シベリア抑留と労働について(4) | アイコの世直しブログ 

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さて、長く書いていますが、いよいよシベリア抑留と強制労働について書きたいと思います。


まず、書かなくちゃいけないことは、このシベリア抑留と強制労働は、当時のソ連が日本との条約を一方的に破棄して、宣戦布告し、日本統治下だった満州帝国と朝鮮半島北部に軍事侵攻し、日本が中立国を通して、降伏を声明をしているのにもかかわらず、それを無視し日本領の樺太と千島を占領したことから始まります。


これらの行動は、日本の敗戦が見えてきた時期にアメリカ、ソ連、イギリスで密約を交わしたヤルタ会談に基づくものです。

ヤルタ秘密協定では、ソ連に対して、日本領土である南樺太、クリル諸島、満州の旅順と東清鉄道の領有が認められていました。

ドイツが無条件降伏したのは、1945年5月8日のことです。それから90日後の8月9日にソ連は軍事侵攻してきました。

8月14日に日本は、ポツダム宣言を受諾し、翌日15日に国民に発表。事実上の終戦を迎えました。

その翌日の16日に樺太、18日に千島に攻め入ってきてるんですよ!

はっきり言って火事場泥棒ですよね?


敗戦国というのは、本当に何もかも無法です。全て勝戦国のいいなりです。


8月18日に満州帝国が滅亡

翌19日に停戦交渉を行っています。

その停戦会談により、満州等にいる日本人の民間人及び、武装解除後の日本軍は日本へ帰国できることになっていたのに、ソ連は無視しました。


8月23日ソ連の大統領のスターリンは、日本軍捕虜50万人のソ連移送と強制労働利用の命令を下します。

これは、終戦時、スターリンがアメリカのトルーマンに日本の北海道を分割しソ連で占領したいと話したところ一蹴されたので、その腹いせにシベリア抑留をしたといわれています。


9月5日満州を統治していた関東軍、日本軍将兵、在満州民間人、開拓移民団の男性がハバロフスクに集められました。みんなは条約どおり帰国できることを期待します。

ソ連は、1000名程度の大隊にわけ、貨車に詰め込みました。一人あたり20cmくらいしか幅がないところで横になるしかなかったそうです。行き先を告げられずに乗り込み、何十時間も乗り、急に方向が転換され、日没の方向から西へ向かい始めたことがわかり、みんな絶望したそうです。


分けられた大隊は、570あったそうですが、抑留されたのは65万人というのが定説だそうです。

しかし、モスクワのロシア国立軍事公文書館には、約76万人分の資料が収蔵されているということです。


シベリア抑留と言われていますが、実際には現在のモンゴル、中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、(1)で述べたウズベキスタンのようなヨーロッパ、またはソ連などに送り込まれています。


日本人の捕虜の多くはシベリアの収容所に抑留されました。


日本人のほか、200万人以上ともそれ以上とも言われるドイツ軍捕虜、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、イタリア、スペイン、バルト三国からも送り込まれています。


ただ、ここでも、白人と有色人種の扱いの差が激しかったみたいですね。



今日はここまでにいたします。

また明日UPいたします。

ありがとうございました!