こおろぎ


賣旨 治 様


 わたしは、もうこれ以上あなたとご一緒することができません。


 わたしは、これまでに何度、今日こそはと意を決してこのことをお伝えしようとしたことでしょう。けれど、いざあなたを前にするといつも言えなくなってしまいます。わたしがそれを口にする前にあなたはいつも素頓狂なことを言ってするりとわたしをおかわしなさいます。「現代の奇病、健康病。どうだい? アンニュイな感じがしないか?」「宇宙からは何も引かれないし、宇宙には何も足されないのだ。気にするなんて馬鹿らしい」「何でも彼でもやり遂げようとすること勿れ、だ。ちょっと出かけてくる」 無学なわたしからすれば具にもつかないことに思えるのに、あなたが神妙な面もちでそうおっしゃると、まるでストーブの天板に置いた氷みたいに意を決していたはずのものがあっという間に溶けて空気にまざって消えてしまうのです。哀しいだのやるせないだのあんなに思いつめていたはずの感情が、滑稽で間の抜けたとても馬鹿らしいものに思えてきてついには口に出すことができなくなるのです。

 でも、今回ばかりは、あなたの魔法が完全に解けてしまいました。繋がれていた糸のようなものがプツリと切れたその音が確かに聞こえました。最後まで残っていた金星Venus も夜明けの空から消えてなくなりました。


 日曜日の朝早くに得下さんが訪ねて来られて「賣旨君がうちの、」と言いかけてお芝居みたいにやや間をおいてから「美枝子さんには言いにくいんだけど、チャーコと奥多摩で入水自殺をはかったらしいんです。幸い二人とも命には別条はなくて、これから病院に行くところです。美枝子さんも一緒にどうかと思いまして」と言われました。わたしは、どうせまた架空取引所の相談か何かで来られたのだろうと思っていましたので、入水自殺と聞いても最初は何を言われているのか飲み込めませんでした。ようやくそのことを理解すると、猛烈に腹が立ってきました。わたしには言いにくい? わたしも一緒にどうかと思った? わたしがあなたと千矢子さんのことを知っているとわかっていながら、言いにくいだなんて。出版社の編集長たるもの人の感情がわかる方がお努めになるものと思っていましたが、こういう社交辞令を平気で言える方こそふさわしいんだ。わたしがどういう顔をして病院へ行き、そこであなたや千矢子さんに何を話すというのでしょう。わたしは、腕時計に手をやりわたしの返答を待っている得下さんに、わたしは行けません、とだけ答えました。得下さんは、わたしから聞いたわけでもないのに、奥さんへは既に電話したともおっしゃいました。得下さんは、わたしの反応を見るためにわざわざお訪ねになったのではないかとさえ思いました。けれど、わたしの行き場のない苛立ちの源は、あなたもわかっていらっしゃる通り、そんなことではないのです。得下さんへの憤りは腹いせにすぎないのです。怒りの矛先を変えたにすぎないのです。


 銀座のカフェの扉を開けるとカランコロンとゆっくりとした鐘の音が鳴って、カウンターの隅にいらしたあなたがこちらを振り向き、ほんの一瞬、わたしと目が合いました。東北の実家を追われるようにして、二等寝台でその朝早くに上野駅についたもののどこへ行く当てもなく、ラヂオのパアソナルテイが銀座の何処そこは...、銀座でどうのこうの...、自慢げに話すのをよく聞いておりましたので、夢遊病者のようにいつの間にか銀座の街を歩き、何の気なしにそのカフェの扉を開けたのでした。わたしは、カウンター席とはできるだけ離れた窓側の席に座りました。故郷の訛りが出ないように注意してミルクカフェを注文しそれを待っていると、あなたが近づいてくるのがわかりました。「ここ、いいですか?」わけがわからず唖然としているわたしの返事を待つこともなくあなたはわたしの前に腰掛けました。まだ陽気のつづく初秋でしたが、あなたはもう黒いマントを羽織っておいででした。

 あなたは席に着くやいなや、その日初めて会ったわたしの目を見据えてこうおっしゃいました。

 「僕と一緒に死んでくれないか」

わたしは、驚きました。その唐突で乱暴とも思える申し出に驚いたのではありません。わたしが考えていたことは、そういうことだったのだ。わたしの心の奥底でうごめいていたもの、形もなく言葉にできなかったもの、確かに自分の中にあるはずのものなのに自身ではその正体がわからなかったもの。それをカランコロンと鐘が鳴り目が合った一瞬のうちにあなたはわたし自身が知り得ないわたしの心の奥底を見透かしてしまった。本当に驚きました。衝撃を受けました。雷に打たれて電流が流れたとしたらこんな感じではないかと思いました。即座にわたしはあなたの目を見て「はい」とはっきりお答えしました。あなたはわたしがそう答えることをずっと前から知っていて、こうなることが初めからわかっていたかのように、わたしを連れてそのカフェを後にしました。そして、その日から5年目の春を迎えた今日の今日までその魔法は解けることがなかったのです。


 あなたが文壇の雄と呼ばれている流行作家であると知ったのは、あなたが船橋の一軒家を借りてくださってからひと月ほど経った頃のことでした。文芸やら芸術やらに疎かったわたしには、あのカフェでお会いした時、あなたが有名な方であることなどついぞ知る由もありませんでした。

 船橋に住み始めた頃はあまりご自宅に帰らず、長い間うちにお泊りになることが度々あって、わたしが言うのもおかしな話しですが、もう少しご自分の家庭を大事にされたほうがいいんじゃないかと思うことさえありました。それが時が経つにつれて、何日かお泊りになったかと思うと、ちょっと出てくるとおっしゃったきりしばらくお戻りにならない、そんなことが増えるようになりました。それでもわたしは、ああ、この人とわたしは死ぬのだ、と思えば寂しいとかまして嫉妬心のようなものは微塵も湧いてきませんでした。


(こおろぎ2へつづく)


あとがき

 むむむ、fxまでたどりつかない。それどころか、こおろぎもまだ出てきてない。設定ミスだ。

 万が一、fxと思ってこれを見た人がいたら、なんじゃこりゃ、と言うなぁ。タイトルがfxなんだもんなぁあ。。。もうひはけふぁひぃにゃひぇん。。。

 ま、どっちだっていいや。。。

(一日目のつづき)

 

【行程】

一日目95km; ピエリ守山〜彦根〜木之本〜大浦口〜海津大崎西側入口

二日目65km; メタセコイア並木〜風車街道〜白髭浜〜琵琶湖大橋西詰〜雄琴〜ピエリ守山


 海津大崎西入口にて

 5時頃に目が覚めて起き上がれるかどうか、宿の居間にセットした敷布団の上でまずは恐る恐る座ってみる。おぉ、なんともないぞ。。。昨夜寝る前、腰に違和感があって、以前ヘルニアで3ヶ月の間立ち上がることができなかった時の感じに似ていたので不安だった。が、どうやらそれは杞憂に終わったようだ。しかも、筋肉痛は多少は残っているものの、昨日の昼飯のうなぎ屋での状態を思えばほぼ回復している。おぉ驚異の回復力と自画自賛しつつ、そそくさと荷造りを終わらせ釣りの準備にとりかかる。ここを8:00出発予定にしたので、日の出の6:00頃から小一時間は釣りができる。

 布団を敷いた居間のテレビは点いたままだった。私は概ね5分で眠りにつくことができる能力を持っているのだが、昨日はさすがに疲れ果ててこの能力を使う間もなく電気を消し横になると即寝入ったようだ。

 

 同行の友人は二階の寝室で寝ている。昨晩は何故かどこのホテルも満杯で慌てて一棟貸しのここを押さえたのだった。一棟貸しはとにかく使える空間が広い。ここも3DKあって一部屋は今回全く使っていない。朝の5時に多少の音をたてても気兼ねなく荷造りも釣りの準備もできる。

 

 昨日ここに到着した時、玄関の鍵の開け方がわからず、オーナーに電話した。中国人らしき日本語のイントネーションで女性が応答してくれて無事解錠することができた。中国の不動産が行き詰まりその金が流れてきて日本の不動産業界が結構賑わっていると聞く。日本のタンス預金が数十兆円あると聞けば、私でも相当な驚きを覚えるが、こういう中国人女性だと本当に腰を抜かしてしまうんじゃなかろうか。

 

 昔の漫画で中国人が喋る日本語は、何でもかでも「...ある」を語尾につけていた。「...期待していたあるか?」 「申し訳ないあるね。。。」とか、そんな感じだった。今、どんな中国人と日本語で話しても、そういう話し方をする人と私は出会ったことがない。昨晩電話で話した人も「鍵が開かないあるか」とは当然言わなかった。昔の中国人はそういう話し方をしていたのだろうか? あるいは漫画家が作り出したものだろうか? もし後者であればそれを編み出した作家は天才だと思う。顔かたちが明らかに異なる白人や黒人は吹き出しをカタカナにすれば雰囲気が出るが、黄人同士だとこうはいかない。中国人っぽさを出すには人民服かチャイナドレスを着せるのだろうが、今時そんな服を着ている人は、おじいさんか昔気質の政治家かYMOのアルバムジャケットか 'そこに愛はあるんか' CMファイターゲームバージョンの女将くらいのものだろう。吹き出しもカタカナというわけにはいかない。しかし、我々の世代だと「...ある」というこの話し方を聞けばドラマでも映画でも漫画でも中国人だとすぐに分かる。漫画家が編み出したものだとすれば圧倒的なイメージ戦略である。他の世代だとどうなんだろう。ま、どっちだっていいや。。。

 

 海津大崎の花が咲いていない桜の木の下の湖岸は足元よく200mほど歩きつつ釣りをした。早朝、昨日できなかった釣りができて気持ちが良かった。50投はしたがあたりなく7:00前に撤収。友人に釣った魚の写真を見せつけたかった。。。

 

 

 

 メタセコイア並木〜白髭浜

 8:00頃、一棟貸しの宿をあとにする。今日ここから先は、10月の初旬に一人で走った行程を逆方向に進む。

 まずは知内川を遡り、メタセコイア並木へ(メタセコイヤ並木の作文は以前書いたので割愛)。上り坂では昨夜晩飯を食いながら友人に伝授してもらった重心を前にする走法を実践。重心が後ろにあれば後ろ方向=坂の下方向へ引っ張られる力が強く働く。これまでどれだけの坂をハアハア言いながら上ったか分からないがそんなことは考えもしなかった。こうして私は世界のサイクリストの階段をまた一段上ったのだった。

https://maps.app.goo.gl/46VzTxMrtNtUhhvJ7

 気温が高く、丘を登りメタセコイア並木につく頃には汗ばみ上着を脱ぐほどであった。おぉ、今回は紅葉している。10月の時にはまだ青々と夏の緑だったが、今回はまさしく秋の色に様変わりをしている。女性と一緒であれば違うのだろうが、おじっつぁん二人は感想を述べることも会話すらなくもちろんロマンスのかけらさえあるはずもなく、おそらく南北にまっすぐにつづく並木道を黙々とそしてあっという間に駆け抜けた。

 

 近江今津のマクドナルドで朝食をとる。体力が完全に回復している。昨日、昼ごはんを食べた後、席を立つのにも机に手をつく必要があったが、今日はそんなことをしなくても良くなった。

 

 風車街道を南下している時、湖岸の公園で若い、高校生くらいだったか、十数人のビワイチ軍団がオリエンテーションらしきことをしているのが見えた。合宿かなにかだろうか。明らかに服装が異なるコーチらしき人も数名いるのが見てとれた。

 

風車街道(県道333号)

 

 しばらく走っていると、先程の若いビワイチ軍団5-6名がコーチに率いられて、ミニベロとマウンテンバイクという稀なビワイチおじっつぁん二人を軽く抜いて行った。おそらく上級、中級、初級にグルーピングして走るのだろう。今抜いて行ったのは上級グループと想像。昨日通ったR303の坂を彼らは如何にして上ったのか聞いてみたかったが、ロードバイクは速く私に聞く隙を与えることなく遠く過ぎ去って行った

 

 高島の半島に入ったくらいからポツポツが降り始めた。前回10月の時は道を間違えて高島の内陸部を走ったが、今回通った湖岸沿いの道は、交通量も少なく多少のアップダウンがあるものの苦にするようなものでなくとても走りやすかった。 

 緩いアップダウンを何回か繰り返して、坂を下りきった辺りで雨足が強くなり、木陰で雨宿りをした。我がebike Pegasusを降りて、何の気なしにサドルバッグを見ると、無い。ロッドが無い。サドルバッグのネットに挿していたロッドが無い。。。近江今津のマクドナルドの時は確かにあった。高島に入ってからのアップダウンの下りのどこかで落ちたのに違いない。探しに戻るとなると往復で小一時間はかかってしまう。友人を雨の中で待たせる訳にもいかないかなと思って諦めることにした。それでも諦めきれない私は最後に下った坂だけ探してみたのだが、ここには落ちていなかった。

 雨が小降りになるのを待つ間、若いビワイチ軍団中級グループが通り過ぎて行った。軍団に気づいた友人が '釣り竿落ちてなかった?' と声をかけたが、雨が降りレインコートのフードをかぶっていて聞き取れなかったのだろう。仮に聞き取れたとしてもコーチなら救助要請かと思って立ちどまる可能性が高そうだがトレイニーなら立ちどまりにくいだろう。軍団に気づいた時にはすでにコーチは走り抜けた後で声をかけたのは明らかにトレイニーであった。こうして私は落としてしまった釣り竿を完全に諦める事ができた。そしてしばらくすると雨が小降りになった。

 

 

 高島の半島を南に通過する辺りで風車街道からR161に出て白髭浜方面に向うのだが、R161の新道が高架になっていてどの道を行けばよいかかなり迷う。グーグルマップを見ても複数の道が重なってよく分からない。前回10月の時は逆方向から北上したが、その時もいつの間にか内陸部の道を走っていた。今回は道路上に書かれているビワイチルート案内を頼りに走り高架の下をくぐってようやくR161に出ることができたが、それでもかなり迷ってしまった。どこをどう通ったのか後で地図を見ても確認できない。かなり複雑である。

 

 

 白髭浜に出た頃には雨はあがり、陽がさしはじめた。前回、10月に来たときは、反対側の車線を通って見れなかったが、今回は陽光の中を波が砂を洗い、水は透明度があり湖底を見ながらebike Pegasusを走らせることができた。とても美しかった。やはりビワイチは反時計回りに、湖を左手に見て走行するべきである。

 白髭浜は、琵琶湖で有数のビーチである。東岸の近江八幡にある休暇村にあるビーチへは若い時分に何度か泳ぎに行ったことがあるが、ここには降り立ったことがない。老人となった私には遠目に眺めるだけで満足である。白髭神社の大鳥居が湖中に建っている分、私の中では他のビーチを抜きんでている。初めて湖西道路を北上して朝日に照らされた大鳥居を見た時は、車の中で、おぉっ、と声が出た。一見の価値がある。

 

 

 道路を渡って白髭神社のそばにあるコンビニオアシスに立ち寄る。白髭浜には降り立たなくてもコンビニオアシスである。よくよく考えれば、今回の旅はコンビニしか回ってない気がしなくもない。

 

 琵琶湖大橋西詰〜雄琴

 雨上がりの柔らかい陽射しの中を、一度だけチェーンが外れたくらいであとは順調に南下。途中、外国国旗が掲げられている館から二人の若い東欧人と思われる女性が出てきて新たなロマンスの気配を感じたが、当然のように何事も起こらずに過ぎ去ってしまった。

 13:00頃、琵琶湖大橋西詰に到着。白髭の後、コンビニオアシスに立ち寄った記憶がない。腹が大いに減り、ラーメンと焼き飯のセットを食す。ラーメン屋を出ると、また雲行きが怪しくなってきた。

 琵琶湖大橋から南は、南湖と呼ばれている。南湖は交通量が増え走りにくくなるが、ここから20kmほど南下して大津を反時計回りにぐるりと周り、琵琶湖東岸を北上して昨日の出発地点ピエリ守山にたどり着けばビワイチ完走となる。残り推定距離45km、ゴール目前である。将棋で言うとビワイチに王手をかけた状態である。

 ところが、雄琴温泉の看板が見えた辺りで雨が降り始め、予報を確認するとしばらく止みそうにない。

 やめとこうか。そうするか。という話しになり、今来た道を引き返して琵琶湖大橋を東に渡って、琵琶湖伍分の四を完走。

 

 何でもかでもやり遂げようとすること勿れ。これが桃源郷の境地と心得よ。 by どなたたなか

 

 

(琵琶湖 伍分の四 終わり)

 

 編集後記

 今回同行した友人とは、高校二年の時にスキーに行って以来、2回目の旅行だった。もっと旅行している気がしたが、意外に友達とは旅行してないなと振り返る。

 

 32GBもある動画を棚上げにしたおかげで、グーグルマップ埋込を思いついた。ブログなら自分で撮るよりこっちのほうが良くなくなくね? ロッドを落としたことに気づいた場所の写真が地図付きでだせるんだもんな。あんな場所で写真撮らないよ、普通。。。一日目に貼り付けた手作り感満載の地図もこの先は間違いなくグーグルマップだわな。。。

 ついでに先週行った淡路島のビデオはこの琵琶湖の4倍、なんと128GBもある。ダウンロードどころか見るだけで何時間もかかるじゃないか。。。どうするんだ。。。それどころか、もしこれがかみさんにバレでもしたら、見もしないSDカードを毎回毎回買って馬鹿じゃないの? うちにはそんな余裕はありません、とまた叱られてしまうじゃないか。。。

 

走行データ

・走行距離: 160kmくらい
・走行時間: 600分くらい

・平均時速: 15.7km/h

・max時速: 42.6km/h

・日時       : 2023/11/27~28
・場所       : ピエリ守山~海津大崎西側入口~メタセコイヤ並木〜雄琴〜琵琶湖大橋西詰〜ピエリ守山

 

 

 琵琶湖 伍分の四

 

 ビワイチと呼ばれる琵琶湖一周。今回、あと40kmを残して雨天コールドによりビワゴブンノヨンと相成る。

 旅程は2023.11.27-28の2日間、今から4ヶ月程前の桃源郷記である。このブログの他に無言ユーチューブも行なっているが、この時の32GBの撮影データが動画編集ソフトへダウンロードできない。長時間を要したあげくノートPCがダンマリになってしまう。メモリ不足である。2−3度トライしてついに心が折れてしまい、放ったらかしとなった。先週、アワイチと呼ばれる淡路島に行ったのだが、この琵琶湖伍分の四を書かないと次に進めない。律儀といえば律儀である。動画編集は棚上げにして4ヶ月後の今、ようやく重い腰を上げた次第である。

 琵琶湖一周、約200km。高校の時、ミニチャリで広島ー大島間往復約160kmを一晩で走ったことがあって、時速25kmでは行けるとたかをくくっていた。しかし、全然違った。二日で200kmはきつかった。桃源郷どころではなく修行となってしまった。

【行程】

一日目95km; ピエリ守山〜彦根〜木之本〜大浦口〜海津大崎西側入口

二日目65km; メタセコイア並木〜風車街道〜白髭浜〜琵琶湖大橋西詰〜雄琴〜ピエリ守山

*誤記訂正;凡例の日付は28-29となっているが、27-28が正しい

 

 ピエリ守山〜彦根

 今年、クライムヒル何某大会に参加しようとしている高校時分の同級生と同行した。彼とは年に数回は行き来があり、懐かしいという感慨はない。ただ、それが半世紀にわたって続いていると思うと、時間は着実に進むというわかりきったことに今さら驚いてしまう。

 7:00に琵琶湖大橋東詰のピエリ守山で落ち合う。彼はここに来る前、関東の辺りでスキューバダイビングをした後、マウンテンバイクのレッスンを受けて来たという。元気である。そして金にかなりの余裕がある。本人はそう思ってないと思うが、こうなるまでにはかなりの苦労があったと想像する。

 彼のワンボックスの屋根にはマウンテンバイクとロードバイクが積まれていたが、私のミニベロにあわせてマウンテンバイクで付き合うとのことだった。ピエリ守山にあるビワイチ専用駐車エリアにはこの日も平日でありながら数台の車が停められていたが、ミニベロ、マウンテンバイクのビワイチツーリストは、おそらく稀な存在ではないかと思う。

 8:00過ぎにピエリ守山を出発。湖北にある西野水道を観光して、大浦から海津大崎辺りで釣りをしたいとおぼろげに思っていた私は、最低でも時速25kmで走る必要があった。先行逃げ切りで。。。しかし、30分足らずで太腿の疲労を感じて、最初に見えたコンビニで水を買うと称して自転車を降りたのだが、すでに足元がフラフラするので、これはやばいなと思った。

 

 さざなみ街道を北上するが、腹が減ってすぐに2度目のコンビニ休憩。バナナとシュークリーム、牛乳を買いむしゃむしゃ食べると自分で思っている以上に喉が乾いていたのか、バナナが食道につかえて食道が破裂するんじゃないかと心配になるほどだった。破裂感が引くのを多少待って、さざなみ街道を再び北上。

 

 長命寺を左に折れて、彦根近江八幡線という湖岸沿いの山道に入った。これしきのアップダウンにやられてなるものかと西野水道めがけて必死でペダルをふんだ。これがいけなかった。山道をようやく越え、堀切港で休憩をとった時には、自転車を降りるのもおぼつかず、今日の体力を全て出し尽くした感満載となってしまった。出発地点から25km、今日の行程をまだ四分の一過ぎた程度である。出発から2時間も経っていないのに輪行して電車でGoの誘惑が頭をよぎる。

 

 

 やや長めの休憩の後、更に北上を続けてようやく彦根に入ったのがちょうど12:00。飯を食おうということになって、彦根城南側の夢京橋キャッスルロードにあるうなぎ屋に入った。2階の席を案内されたが、内腿の膝辺りの筋肉が階段を登るたびに攣りそうになる。筋肉が明らかに異常をきたしている。友人がガーミンをチェックしてオーバーワークのアラームが出ていると言ったきり、疲労困憊の二人は口数が少ない。うなぎはパリパリとした食感で、タレを後付するという私には珍しい食べ方だったが、肉離れとかするんじゃないかと心配な私にはうなぎの味がしなかった。1時間ほどいたと思うが、席を立つ時も机に手をつき、階段も転げ落ちないよう慎重に下りた。出発地点から45km、今日の行程の半分にも達していない。この時点で西野水道も大浦の釣りも絶望的である。日没までに宿につけるかどうかさえおぼつかない。

 彦根〜木之本〜大浦口

 

 再び、さざなみ街道を北上。烏帽子岩など風光明媚な湖岸を走るも眺め記憶する余裕はなくひたすらペダルを踏み続ける。大体1時間おきにコンビニ休憩をとるのだが、コンビニがオアシスに思えてくる。景色よりも至福のコンビニ休憩である。しかし、長浜近辺で名も無い湖岸公園で休憩をとった時、筋肉疲労が和らぎ、肉離れするんじゃなかろうかという不安は一掃された。これを書いている段階で知ったことではあるが、乳酸がエネルギーに再利用されたのに違いない。もしかするとうなぎが効いたのかもしれない。ついでに、輪行して電車でGo!の誘惑も消えた。

 西野水道は鼻から諦めており、長浜でさざなみ街道をそれて県道を抜け国道8号線を北上。16:00頃、本日のルート最北端となる木之本付近のコンビニオアシスで休憩をとる。木之本の交差点を左に折れて国道303号線を行けば琵琶湖西岸に出る。ここ木之本から今日のゴールまで20km弱。大浦での釣りは完全に無理だが、なんとか日没の18:00前後には到着できそうだ。そう思うと元気が出てきて順調に大浦口に到着。

 

 

 大浦口を左折すれば大浦へ出る。大浦を周って走れば、複雑に曲がりくねったリアス式の湖岸が続き、今日の宿へもたどり着くことができる。しかし、街灯の無い山道であり日没間近とあって景色はほぼ見えず危険なだけであり、国道303号線をそのまま直進して西に向かう。

 

 大浦は、私にとって釣りの思い出の地である。初めて50cmアップのバスを釣り、辺りにいた釣客に写真を撮ってもらい、嬉しさのあまり長い作文を書きルアー新聞という新聞に投稿して掲載され3,000円もらったことがある。その新聞は今も大切に保管していているし、スライドにまでして自分の結婚式で自慢げに映して見せた。周りのみんなが結婚して家庭を持ち誰も遊んでくれなくなって、2年連続で3泊一人キャンプのバス合宿をしたのもこの大浦近辺である。今思えば自分の結婚式で映して見せたのは、誰も遊んでくれなかったことへの腹いせだったのかもしれない。

 

 大浦口〜海津大崎西側入口

大浦口から本日の宿まで、8km。おぉ、日没までには着けそうだ。。。しかし、ここからが修行の修行たる所以、修行には試練がつきものだ。どこまで続いているのか先の見えない上り坂。頑張ってはみたものの20mほどで力尽き、自転車を降りてしまった。友人は、クライムヒル何某大会に出るというだけあって決して速くはないが、自転車を降りることなくマウンテンバイクをこぎ続ける。友人との距離が離れて行きとうとう姿が見えなくなった。一人になってとぼとぼ自転車を押して坂道を上る。空はまだ若干明るいが、もはや風前の灯である。辺りに民家も建物も無い。ただ、車の往来は少なからずあるので山中に取り残されたかのような感じではなかった。熊が出たらどうするかちょっとだけ考えて、畑も果実もない所に熊が出るわけはないし熊出没の看板を見ていないことに思い及び安心する。そして電動自転車といえどもこぐことができなければ電気のアシストを享受できないことをつくづく知った。もうペダルを踏み込む力が残っていないのだ。車で何度も通った道であるのに、これほど坂が長かったとは知らなかった。行けども行けども坂が終わらない。トンネルを抜けるとマキノのハズだが、中々トンネルの入口にたどり着かない。お、トンネルかと思いきや、ただのコンクリートであったりする。そんなことを2回は繰り返してようやく間違いのないトンネルの入口が見えた。空は薄暗くからだも冷えてきた。ようやくトンネルに入ると中は明るく若干暖かかったが排気ガスのにおいがきつかった。下り坂、下り坂、下り坂はまだか、まだか。トンネルの入口の次は下り坂である。長いトンネルである。車ならなんということもないのに。。。まさか排気ガス中毒で倒れることもアルマーニ。。。みっちゃん道々ババこいて。。。みっちゃん、どうしているかな。。。などと、下り坂に到達するまで気を紛らわして、ようやく我がebike Pegasus にまたがったのだった。爽快に飛ばしてトンネルを抜けるとそこは夜だった。。。琵琶湖西岸を南北に通る161号線との交差点で友人がからだが冷えたと言いつつも自分を待ってくれていた。

 結局、海津大崎入口近くの宿についたのは、19:00をまわっていた。近所の小料理屋で飯を食い寝る前に、私は友人に一応、宣言しておいた。明日立てなければ、マキノから琵琶湖大橋辺りまで輪行するよ。。。大袈裟ではなく、腰の嫌な感じの痛みがあり、経験上、朝起きて立てない可能性があった。

 

 

(一日目終わり 二日目につづく)