【行程  '24.11.5~11/ 234km】

一日目        72.8km ; 

新尾道〜しまなみ海道/大島

二〜三日目 61.0km, 25.7km ; 

来島大橋〜はまかぜ海道〜松山〜広島

四日目                  ; 休養

五〜七日目               49.6km, 24.8km ; 

低山ハイク〜私的調査〜帰路


 来島海峡大橋

 スバラシイ。しまなみ海道のクライマックスというだけのことはある。来島海峡手前で一泊してよかった。今回の旅のハイライト。自転車で来てよかった。


 7:00、ゲストハウスの主人に見送られ、彼の言葉をかりればサイクリング大好きおじさんが朝日に向かって出発した。ほどなくこの来島海峡大橋に到着。


 車でしまなみ海道を通ったことはあるが、ここへは自転車で来るべきだ。橋の途中で停車できるのとできないのとでは、こうも違うものなのかと思う。巨大建造物の感じ方の度合いが違う。車を今治側に停めて歩いても良いと思うが、距離が長く行けども行けども終わらない修行になりかねない。自転車で来るべきである。

 来島大橋は、正確には3つの橋が連なっているとのことである。長いはずだ。


 中間地点あたりに展望台のようなところがあって、なにげに後ろを振り返ると、エレベーター入口と書かれた飾り気のない看板があった。普段の僕であれば行かないんだが、その看板がいかにもここは名所でござい、みたいなアピール感が全く無く逆にそこに惹かれて、なんとなく観光でもするかという気になった。堺にある千利休の屋敷跡がその昔はどこにでもある裏通りにひっそりとあった。ちっぽけで見えにくいところをわざわざ選んでつけたような看板があるだけ。おぉ、これぞ侘び寂び、と驚嘆したが、今ではアスファルトだった生活道は石畳になって、正面にはスターバックスができている。侘び寂びには遠く、まるで太閤さんを迎えるように飾られている。これを千さん本人が見たらきっとまた何かうまいことをいうんだろう。。。維持しようとすればそれだけで金がかかる。観光地化して銭を落としてもらおうとするのは致し方ないとは思う。しかし、名所旧跡の類は合理性の対極にあってそもそもが無駄遣いなんだから経費を払ったっていいんじゃないかとも思うのだ。

 さて、味気ない看板の下には、朝日のために薄暗く感じる通路があるだけでそこからエレベーターは見えない。我がebikeペガサスを押してややきつい勾配を下りると僕は好奇心の塊になった。そこは道路下に設けられた橋を横断するための通路だった。誰もいない。音の響きで巨大な建造物とわかる。ひんやりとした湿気。コンクリートの乾いた匂い。転落防止の無骨な金網。暗がりの向こうの巨大な橋脚。その隙間に見える山の緑、海の青。

 そのつきあたりに素っ気なくエレベーターがある。小綺麗にしている工事現場にあるようなエレベーターだ。階数を示す階数ボタンはたしか4階まで。乗り込んだ階数は3階、4階と2階は一般人NGだったと記憶する。エレベーターに乗ってすぐ、おぉ、橋脚を降りているぞ、と興奮する。

 馬島

 看板には書かれていたはずだが、そこが馬島であるということを後日知った。住民が10人、一般人はこの島に車で降りることはできないということである。

 馬島におり立つと港がある。港の奥の方に家屋が見える。生活圏のようなので引き返して橋を下から見る。肉眼で見るのと写真とではかなり違うなあと思う。
 橋の真下に瀬があって漁船が2艘、漁をしていた。ちょうど潮が満ちてきていたので、若干の渦を遠目に見ることができた。

 岩場におりて釣りをしたが、釣れる気がしなかった。先ほどの港を囲む堰堤には、昨日と同様にイカ墨の痕跡が大々的に残されていた。しかし、これもまた昨日と同様に、万が一にも青物が来たらと思うと持ってきた軽量の竿を出すことができなかった。痕跡のある場所を2度スルーして、ここなら青物は絶対来ないだろうと自身そう思っているわけで、当然、釣れる気がするはずがない。自分は馬鹿なんじゃないのかと思いつつ、潮目がいいので根魚ならと期待したが、すぐに納竿した。

 トンネルの先にビーチがあって、タイムラインを確認するとそこでなんと1時間以上、海を見ていたようだ。

  サンライズ糸山

 橋を渡りきって猛烈に腹が減り、来島海峡展望館でスパイシーホットドッグを食べた。10:30頃、サンライズ糸山というサイクリング拠点に立ち寄った。今治駅前がしまなみ海道ゼロ地点とのことだが、今回はここから西に折れて松山に向かう。しまなみ海道とはここにてサラバ。
 記念になんか買っとこうと物色して缶バッチにした。子供の頃、行った先々の缶バッチを帽子に着けているおっさんが少なからずいた。こんなものうれげにつけて恥ずかしくないのかと子供心に思ったものだが。。。普段はマグネットを集めて冷蔵庫に貼っているが、しまなみマグネットはどういうわけか売ってなくて、そこで缶バッチをリュックに付けることを思いついた。帽子なら恥ずかしくてリュックなら恥ずかしくないということではない。子供は行った先々のことをアピールしたいとは思わないが、歳のいったじじいになれば、行った先々をアピールしたいということなのだろう。
 後追いでビワイチ、アワイチの缶バッチをポチッとくかな。。。ん?、やっぱりなんか恥ずかしくなってきた。。。

 いざ松山。我がebike ペガサスにまたがると、ガイドつきの4-5人のサイクリンググループがやってきた。しばらく見ているとガイドが自動販売機の前に立って何やら説明を始めた。グループの中の一人の女性がカメラを向け何かを撮影した。何事かとガイドの説明に耳を傾けたが聞き取ることはできなかった。彼らが立ち去った後で、自動販売機を確認すると、チューブが販売されていた。流石は噂のしまなみ海道。。。

 はまかぜ海道

 40年前のデジャブの記憶。しまなみ海道のかけらもなく張り合う必要も便乗する必然性もなくはまかぜ海道というしゃれた呼び名もついてなかったこの道を、その時は松山から今治へ向けてスクーターで走っていた。とあるカーブの先のワンドを見て、初めて通る道なのにここに来たことがあるぞ、と大いに驚愕した。そのワンドの景色よりも驚愕した感覚が今でも強く残っていて、今回見つけられたらいいなと期待した。それらしいワンドにさしかかる度に確認しながら走ったが驚愕の事実はなにも発見できなかった。未来のかけらを見つけてもその先で果たしてなにが起こったのか窺い知ることのできない役立たずの能力。それが僕のデジャブ。いつの日にか役に立つことがあるんだろうか。。。

 あれよという間に昼過ぎになり、デジャブのようにまた腹が減ってきた。アイビーというよさげなレストランがあり客も賑わっているようなので入りたかったが、自転車を停める適当な場所を見つけられずスルー。
 なんとか自転車を停めて今しがたのレストランに入っておけばよかったかと後悔しかけた時、程なく道の駅があり、これを逃すまじと立ち寄った。海沿いにあるカフェは休みだったので、山手のレストランに入った。連休明けの平日にも関わらず店は混んでいた。自転車野郎はおらず、余生自由人の方がほとんどだった。
 いかの定食を注文しそれを待つ間、店内に書きめぐらされている世界のオータニさんの活躍や魚のことなどを読んでいた。その中に、料理担当が嘆いています、どうして皆さん刺身からお食べになるのかと。まずは揚げたての天ぷらを熱いうちに是非味わっていただきたいのです、というのがあった。いざ、料理が来て真いかの天ぷらがあり、接客係の女性から天ぷらは味付けされているのでそのまま召し上がってくださいと説明を受けた。先程読んだ、天ぷらからどうぞ、に素直に従ってみた。そんなに違いはないだろうと思いながら食べたのだが、僕は驚嘆してしまった。40年前のデジャブと同じくらいに驚嘆した。これは、うまい。
 僕は決してグルメではない。ほぼなんでもうまい。だから何を食べても覚えていない。これまでにこれこそはと記憶する料理は、ただひとつ。シンガポールのオーチャードをそれたDFS対面あたりの公園内にあるタイ料理レストランのフカヒレの姿煮である。フカヒレがこれほどうまいものとは知らなかった。その後、日本でもと思い値段のはるレストランをまわってみたが、その味には出会えなかった。日本のはにおいが無抜けすぎている気がする。まるで目黒のサンマだ。
 そして、このいかの天ぷらの衝撃はおそらくこの先ずっと記憶に残るに違いない。第二のこれこそは料理の出現である。シンガポールのフカヒレには複数回行ったが、そのレストランの名前を知らない。調べる気もない。だから僕は絶対にグルメではないのだ。


 松山

 40年前、ここで4年を過ごした。今年こそはグアムへ行こう、というスローガンを部屋の薄い壁に貼りつけていたが、結局金を貯められずそれが成就することはなかった。それどころか、半径5キロ以内をチョロチョロしていただけで、4年も住んでいたというのに大学と繁華街とアパートのあたりしか土地勘がない。今回もGマップ頼みだった。
 15:00、ビジネスホテルにチェックインしてアイスを食べながら、テレビでトランプさん返り咲きのニュースを見た。
 19:00に大学の時の友人と会い、キジ料理がメインの店に連れていってもらい酒を飲んで馬鹿話をした。いい店だった。明日の調査のことも話しをした。

 亡くなった友人のこと

 実名を出して良いものか? 

SNSでの呼びかけがきっかけで解決できたという話しを耳にする。実名を出して書いてみようかと思ったが、良し悪しの予測がつかず今回は伏せることにした。


 大学の時、ルームシェアした友人が交通事故で亡くなった。その後、僕が結婚したり子供ができたり、途方に暮れるようなことがあった時、節目節目で彼のことはいつも思った。自分のからだが動く内に墓参りをしようと思いたったが、彼の墓の場所がわからない。亡くなった当時はおそらくわかっていた筈だが、その時はとても墓参りする気にはなれなかった。そして40年が過ぎ、その頃のメモや手紙などは全て失ってしまった。


 今回、松山に寄って新聞記事と大学で調査をしてはみたが、結局、この程度では手がかりさえつかめなかった。当時、大学へはあまり行かなかったが、建物の配置や学食の踊り場などは見覚えがあり懐かしかった。事務局の校舎に入った時、僕の役に立たない能力が発動した。その夢では、校舎に入ったものの出口が見つからず誰もいない校舎の中をさまよったのだが、今回、現実の世界ではあっけなく外に出ることができた。


 chatgpt も辛抱強く調べることが重要ですとアドバイスをくれた。あきらめずに俺はやるぜ。当時のメモや手紙を失ったと思っているだけで、まだ探してもいないのだ。やれることはまだまだいくらでもあるのサ。。。


 今回、墓の手がかりはつかめなかったが、わかったことがある。彼を知る大学の友人が彼のことを覚えているのは普通にありえることだが、彼と接点のない友人も彼のことを覚えていた。高校の友人も何人か彼に会ったことがあるという。僕はそのことを全く覚えてないのだが、墓が見つかれば同行したいとさえ言う。映画の告別式などで、彼は今も我々の心の中に生きているのだ、というシーンがある。僕はこれを故人の肉親への慰めの言葉だとずっと思ってきたが、それは違った。今回あらためて彼を知る友人と話しているうちに、彼がそれぞれの心の中にいてその彼と話しをしたような気がしてきた。

 そして、こう思う。墓の前に立たずともこれは本来の目的に到達したのと同じことではないかと。本来の目的? それは何だ? 墓を探すことそれ自体が目的ではないことは間違いないが。。。

 だからといって、この件をここでやめるつもりはない。目的がどんなことにも重要だとは限らない。おぉ、そうだ、洗脳されてしまった目的至上主義を取っ払おう。


 広島

 松山から広島へはフェリーで移動した。松山港に向かう途中の交差点で、亡くなった友人の事故現場はここじゃないかと思った。昨日一緒にキジ料理を食べた友人の記憶と合致しており、まず間違いない。この時、大学からの確認待ちだったこともあって、またな、と一言いってそこをそのまま通り過ぎた。


 広島行きのフェリーは呉を経由する。日本製鉄呉の閉鎖が決まって解体がずっと続けられている。2年前、同じフェリーに乗った時、赤錆た巨大な廃工場に圧倒された。今回、そこは解体が終わり建物の残骸もほぼ無くなっていた。航路から遠い位置にある建屋は未だ残っていたが、フェリーからは何かあるなというくらいでそんな廃工場に関心を持つ乗客はもう誰もいなかった。次回見る時には全て撤去されているかもしれない。今回が見納めか。。。

 盛者必衰の象徴ともいえる夕焼けの方は人気があって、これをバックにカップルが自撮りしていた。夕陽は沈むがまた陽は昇り、日本製鉄呉は閉鎖されたが、今はUSスチール買収に躍起だ。何が盛者必衰だ。衰者必盛といってもいいじゃないか。じじいの戯言である。


 低山登山

 元々、今回は低山登山が先に決まっていて、どうせ行くならとしまなみと松山をトッピングした。低山登山は高校の同級生グループが月イチのペースで登っていて、今回初めて参加させてもらった。11/9、快晴、6名、11:00集合15:00下山。しかし下山後の方が長かった。
 15:30、居酒屋に始まってハシゴして結局02:00過ぎに帰宅。ハイキング4時間、なんと飲み食い10時間。この前日、一日休養しておいてよかった。。。

 三滝寺から宗箇山山頂に登り、大茶臼山へ抜け展望岩を見て下山。あとでグーグルのタイムラインをみたら、25kmも移動したことになっていたが、実際は6km程度、累積標高960mとのことだった。


 大茶臼山の展望岩へは、小学生の時、このあたりに転校した同級生と登ったことがあった。彼の家に泊まってカレーラーメンを作って食べたことを思い出した。


編集後記

 飲み食いの方が長い低山登山の翌日、父親と父親の友人らが見つけることができなかった場所を探しに出かけた。結局、父親らが50年前に撮った写真と同じ景色を僕も写して帰途についた。

 その場所に立ち、父親と父親の友人らはその場所をほぼ見つけていたが、あえて突きとめはしなかったのだということがわかった。そして、僕も同じように突きとめることはやめた。今度、父親の友人らの子供たちにこのことを伝えに行こう。きっと、彼らもそこに立てば同じ気持ちになるだろう。


 11月11日、広島から新大阪まで新幹線で帰途。今回、フェリーも入れて計5回乗り降りをしたが、輪行の駅内移動がかなり重労働だ。担ぎ方がまずくバランスが取れていないんじゃないかと思う。訓練が必要そうだ。

 新幹線に我がebikeペガサスを積んだのは今回が初めて。もうこれでペガサスと日本全国どこへでも行ける。

 

走行データ

・走行距離: 234kmくらい
・走行時間: 898分くらい

・平均時速: 15.6km/h

・max時速: 44.9km/h

・日時       : 2024/11/5〜11/11
・場所       : 新尾道〜尾道港(渡船)〜しまなみ海道ブルーライン/サンライズ糸山〜はまかぜ海道/松山(フェリー)〜広島


【行程  '24.11.5~11 234km】

一日目        72.8km ; 

新尾道〜しまなみ海道街道/大島

二〜三日目 61.0km, 25.7km ; 

来島大橋〜はまかぜ街道〜松山〜広島

四日目                  ; 休養

五〜七日目               49.6km, 24.8km ; 

低山ハイク〜私的調査〜帰路


 しまなみ海道

 噂のしまなみ海道である。新大阪6:59発のこだまを待つあいだに輪行袋を抱えた数人と会釈した。連休明けの平日というのに流石である。その中に僕と同じモンベルの輪行袋を担いだ若者がおり声をかけると、遠出するのは今回初めてで緊張していますと初々しく言った。彼は大学生でキャンプするとのことだった。11月とはいえ最低気温が15度もあればキャンプも楽勝だろうな。


 新大阪のコンビニで買ったかつと玉子のサンドイッチと昆布おにぎりを食べると新尾道についた。後で思い起こせばせっかくこだまに乗ったのだから明石でタコ飯弁当を食えばよかった。

 駅を出ると、自転車セッティングスペースがあった。やはり流石は噂のしまなみ海道である。初々しくセッティングしている先ほどの大学生に、それじゃあまたねと別れを告げて9:20頃、しまなみツアーをスタート。


 しまなみジャパンというwebサイトがあって、尾道-向島間を自転車は交通量の多い尾道大橋を渡らず渡船を使うことを推奨している。桟橋につくと歳のいった夫婦と思われる西洋人のサイクリストが船を待っていた。歳のいった、といっても僕よりも年下かもしれない。人はみな自分の姿を鏡を通してしか見れないから、ついついそんな風に思ってしまう。その夫婦とは向島で船を降りるまで何のコンタクトもなかった。それどころか夫婦間でさえ会話はあるもののしまなみサイクリングのスタートでウキウキワクワクのはずなのに彼らは笑い合うこともなかった。スタートではなく、今治出発の尾道折り返しで疲れていたんだだろうか。それにしても最近のイエローではないいわゆる外国人は暗い気がする。まだ僕が若い頃に行ったピーピー島やベニスのカーニバルでやたら声をかけられたのとは随分違う。僕が年老いて妙なオーラを発しているせいなのか、時代が変わったのか、日本に来る外国人が暗いのか、根本的にリゾートやカーニバルとは状況が異なるからなのか。。。結局、しまなみですれちがういわゆる外国人と、ハイ、とい言ってコンタクトしたのは1割に満たない5組程度だった。自転車繋がりがあるというのにだ。というか日本人もコンチワとコンタクトしたのも数えるほどだった。そういえばビワイチでは義務的に会釈があったような。というか、自分にしても誰彼構わずというのは面倒に感じるわけで。。。まぁ、どっちだっていいや。


 下船して初めて気がついたが、渡船の屋根には五重の塔の最上階部分がのっかっていた。自分ではわからない自分の姿同様に、船に乗っている間は船の形はわからないのだ。。。旅の記録っぽく渡船料はキャッシュオンリー110円。写真を撮っていると向島からの通勤通学の人が二~三人、船に駆け込んでいた。

 9:50、第一の島、向島を南西方向に進む。空は快晴、風もなく気温も湿度も最高のコンディション。
 向島の街並みを抜けるとすぐに海岸線に出る。家族連れ、友人グループ、単独、サイクリングする人は多い。実際のところはわからないが琵琶湖よりも多い印象。
 本日第一の橋、因島大橋の手前で一人の女性サイクリストに抜き去られた。若者ロードバイクグループに何度か抜かれても何とも思わなかったが、器の小さきことペットボトルのキャップのような僕は、彼女の自転車がスポーツタイプであることは間違いないのだが、グラベルやランドナーとかという車種ではなく重そうな自転車だったからか、僕が元来持ち合わせていないハズの闘争心に火がついた。かに思えたが、徐々に引き離されていき一分を待たずにそれはボヤにさえもならず自然鎮火した。しかし、因島大橋に上っていくカーブの先に再び彼女の姿を視界に捉えた。彼女も頑張っているが、我がebikeペガサスの電動パワーが唸りをあげる。抜き返した。おおぉ、これぞ文明のリキ、ウワッハッハ、どうだ、恐れ入ったか。器の小さきこと耳かきの如し。
 そんなことだから、肝心の橋のことを何ひとつ憶えていない。今となってはこの橋が自動車道の下に歩行者·自転車·原付自転車専用の道を持つ2階建て構造の大枚をはたいた橋だったということに気づきもしなかった。

 因島は最短ルートを走ったので、あっという間に第二の橋、生口橋に11:00頃到着。タイムラインを見るとcafe terrace菜の花に5分程、立ち寄ったことになっている。ufoにアブダクトされたみたいにまたもやまるで記憶にない。Gマップにある掲載写真を見てもまるで思い出せない。ここで僕は何に思いを寄せていたのか。。。
 小学6年の時に市主催の小学生を対象にした広島からこのあたりの島々を巡る船旅ツアーに参加したことがある。内向的な僕のことを心配した両親が社交性を持たせようと申し込んだのだったと思う。このツアーで高松まで行ったのだが、きらびやかな耕三寺、奉納行事の一人相撲、それと船上から見た高松が大都会だったことを、50年たった今でもよく覚えている。他にも印象深い鮮明な秘めたる記憶があるが、ここでそれをさわやかに記載する技量がない。
 景色は良かったハズだが、腹が減り飯屋は無いかとそればかりが気になった。Gマップによれば、多々羅大橋の手前のレモンバレーに高評価のレストランがあり先を急いだ。
 ロケーションはバッチシ。しかし、残念ながら、休みだった。


 本日、第三の橋、多々羅大橋はかなり長く立派なものだった。この橋のおそらく中間あたりで道に大々的に書かれた広島と愛媛の県境がに目入った。この橋を降りた先に道の駅があり、待望の昼飯。何を食べるか困った時のカレーを注文して記念撮影。グルメ写真として最高の部類ではないかと、嫁サンと息子に写真を送ったが案の定、何の反応もなかった。。。



 ついでにバニラアイスを食べてすこしゆっくりしてから、13:30頃、ここ多々羅しまなみ公園を出発。本日のゴールまであと20km程度、15:00前後に到着のハズ。しまなみのクライマックスと言われている来島海峡を渡るのが日没になるともったいないので、その手前の大島で宿をとることにした。このペースなら尾道から今治までのしまなみ全区間を一日での完走も可能だ。。。

 大三島も最短ルートを通ったので、伯方島に渡り、そのままの勢いであっけなくゴールの大島までついてしまった。チェックインが16:00なので、釣りでもして時間をつぶそうと海岸を見ると。。。

 真新しい釣果の痕跡があった。写真で見るとしょぼそうに見えるが、大漁を物語る大量のイカ墨の跡である。指で触るとまだ墨が付く。おおぉ、大チャンス。文字通りのお墨付き大チャンス。持参のタックルはライトアジングを想定したものでだが、エギは持ってきている。今日泊まる宿はゲストハウス。調理できる可能性も高い。獲物を入れるビニール袋もある。オーナーにあげればきっと喜ぶに違いない。が、ここは堰堤から海面まで2m程ある。タモがない。躊躇して結局竿を入れなかった。。。えっ?なんで???? あとで思えばなぜやらなかったのか意味不明だ。タモは関係ない。青物は無理だがイカなら何とかなるだろう。堰堤から巨大魚がかかった投稿ビデオの見すぎかもしれない。いずれにしても、今は据え膳食わなかった感でいっぱいである。

 しばらく行くと、中々激しい潮流のある場所があって数人のサイクリストが眺めていた。かの有名な村上海賊の本拠地辺りらしい。こんな潮流で鍛えれば、それは天下に名を馳せるはずじゃろうて。。。


 15:00、本日の宿、ゲストハウスしげまるに到着。コンビニなどがある主要道から若干離れた場所にあり、日が暮れてから買い出しに行くのも億劫なので、チェックインの16:00まで先に買い物をして時間を潰す。
 最近よく目にするゲストハウスにこの際だから泊まってみようと思い予約した。ゲストハウスに泊まるのは初めてだと思っていたが、国内外なんどか経験がある。民宿ににているが少し違う気がする。オーナー、ゲスト同士の距離が近いのは同じだが、連泊する内にパーティーなんかが始まったりする。元来、僕なんかはこういうのを面倒や危険に思ったりもするのだが、パーティーのあとで何の気なしにバーに行ったりしたこともある。今回は宿泊客が僕一人だったので、のんびりさせてもらった。
 シャワーを浴びてコンビニの弁当を食べ、リビングにあるドリップコーヒーを飲みながら、ゲスト向けのしまなみ海道パンフをみて初めて知った。伯方島はあの有名な"伯方の塩"の産地であった。伯方は九州の博多ではなかった。今日、コンビニで2回アイスを買ったのだが、塩アイスクリームの看板を伯方で目にした時にそれを食えばよかったと、ゲストハウスしげまるのリビングの天井を見上げると、ここの家の造りはやけに天井が高いことに気がついた。

編集後記

 コンデジをせっかく買ったのに使っていなかったので、今回はGマップ画像だけでなく、自身で撮った写真を入れてみた。


 このゲストハウスが今年オープンしたことはウェブサイトで知っていたが、オーナーが80歳だというので多少驚いた。後日、airbnb で、僕のことをサイクリング大好きおじさんと評された(勿論好意をもって)のには大いに驚愕した。自分の姿は自分では見えないのだ。おじいちゃんと言われないだけましか。全く。。。


 海に行く時の釣具は考え直す必要がある。タックルを重量級にはできるが、タモを担いでのサイクリングはスタイル的に無理。

 

走行データ

・走行距離: 72.8kmくらい
・走行時間: 254分くらい

・平均時速: 17.1km/h

・max時速: 44.9km/h

・日時       : 2024/11/5
・場所       : 新尾道〜尾道港(渡船)〜しまなみ海道ブルーライン/向島〜因島〜生口島(東海岸)〜大三島〜伯方島〜大島

(こおろぎ 1 のつづき)


 こおろぎ 2


 夏も終わりに近づいた夕刻に、あなたがいつものようにふいにお見えになりました。急いでこしらえた夕飯を食べていると、「ここに来る途中で縁日をやっていたよ。後で行ってみるかい。」とあなたはおっしゃいました。銀座のカフェでお会いするなり「僕と一緒に死んでくれないか」とおっしゃってからもう三年が過ぎようとしていましたので、その頃にはあなたにはその気はなかったんだ、と思うようになっておりました。誰もがあなたを知る存在となってからは、デカダンスの象徴と呼ばれるあなたといえどもご家庭や世間をはばかって、人目につく場所にわたしをお連れになるということはありませんでした。それが今日、縁日に行こうとお誘いになった、わたしはようやくその日が来たのかもしれない、とそう理解しました。

 ところが、あなたはわたしに頷く間を与えず、「そうだね。君にも迷惑がかかるからね。一人で行って来るよ。」とおっしゃって、冷めかけたおみおつけを啜られました。






デカダンスだの斜陽だのと言って、結局、死を売り物にしていただけ

 



[未完 2024.4.15]

あとがき


 fxがとんでもない事態になってしまった。妄想どころかデカダンスだの退廃だのどうこう云ってられなくなり、この続きを書く意欲を失ってしまった。秋に近づいてキリギリスが頭にうかんでこおろぎのことを思い出した。


 あとの話はこんなのを考えていた。美恵子が瓜旨や編集長を猛烈に批判して手紙を書き終える。何もなくなった西陽の当たる部屋を見渡して、瓜旨が縁日で買ってきたこおろぎをさも嬉しそうに眺めていたことを思い出す。バッグを抱え借家をあとにし夕暮れのポストの前で手紙を投函しようと立ち止まる。しかし、こおろぎの鳴き声が聞こえた気がしてそのまま立ち去り、手紙を公園のゴミ箱に捨てる。


 いや〜、旅行中にfxしちゃダメだ。

「戦は軽々しく始めてはならない亅

いや〜、身につまされる〜。