私の夫は、44歳の時に肝内胆管癌が発覚し、闘病わずか3ヶ月で亡くなりました。
結婚して3年、子供が1歳の時でした。
もう10年も前のことなので記憶が曖昧です。
日記やSNSなども残していません。
息子と二人の生活は有り難くも安定していて、過去を思い出して悲観する事もなく、だんだんと記憶が薄れていく日々。
でも最近になって、やっぱりあの時のことをこれ以上忘れたくないと思うようになりました。
それと、私が色々と日頃感じていることをブログで発信する時に、どんな奴かがわかった方がいいのではないかと思うようになりました。
自分の事や家族の事を表現するのは、どうも苦手なのですが、のんびりと書いていきます。
夫は土建国保に入っていましたが、私と結婚するまでほとんど健康診断に行ったことがありませんでした。
子供が生まれてようやく重い腰を上げて健診に行ったのが、2009年2月頃。
40歳以上なので本当なら人間ドックを受けるべきですが、今まで何十年も医者にすら行ってなかったんだから大進歩だ、と私もさほど気にしていませんでした。
健診結果は、
血液検査の肝臓系の数値が軒並み基準値を超えていて、所見は「3ヶ月以内に要再検査」。
本人は、酒も飲むし40歳だしそんなもんだろうという感覚だったみたいです。
私はイヤな感じはあったものの、3ヶ月くらいしたらまた血液検査に連れて行こう、とやっぱり楽観視していました。
でもまさにこの数ヶ月後の2009年夏、夫の体調がみるみるうちに悪化していったのです。
屋根職人だった夫は毎年夏になると、屋根は目玉焼きが作れるくらい暑い、と言っていました。
でも2009年は猛暑日もそんなに多くなくて、わりと穏やかな夏だったと思います。
それなのに7月の早いうちから、仕事から帰ってくると、夫は毎晩、ダルいと言っていました。
ダルい。
夏バテした。
疲れが抜けない。
そう言いながらも夜はきっちりお酒を1〜2杯飲んで、夜中1時前に就寝する。
疲れてるんだから早く寝たら。
なんて言っても、頑固だから聞かなかった。
でも今思えば、こうして頑固でいられるうちは、まだ余裕があったんですね。
8月に入ると、夏バテであまり食欲がない、と食事を残すようになりました。
体力勝負の外仕事で、どんなことがあっても食事はきっちりと摂っていたのに。
おかしい。
絶対これは夏バテではない。
その時に健診結果が頭をよぎりました。
イヤな予感がする。
8月中旬のある日、仕事から帰った夫が険しい顔をして言いました。
「弁当の白飯が腐ってた。味も変わってたしお腹も下した。古いご飯を弁当に入れるな。」
え・・・
炎天下に持っていく弁当だから、当然傷まないように対策してるのに。
うちは親も職人、親戚も職人。
私は職人一家で育ったので、教えられなくても夏の職人弁当の作り方は知っています。
それに同じ朝に炊いたご飯を、私も息子も食べていたのに、3〜4時間で腐るなんてあり得ない。
そして何よりも普段は超穏やかで優しくて寡黙な夫が、こんなふうに言ってくるなんて初めてでした。
絶対これは普通じゃない。
私「大丈夫?体調しんどそうだから病院行こうよ。」
夫「へいき。でもご飯は怖いから、しばらく弁当はおかずと味噌汁だけでいいから。」
この頃から夫はまた食当たりを起こすと辛いからと、食事量を減らすようになりました。
大好きだった晩酌もしなくなり、早々に布団に入るようになりました。
続く