橘曙覧に生きる楽しみを教わる。 | アイコの世直しブログ 

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今日は橘曙覧(たちばなの あけみ)という人のお話をしたいと思います。

橘 曙覧(文化9年(1812年)~ 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、江戸時代の幕末の日本の歌人です。

曙覧は、紙などを扱う豊かな商家の長男として生まれましたが、28歳の時に、全財産を弟に譲り、質素な生活をして学問をした人です。

もとの名は五三郎茂時。後に、尚事(なおこと)、さらに橘曙覧と改名します。

橘諸兄((たちばなのもろえ)奈良時代の政治家、元皇族)の血筋を引く橘氏の家柄と称し、そこから国学の師である田中大秀(たなかおおひで)から号として橘の名を与えられ、橘曙覧と称したとあります。

2歳で母に死別し、15歳で父がなくなってます。

京都の頼山陽の弟子、児玉三郎の家塾に学んだりなどし、その後、飛騨高山の田中大秀に入門し、歌を詩作するようになったそうです。

田中大秀は、本居宣長の国学の弟子でもあり、曙覧は、宣長の諡号「秋津彦美豆桜根大人之霊位」((諡号(しごう)あるいは、諡(し、おくりな)は、主に貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと)を書いてもらい、それを床の間に奉って、独学で歌人としての精進を続けました。

妻子を門弟からの援助、寺子屋の月謝などで養い、清貧な生活に甘んじました。

この曙覧の歌集の中に『独楽吟』(どくらくぎん)と題する52首の歌がおさめられています。

たのしみは・・・で始まり、・・・ときで終わります。

例えば、
たのしみは 珍しき書(ふみ) 人にかり 始め一ひら 広げたるとき
たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふとき
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無(なか)りし花の 咲ける見るとき
たのしみは 心おかぬ 友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき

なのです。

これらの歌に歌われた「たのしみ」は、なんてことはない、実にささやかなものです。

しかし、そこには愛と感謝の気持ちがうかがわれ、しみじみと楽しんでいることがわかります。

心理学の河合隼雄さんは「感謝できるのは強い人」だと言っていますが、貧しいながらも学問を続けられた曙覧は、まさに「強い人」であったといえます。

彼の学を伝え聞いて、1865年越前藩主の松平春嶽が、家老の中根雪江を案内に、わざわざ曙覧の自宅まで出仕を求めにやってきた話は有名です。

明治の歌人正岡子規も、この曙覧の歌を激賞しています。歌の内容だけでなく、その高い人格にも注目し、「高い人格から優れた歌は生まれるのだ」と言っています。

質素で慎ましい生活の中で、ささやかなことにも愛や感謝の気持ちを持ち、「楽しみ喜ぶ心を養い続けた」曙覧。

普段、不平不満ばかりつぶやいている現代の私たちが失いかけているものを曙覧はもっているような気がします。

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今日の唱歌は、「朝日は昇りぬ」です。
1913年発表のこの曲は、最初は「朝の歌」という題名だったようです。
日本の生活の変貌がわかります。
どうぞお聞きください。


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