前回の続きです。

のんびり書くと三日坊主が発動しそうなので、連日投稿することにしました。

 

何事も持久力が無くて心底ダメな人間なんです。

そんなダメな自分も、今では認めることができて毎日幸せです。

 

こんな風に思えるようになったのも、夫の存在があったから。

 

今でも結婚生活を続けていたら?

今よりもわがままで、今よりも好き放題の、今よりも喧々した女になっていたはず。

 

私の事は後々綴るとして、本編いきます。

 

 

動けなくなって病院へ駆け込んだ

 

 

弁当事件から半月くらい経った時、とうとう夜にダルさと腹痛で動けなくなりました。

脂汗をかいてうずくまる夫。

いつかこうなる予感がしていたので、すぐに財布と保険証を持って、子供を抱えて車に乗せました。

夫を助手席に座らせて、近所の大学病院の夜間診療に駆け込みました。

 

病院でここ数ヶ月の様子と現在の症状を伝えると、「サプリメントは飲んでますか?」と聞かれました。

内臓系に何かが起きていることを察知されたのでしょうか。

 

体温を測定すると38度くらいの熱もありました。

念のためマスクを渡されて待っていると、中からドタバタと先生と看護師さんが話している声が聞こえてきます。

 

しばらくすると夫が呼ばれました。

当直に専門医がいないけど、まず痛みのある腹部のレントゲンを撮ります、ということで診察室に入って行きました。

 

検査終了後、夜間外来のベッドに横になっている夫の脇で病状説明を受けました。

結果は、急性膵炎。

 

「今発熱しているのも膵炎から来るものだけど、点滴しておそらく数日すれば膵炎の症状は治るでしょう。」

 

けれど、その後話は続きました。

 

「ただ、レントゲンで腹部に影っぽいものが見えるので、これが炎症なのか、他のものなのか、明日検査してもらいましょう。」

 

影っぽいもの・・・。

ひどく胸騒ぎがしました。

 

夫は車椅子に乗せられてそのまま一般病棟へ入院することになりました。

病棟のナースステーションへ向かうと、夫の家系図と病歴を記入する紙を渡されました。

看護婦さんが険しい顔で言いました。

 

「お子さん、小さいけど、昼間はあなたは仕事してるの?保育園に預けてる?明日からしばらくは、仕事に行ってる場合じゃなくなるかもしれないから、お子さんは保育園に事情を話して預かってもらったほうがいい。」

 

この時に、夫はもう家には戻れないかもしれない、と悟りました。

それと同時に、さっきまで息も出来ないほどだった胸騒ぎがおさまり、妙に腹が据わった自分がいました。

 

息子がいるんだから、しっかりしなくちゃ。

 

診断は出ていなくても、たくさんの患者さんを見てきている当直の先生や看護婦さんには、夫の病状は明らかだったのでしょう。

 

 

翌日は、看護婦さんからのアドバイス通り仕事を休んで、息子は保育園に預けて朝から病院へ行きました。

 

点滴のおかけで、だいぶ顔色は良くなっていました。

 

「まさか自分が入院するなんてなぁ。」と普段の笑顔も見られて、心底ほっとしたのを覚えています。

看護婦さんの前日の険しい様子は気になったけど、それよりも私は、ここ一ヶ月以上毎日食べられなくなるほど苦しんでいた夫が、やっと病院で診てもらえることに安堵の気持ちでいっぱいでした。

 

入院をしてから3日ほどで膵炎の症状は完全に無くなりましたが、その間、腹部レントゲンで見つかった「何か」の検査を二週間くらいかけて行ないました。

 

 

続く