橋本左内から学ぶ。 | アイコの世直しブログ 

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橋本左内は、(天保5年3月11日(1834年4月19日)~安政6年10月7日(1859年11月1日))は幕末期の越前福井藩士です。

吉田松陰と並んで、幕末の最も優れた志士と言われた人です。

左内は、不幸にも安政の大獄で26歳という若さで処刑されますが、そのときの落ち着いた態度に、牢獄の役人も敬意を払わずにはおれなかったといわれています。

江戸幕府の大老 井伊直弼や老中 間部詮勝(まなべ あきかつ)らは、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、また徳川家茂を将軍継嗣に決定しました。
安政の大獄とは、これらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件です。弾圧されたのは尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士らで、連座した者は100人以上にのぼりました。

左内が学んだ大阪の適塾の緒方洪庵は、「橋本はいつかわが適塾の名前を高めるだろう」と左内を絶賛していたそうです。

左内は、この適塾に学んでいたとき、毎夜密かに塾を抜け出ては、橋の下で病気に苦しむ乞食の治療や、お産の手伝いまでしていたという人間愛の篤い人でもありました。

水戸藩の藤田東湖や薩摩藩の西郷隆盛との親交が深く、西郷は7歳年上ながらも「友として最も尊敬するのは橋本左内だ」と言っていたそうです。

左内の政見は素晴しいものがあり、当時日本は鎖国の状態でしたが、「いずれ世界には国際連盟というものができ、中心はイギリスかロシアといった力の強い国がなるだろう。日本が生き抜くには開国をして、そのどちらかの国と同盟を結ばなければならない」というものでした。

この意見を聞いた、幕府の優秀な役人であった川路聖謨(かわじ としあきら)は「体の半分を切り取られたような感じがした」とそのときの心境を残しています。

また、同じ幕府の役人だった水野筑前守に「橋本左内を殺したことで、幕府は滅んだのだ」と言わしめたことは有名です。

そんな左内が、15歳のときに日頃の心がけを5項目に書き記した『啓発録』(講談社学術文庫所収)という手記があります。

左内は手記の中で、一番初めに「子供じみた甘えを脱却せよ」と題して、次のように述べています。

「遊びにばかり熱中し、甘いものをむさぼり食い、毎日怠けて安楽に流れる。それも幼い子供のうちは強いて責めるほどのこともないが、学を志す十三、四にもなって、そんな気持ちが微塵でも残っていたなら、何をしても決して上達することはない。まして天下一流の大人物になることなど程遠い。」

誰しも心当たりのある内容じゃないでしょうか。
耳が痛いです・・・。

ほか4項目はざっとこういう内容です。

恥辱を知って、人に負けまいと強く決意せよ。
自分の目標を揺ぎなく定め、ひたすら精進せよ。
優れた人物の立派な行いを見習い、実行せよ。
自分の向上につながる友を択(えら)べ。

と、あります。

ご興味ある方は是非「啓発録」お読みください。

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今日の歌は「あの子はたあれ」です。
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