特別シーラカンスに興味があるというわけではないが、
たまたまNHKで放映していた、シーラカンスを取材した記録映画というのをみた。
確かに、生きたシーラカンスの生態を捉えた記録映画は迫力のある映像が続いた。
全体は2つのストーリを織り交ぜながら構成されていた。
ひとつは、シーラカンスそのものの解説、取材した記録の紹介、スタッフたちの苦労。
もうひとつは、取材地に生活する村の人々の生活と、シーラカンスが発見されたがゆえに、持ち上がった生活の問題。
生きた化石の発見は、その地の人にとって幸運をもたらしたのではなく、
タンザニア政府がとった「シーラカンスの保護」のためこの村の近海に保護域が設けられた。
その結果、魚で生活する現地の人々にとっては、大きな収入減となり、
政府へ改善を申し出ても、すぐにはなにも変わらないことでこまっていた。
シーラカンスの取材と現地生活者の問題
この二つの物語は、それぞれの話であって、二つの話がひとつの記録映画のなかで進行していた。
放映も終わりが近くなったときに、新たな場面があった。
この二つのストーリが一つになっていたのだ。
取材陣が、撮影したシーラカンスの記録映画を地元の人達に紹介する催しがあったのだ。
集会用の建物とその中に放映するパソコンと、その周りにあつまった村人がいた。
そして、パソコンにうつされたシーラカンスの生態。
村人たちは大人も子供も老人もいたがみんな、真剣な顔で見入っていた。
それを観終わった人々は、とってもよかった。とみな言っていた。
このあとのことは割愛するが、お互いが協力することで解決不可能な問題が解決していく道筋がうまれてくることが暗示されていた。
http://www.nhk.or.jp/darwin/report/report063.html
