という
意味ではなく、一人で、状況に応じて、 
様々な環境で対応ができる人間という  
意味でもある。

だから、今晩たまたまこの場に居合わせた、
というただそれだけの理由で、
他人ともすぐに関係を構築できる人が多い。

晩餐はすき焼き風の鍋だった。

こんな地で、すき焼きが食べられるなんて。
もちろん野菜は日本のようなものは
全て揃えられないが、全員で作り上げた
ひとつの鍋を囲むという経験が上乗せされ、
おいしい、の一言で片付けられない感動が
そこにあった。

たまたま日本各地から揃った旅人同士、
自然と会話はおらが村の自慢大会となり、
どの県が最強か?で盛り上がった。

それから、その場にいたうちのひとり、
現在21歳のユウヤ君になぜ21年間
ずっと彼女ができないか?の話をしたり、
ダハブゲーム」というスリル満点の 
ゲームをしたりした。

まだここハンガリーの観光は
全然していないが、すでにこの宿
「アンダンテ」のあるハンガリーに
僕は良い印象を持ってしまった。

旅は一期一会。
明日にはもうハンガリーを去って
この宿にいない人間もいる。
しかし、今日のこの場に集まったという
奇跡に感謝したいと思った。

さて、明日の夜は皆で何の話をしようか?
ここでは、5年前に行った世界一周の 
日記をご紹介しています。
いま現在とは異なる箇所もありますが、 
ご興味のある方は読んで頂けると嬉しいです。

ヴェネチア ジュデッカ島

ヴェネチア本島 後編

ヴェネチア本島 前編

************

2010年1月7日

昨夜、ヴェネチアから夜行列車に乗って
イタリアからオーストリアに入った。

購入した指定席はインスブルックまでだ。
インスブルックは、あのシンデレラ城のモデル、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城の近く。
5年前に観たこの白く伝説的な城は
まるで夢の中の城のように美しく、
今でも折りに触れて思い出すほどだ。

朝4:30(!)にインスブルックに到着し、
そこから今日の最終目的地である、
音楽の都ザルツブルグへの列車に乗り換えた。

…音楽の都。
これまで、音楽におよそ縁の無い人生を
送ってきた僕が、果たしてそんな街を
楽しめるだろうか。
そう思いながら、なんとなくこの列車の
終点駅を確認したら、なんと、
そっちの駅の方にビビッと来てしまった。

ブダペスト。
終着駅はそう書いてあった。

ブダペストは東ヨーロッパの国、
ハンガリーの街だ。

本来の目的地ザルツブルグを越え、
そして更に首都ウィーンを越え、
つまりオーストリアを横断し、
隣りの国に行ってしまうのか。

今は、それが出来てしまう状況にあり、
それをしてダメな理由も無い。
全ては自分で決められるのだ 。

よし、行こう!行っちゃおう。
ドナウの真珠」と呼ばれる東欧の街へ。
僕はそこで観たいものがあるのだ。

列車に乗り続けること、14時間。
ようやく降りたハンガリーの大地には、
雪が降り積もっていた。

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オクトゴン駅まで移動し、
路面電車が走る エリザベート通りを歩き、
これから目指すは日本人宿「アンダンテ」だ。

日本人宿は好き嫌いが分かれるが、
たまに利用するならとっても楽しいし、
雪の降る知らない街では心強い存在だ。

なにより、普通に日本語が通じる!
こんなラクなことがあるだろうか!

西ヨーロッパとは違う、なんとなく
薄暗い雰囲気が漂うこの東ヨーロッパの街も、
ワクワクしながらだと気にならない。

宿の前まで来ると、何故だか
異様にものものしい鉄製の大きな扉が
待ち構えていた。
そして僕はブザーを押した。

(つづく)

通貨フォリント
ハプスブルグ家
78連泊
ここでは、5年前に行った世界一周の 
日記をご紹介しています。
いま現在とは異なる箇所もありますが、 
ご興味のある方は読んで頂けると嬉しいです。


ヴェネチア本島 後編

ヴェネチア本島 前編

************

2010年1月6日

ヴェネチア本島の向かい側には、
昨日のブログでご紹介した
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島
だけでなく、ジュデッカ島もある。

本島だけでなく、船に乗って
ついでにこの島にも来てみた僕は、驚いた。

観光客がほとんどいない。
運河沿いに小さなカフェや
レストランがあるけれど、
全然混んでいないし、店員も内装も、
かなり素朴な感じだ。

エキサイティングな向こう側と違って、
こちらはのんびりと散歩するのに
ぴったりな感じ。

水辺に沿って散歩路を歩き、
島の端まで来たらほぼ誰もおらず、
現地の人でさえもすれ違わない。

目の鼻の先の島には世界的な観光地で
人々でごった返しているのに、
船にほんの数分乗っただけで、
いま、ここには自分と、静かに佇む建物、
そして小さな仔猫がいるだけだ。
どちらもヴェネチアなのに、
なんだか不思議。

人が集まる場所にはより人が集まり、
いない場所にはトコトンいない。
なんだかこれって、「人間」や「お金」と
一緒だ。人気者には人が群がり、
お金のあるところには更にお金が増えていく。

ヴェネチア本島とジュデッカ島の境界線は
運河にあるが、「人間」や「お金」の場合は、その境界線はどこにあるんだろう。

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小雨が降ってきた。
本島に戻る船が来る時間まで、
あと少しある。

ここから見えるヴェネチア本島は
非常に美しい。
あの中にいても素晴らしさは感じるが、
こうして一歩離れると、改めて感じる。

これは旅が始まってすぐに訪れた
マチュピチュでも感じたことだ。
ワイナピチュからマチュピチュを見下ろすと、その存在の尊さをさらに増して感じた。

もっと言えば、こうして日本から離れると、
いかに日本が素晴らしい国か、
身に染みて感じる。

食べ物のことだけですら、今回の旅で何度、
日本食に助けられたことか。
体調がすぐれない時、
決まって口にしたくなるのは日本食だ。

ふるさとは遠きにありて思ふもの…
とは、室生犀星の詩だったろうか。
あれはどういう意味が込められているの
だろう。
しかしまさかこんな所で、
日本の古い詩人を思い出すなんて。

本島に戻る船が来た。

旅はまだまだ続く。
今日はこれから夜行列車で、
オーストリアへ向かいます。

ここでは、5年前に行った世界一周の日記をご紹介しています。
いま現在とは異なる箇所もありますが、ご興味のある方は読んで頂けると嬉しいです。


↓前回号(車の無い街ヴェネチア到着)はこちら

http://ameblo.jp/eatrip/entry-12038516253.html


↓前々回号(ファッションの都ミラノ)はこちら

http://ameblo.jp/eatrip/entry-12037726803.html



* * * * *


2010年1月5日


このヴェネチアを知るには、いきなり街の端から気の向くままに

歩き始めてもよいのだろうが、まずは王道のヴァポレットという

大きな船に乗って運河を進み、駅があるこの場所から島の反対側、

サン・マルコ広場からスタートすることにしよう。


ヴァポレットの始発はローマ広場というところからだ。

ここから乗りこみ、カナル・グランデと呼ばれる大運河を進み、

リアルト橋をくぐり、美術館などを横に見ながらサン・マルコ広場に

着く。その、逆Sの字に進む数分間ヴァポレットに乗って

街を眺めているだけで、なぜか笑いがこみ上げてくる。


この水の都には道路も車もなく、船から見える建物や家々は

身を寄せ合って水の中から建っているように見えるのだ。

その光景が本当に現実離れしていて、自然と笑みがこぼれてしまうのだ。

笑みといっても、もちろん、滑稽だからではない。


映画『007』でダニエル・クレイグ扮するジェームズ・ボンドが

この街で活躍したように、ただ歩いているだけで絵になってしまう、

(それがイケメン俳優であろうがなかろうが)そんな街のようすなのだ。


サン・マルコ広場に着いたら、広場に面してサン・マルコ寺院もあるが、

その辺りには謎の木の台がいくつか置いてある。

これはなんだろう?本でもテレビでも見たことがないが、おそらく、

水対策だろう。


この街は温暖化の影響で水位があがり、徐々に沈んでいっているという

話も聞く。水に囲まれた小さな島なので、雨量によっては運河のすぐそばの

この広場まで水が押し寄せてくるだろうことは、想像に難くない。


この寺院など相当古そうだが、水によって損傷を受けてしまうのは

残念な気がする。まぁしかし、ここにあるからこそ、いいのかもしれない。


ヴェネチアはガラス細工や仮面の街でもあるらしく、そういった店もひやかしながら、

街の中心地に向かっていってみる。

小さな路地に入り、小さな橋を渡り、小さな角を曲がると、カフェがある。

また曲がると、レストランがある。また曲がると、土産物屋がある。

スイーツショップがある。住宅がある。


店が点在しているのか固まっているのかよく分からないが、

とにかく、ただ無闇に歩きまわっていてもかなり楽しい。


そして重要なことは、よく治安が取り沙汰されるイタリアだが、

この街は昼間ということもあろうが、けっこう大丈夫そうな雰囲気がある。

観光客にとって喜ばしいこのことは、地元民にとっても誇りなのかもしれない。


ひととおり市街地の中を冒険したあとは、再び広場のほうへ戻り、

運河の向こうのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島を望む。


この運河の向こう、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島には

同名の教会があり、その姿が美しく浮かび上がる。

向こうの小島はこちらの市街地のある島と比べ、本当に

教会だけしかない小さな小さな島だ。もちろんそこにも船でしか

行くことができない。


両者を隔てる運河には青い色のゴンドラが並べて停泊させてあり、

僕はそれを写真に撮ろうとウットリとしながらカメラを構え、

運河に近づいた。


パシャリ。




1枚撮った。

まだだ、もっと前へ。

もっと近づかないと、あれはちゃんと写せない。

よし、もう一歩前へ行こ・・・・・


スルッ


ドボーン!!


・・・・・


運河に落ちた。


なんたることだ。

地面が海藻でぬかるんでいて足を滑らせた。

カメラを構えていたので全く足元の距離感が掴めていなかった。


で、そのカメラは?

・・・手に構えたままだ。

落ちた瞬間、無意識にこれだけは死守したのだろう。


幸いにも浅い場所で、岸に上がると、ジーンズの

後ろ側に海苔のような海藻がべったりと貼りついている。


この場所からすぐ左手に、ここヴェネチアで有名な

観光名所の橋がある。

その名も、『ため息の橋』という。


この橋の名前、まさに今の僕にピッタリだ。

まったく、いろんな意味で、忘れられない街になった。


明日もう1日散策して、オーストリア方面に向かいます。


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ここでは、5年前に行った世界一周の日記をご紹介しています。
いま現在とは異なる箇所もありますが、ご興味のある方は読んで頂けると嬉しいです。


↓前回号(ファッションの都ミラノ)はこちら

http://ameblo.jp/eatrip/entry-12037726803.html


↓前々回号(スイスという国の意外な一面)はこちら

http://ameblo.jp/eatrip/entry-12037424346.html



* * * * *


2010年1月5日


ミラノから列車に乗り、

今回の旅でも特に僕が来たかった街、

ヴェネチアに近づいてきた。


”この街は世界中から観光客がやってくる大人気の街なので、

宿が取れない、もしくは非常に高いため、

ひとつ前の駅で降りるのも一計・・・”

と出発前に読んだ本に書いてあった。


しかし、ヴェネチアに近づくにつれ、

この魅力的な街を目前にして

「入らない」なんて選択肢は一瞬にして吹き飛んだ


それにしても、ヴェネチアに至るこの線路。

まるで海の上にレールが敷いてあって、

その上を列車が走っているような、それくらい、

両側が水に囲まれた線路であり、


この先に待つ街の特異性を早くも感じさせる。


ヴェネチア・サンタ・ルチア駅に到着し、

バックパックを背負て改札を抜け、

駅舎の外に出て、


いきなり我が目を疑った。


目の前に、突然運河が横たわり、

多くの水が滔々と流れているのだ。


駅を出て、いきなりこの量の水というのは、

本当に、初めて目にするような不思議な光景で、

この水の街からの挨拶にしては充分だった。


そして、有名な話だが、運河が縦横に走るこの街、

なんと車は1台も無い。

たとえあったとしても、おそらく走ることができない。

それほど運河が多く、橋があちこちに掛けられている。

歩く、渡る、歩く、渡る、を繰り返さないと

先に進めないような作りになっている。


車が無い、というのはこの現代、

想像するのが結構難しいのではないだろうか。

日本ではどんな田舎に行っても1台は見かけるし、

これまで訪れたどんな国のどんな街だって車はあった。

エジプトのカイロに行ったときなど、街に車が走っていすぎて

頭がオカシクなりそうですらあった。


車が無いと、当然、エンジン音も、ブレーキを踏む音も、

クラクションの音も聞こえない。だから、この島になっている街は

世の人々に「ある意味静かな街だ」、と言われるのだろう。


では、車が無いとなれば、街に住む人々や、僕のように

ここに来る観光客の足はどうなるのか?

それは、そう、”船”なのである。


グイーンと反り返った形をしたゴンドラや、

たくさんの人を一挙に乗せられるヴァポレットという乗りものなど、

船があちこちに走っている。

自動車教習所や仮免やS字クランクや半クラなどとは

無縁の世界なのだろう。




この街はヤバイ。

しょっぱなから常識を忘れさせてくれる。

かなり、相当に、面白そうだ。


とにかく早く歩き回りたくて、

はやる気持ちを抑えながら早々に

駅の左手の宿『Hotel Adua』に部屋を見つけ

(とても可愛らしく清潔な部屋だった)、

いざ散策へ。


しかし、そのとき僕は、

まだ自分を待ち受ける悲劇を知らなかったのだ・・・


(明日につづく)


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